37 アスモデウスとネネ。
『お世話になりました、アスモデウス』
「いえいえ、もう行ってしまうのかな」
『はい、飽きました。きっとどうせ同じ事に耐えられず、暴れるか発狂するだけだと思いますが、違いますか?』
「ふふふ、いや、正解だよ」
私の目の前には愚かな元領主と、その愛人がベッドに寝かされています。
そして其々の頭の上に浮かんでいる大きな丸い水晶に、見せられている夢が流れています。
例え夢の中で眠ったとしても一瞬暗くなるだけ、途切れる事無く、音も出ます。
『アナタには異名が沢山有ります』
「そうだね」
夫殺し・最悪の悪魔。
石又は岩の者・リリスの夫・トバルカインとナアマの子。
友情の王子・復讐の王子。
激怒と情欲・色欲の悪魔。
怒れる悪魔・滅ぼす者・破壊する者。
『あ、ソロモンを投げたのは本当ですか』
「本当だけれど、あんなには飛ばしていないよ。精々、隣国程度、しかも直ぐに戻って来てお返しにと岩に閉じ込められた」
『じゃあ、その時に助けたのがリリスですか?』
「いや、リリスは毎日、揶揄いに来ただけだよ」
『あぁ、それで』
「まぁ、それだけだから、夫婦でも何でも無いのだけれどね」
『今でもサザエとお魚の内臓が嫌いですか』
「最悪なのはサザエの内臓だね、苦いんだもの、今でも嫌いだよ」
『では水と鳥は?』
「私達の祖は人、似ても似つかないのだから、嫌いでも何でも無いよ」
『人は、人種は好きですか』
「ずっと、今でも好きだよ」
『あ、ガチョウのお肉を食べてみたいです、それと指輪も下さい。懐中時計だけじゃ舐められてしまいます』
「ふふふ、構わないよ。そうだね、夕食にしようか」
『はい』
この世界は非常に便利なので、時間を少しだけ作り、ヒナちゃんの様子を少しだけ見に来たんですが。
外出中で家に居なかった。
ですよね、平日ですし。
《あら、ヒナ様にご用ね》
「あ、はい」
トーク帽を被った真っ黒な喪服の、あぁ、金の懐中時計。
悪魔貴族の方だ。
《ふふふ、私はビフロンス騎士爵、宜しくね》
「あ、はい、ネネと申します」
ヒナちゃんが獣人を欲しがったのは、この方が起因だと聞いていたんですが。
多分、ヒナちゃんの為に、獣人になってらっしゃっただけなのだろう。
聞いていた外見とは違い過ぎる。
《あぁ、コレは外出用なのよ》
「すみません、お伺いしていたお姿とは違ったので、失礼致しました」
《良いのよ、ふふふ、今日はアナタにArielとして啓示する為に来たの》
「啓示、ですか」
《ヒナ様は北のアスモデウスの家に居るわ》
「あ、そうなんですね」
《もう、折角だもの遠慮しないで。いらっしゃい、連れて行ってあげるわね》
悪魔って、本当に親切。
「ありがとうございます」
正直、息抜きに顔が見たかっただけなんです。
なんせ帝国に帰国直後、帝国の王太子殿下である筈のルーイ氏が、スライムとして生まれ変わってしまっていた。
もう既に人の形にはなれる様になりましたが。
殻から出てアレですよ、赤黒いイチゴゼリーですよ。
しかも東の国でいつの間にか龍が付いちゃってましたし、ココに残る決意をしましたし。
まぁ、アレから一気に色々と動きが有って。
何かを撫でるより、今は話したい。
けれど出来るなら、他愛もない事を話したい。
ユノちゃんが居た頃と同じ様な事がしたい。
今はもう、こうなってしまったんです。
《さ、行きましょう》
「はい」
キノコのコンソメスープ、ガチョウのロースト、ミニキャロットのグラッセ。
デザートはイチゴゼリーでした。
お腹いっぱいになったので、灰色兎に抱えられながら暖炉の前で温まっていると。
ベルが鳴りました。
「おや、誰かが転移陣を使ったね」
『不意の来客ですか』
「そうだね、迎えに行って来るよ、少し待っていて」
『はい』
そうしてまた私はボーっとしていました。
まだ寝る時間じゃないのに、眠たい。
体がポカポカしています。
「ヒナ様、ご挨拶を終えたら帰りましょうか」
『はい、そうします』
それから、ドアが開いた音がした気がしますが。
眠くてボーっとしていると。
「ヒナちゃん?」
『ネネさん!』
「ごめんね、眠そうだったのに」
『良いんです!今日私、良い事をしました、悪魔貴族のお仕事をしたんですよ!』
「もうお仕事を」
『はい!』
大粛清の事を言おうと思いましたが、ネネさんは忙しいので言うのを止めました。
きっと心配してしまうから。
「こんなに遅くまで?」
『いいえ、成果を確認してました、それとガチョウを食べました』
「ガチョウ、どうでしたか」
『カモの方が美味しかったです』
「確かに、旨味が違いますからね」
『はい、ネネさんはどうされました?』
「顔を見て少しお喋りがしたくなったので、お屋敷に寄ってみましたら」
《私が連れて来たの》
『ビフロンス、ありがとうございます』
「名残惜しいけれど、そろそろ眠くなる時間じゃないだろうか」
『目が覚めました、それにまだ寝る時間じゃありません』
「すみません、でも先ずは家に帰りましょうか」
「ですね、ウトウトされてましたから」
『帰っても直ぐに寝ません、もう少し一緒に居ます』
「では、一緒にお風呂はどうでしょうか」
『入ります!私、洗うの上手です、アズールで練習しましたから』
「成程、期待していますね」
『はい!』
会えるって思っていないで会えると、とても嬉しいです。
初めて知りました。
「コレは、優越感なんでしょうか」
不憫可愛さでストレスや悩みが吹き飛んでしまった。
だって、不意に会えて嬉しいって初めて知った、って。
《お前の何処に優越感が有る》
『変な事を聞くねー?』
《ニャー》
「コンちゃん、セサミの言っている事が」
『相槌、だと思う』
《あぁ、多分、だがな》
「やっぱり、人用に鳴くのは本当なんですね」
《ニャー》
「ニャー」
可哀想と可愛いが同じ語源だとは知ってはいましたが、実感したのは初めてです。
不憫だけれど可愛い。
ヒナちゃんを可哀想だと思う。
けれど可愛くて仕方が無い、構いたくて堪らない。
《お前はアレより優れている、そう思い、感じるのか》
「ほぼ無、です。確かに有るとは思いますが、それは経験の差で」
《では言い換えよう、アレを見て安心するか》
「いや寧ろ」
《優越感の至る先は安堵だろう、そして逆は劣等感》
「あぁ、寧ろ劣等感を感じます」
《それはユノの処世術に対してだろう》
「となると、やはり無」
《そう心配なら、優越感を感じた時に伝えてやる》
『うん』
《ニャー》
「はい、宜しくお願い致します」
心強い。
助かる。
《それよりだ》
『あの悪魔に見惚れてなかった?』
《ニャー》
いや、アレ、アレって言うのも失礼ですが。
アスモデウス公爵、この世の美形を混ぜ合わせて色気を全身にまぶした様な方ですよ。
「見惚れ無い方が、無理では?」
《まぁ、色欲を司る悪魔だが》
「あっ、そう言えばそうだった」
となると、ルーイ氏の遠い祖先?
『いや』
「精霊さん」
この、空を飛ぶ親指サイズの白い牡鹿の事を、すっかり忘れていました。
『忘れていたな』
「はいすみませんでした」
と言うか、もう既に離れてらっしゃるとばかり。
『消えろと願えば消えるが』
「いえいえとんでもない、寧ろ一緒に居て下さったままで申し訳無いと言うか、ご不快では?」
『いや』
何故。
いや、まぁ、ご不快で無いなら良いんですが。
何故、急に。
「あの」
『アレとは特に関わりは無いが、繋がりが有るとも言える』
帝国(色欲国)、若しくはルーイ氏との繋がり。
「色気?」
『達成・利己性・美・自信を持つ者を好む』
「寧ろ、ルーイ氏には、自信は無いかと」
あ、消えた。
《つまりは、いずれ関わってみろ、との事だろう》
「あぁ、成程」
確かに、相談窓口は多い方が良いですしね。
《顔か》
「いや多分、全身綺麗ですよあの方は」
全く、横に並びたいとは思わない。
完成された美と究極の色気を持つ男性。
もしかして、ルーイ氏もあんな風になる、とか。
《ニャー》
《もう遅い、そろそろ眠るべきじゃないか》
『うん、寝よ』
「ですね」
考え事は早朝に、がココの基本ですし。
もうルーイ氏は、容姿すら変えられますしね。




