189 過保護。
「あ、どうも」
《おう、どうした、サレオスも無しでこんな所に》
どうした、シイラ。
『コチラは歯科医師マリーです、来訪者です』
「どうもー」
『オリアス、で分かるかね』
「あ、はい、シイラと申します」
《すまん、まだだったか》
「まだ熱が有りますか」
『有りますか』
《無い無い、ほら、無いだろ》
『はい、大丈夫です』
《で、どうした》
『私達は過保護について勉強に来ました』
「ウチに凄いのが来たので、はい、私も勉強に来ました」
「私は、その、人間観察で。はい」
「あー、本当に凄いのも居ますからねぇ、女サイコパスって居るんだって驚きましたしね」
『今日はソレですか』
『いや、また違うのが居るからね。どうだいお嬢ちゃん、アンタも見学してみるかい』
長考。
だよな、多分、シイラも全く知らない生態かも知れないんだ。
「はい、宜しくお願いします」
『じゃあ、行こうかねぇ』
向かった先は、お母さん教室でした。
ですが先生が違いました。
《確かに、自立は最も大切だとは思いますが。母親には母親の葛藤、苦労が有ると言う事を、今日は皆さんに少しでも分かって頂ければと思っています》
「すみません、飛び入りで申し訳無いのですが。葛藤や苦労が有るから、何を許せ、と仰るつもりなんでしょうか」
シイラが手を挙げ、指される前に言ってしまいましたが。
周りからは嫌な感じはしません。
《今日は、過保護と無関心について、なのだけれど》
「それらを許せと」
《そこまでは言わないわ、けれどいつか、母親になると言うのなら。そうした母親についても》
「毒親についてですね、分かりました、お邪魔しました」
《毒親だなんて》
「私は過保護な親に育てられました、もっと言うと、自称過保護の過干渉な親です」
《あぁ、ソッチだったか》
《それは、大変だった事は分かるわ、けれど》
「幾ら遅く来た反抗期にしても、度が過ぎれば虐待だとは思いませんか」
シイラは、怒っている気がします。
しかも、周りも同調している気がします、誰も止めようとはしません。
《でも、毒親だなんて、お母さんも可哀想じゃない?苦労して産み育てたのよ、それこそ自分を犠牲にして、尽くして。なのに拒絶されたら》
『産み育てないと、その身を犠牲にし尽くさないと、殺されていましたか』
《それは、多分、違うとは思うけれど》
『であれば好きに行動しただけでは無いのでしょうか、それを苦労とは言わない筈です』
《そこはね、そうなのだけれど》
『自分が選んで好きな事をしている時に、苦労や犠牲や尽くす、は思い浮かびませんが』
《遊びなら、けど》
『勉強している時もです、自分の為にしています』
《そこよ、相手の為に尽くすって、凄く大変で》
『では嫌々産んだのでしょうか』
《そこじゃなくてね、こう、産み育てる中で苦労する事も有るの。それなのに、まるで全部、ダメだったって言われてるみたいに》
『誰に言われましたか』
《それは、私の事じゃないけれど、ね。何も、そうハッキリとは言われなくても、態度や》
『どう態度で示された場合を想定していますか』
《だって、いきなり何でも自分でやる、だなんて。今までや、それこそお母さんまで、まるで拒絶されているみたいで》
『赤ちゃんは誰でも自分で何でもやりたがる筈ですが、それが拒絶ですか』
《そうでは無いのだけれど、今まで当たり前にやっていた事が、急に跳ね除けられたら》
『恥ずかしいからと跳ね除ける事は成長した1つの証、自我が有る証拠だと聞きましたが、それが拒絶になる理由は何ですか』
《それは》
「良いですか」
つい、あまりの事に苛立ってしまい、言い募ってしまいましたが。
本来、こう挙手し、許可を得るべきなんですよね。
『折角だ、全部、言って貰おうじゃないか』
《そう、ね、どうぞ》
「甘えて貰う事で自尊心、存在意義を見い出していた、大きな支えで柱だった」
《そう、かも知れないわね。けれどちょっと、それは言い過ぎ》
「依存、依頼心、甘え。拒絶された、と思った時点で、相手がどんな意図かはもう関係無いんですよ」
私の親が、そうだった。
《私はそこまでは》
「けど、でも、親も人間なのだし。ですか、明らかに独り立ちが難しい様に育てておいて、親ですか」
《親だって》
《まんま、言ったな》
「ですねぇ」
すみません。
悪い見本の教室、だったんですね。
そして周囲からのざわめき。
コレ、どう判断すれば良いのか。
《そのまま言え》
レンズさん。
それにマリーさんも、オリアスも。
分かりました、言わせて頂きます。
「擁護者の言葉も沢山知ってますが、納得出来る言葉って、本当に少ないんですよね。所詮は執着心や所有欲、子供はトロフィーじゃないんですよ、万能感や承認欲求を満たす道具じゃない」
あぁ、急に顔つきが変わった。
私の弱点が見付かりましたか。
《そう、アナタ》
「子育てが成功した人だけが、そうやって見下せるんですよ、アナタ成功しましたか」
《アナタに》
「親の何が分かるって言うの。アナタみたいな若い子に、私の何が分かるって言うの、子供を産み育てた事も無い分際で。ですかね、でも少なくとも、碌でも無い親が居る事は良く知っていますよ。アナタみたいに綺麗事を言って、家の中では暴君。少しでも言うことを聞かなかったり、親の機嫌を損ねれば、謝らせる為に黙って出て行くか。泣きながらキレて暴れるか、大声を出すか、全てを放棄すると宣言するか。子供や夫に機嫌を取って貰う、機嫌を伺われないと生きていけない、幼稚で未熟なのが親ですか」
《親だって》
「限度が有ると言っているんです、国内の最高権力者が、いきなり不機嫌になりインフラが完全に止まる事が恐怖では無いのですか。それだけ親と子には権力差、力の差が有るのに、少し位の不機嫌は多めに見ろと仰いますか」
《私は、別に、そこまでは》
「恩着せがましい、押し付けがましい親を許して、本当に良いんですか。親になるなら、境界線は引くべきでは」
《それは、そうだけれど、完璧な親はそう居ないのだし》
「でしょうね、ですが。コレだけしてきたのに、分かってくれないなんて酷い。だなんて言う親、時代劇やドラマでは大概、悪い親の方ですよね」
《私は》
「ちゃんと子育てしたか、悪魔の力を借りて、確認してみましょうか」
《確かに、失敗は多かったかも知れないけれど、子育てに》
「ゴールや正解なんて無い、って仰る方多いですけど、少なくとも答えは出るんですよ」
《だとしても、親に感謝の気持ちが有るなら》
「親も人間だと仰るなら、正しい事だけしかしない、言わないワケじゃないですよね。なのに、アナタの様に、間違いは認めない」
《私は、そんな事》
「例えば、です、今日も美味しいねと言ったとします。改めて言うなんて、今までが美味しくなかったのね、となるんですよ。果ては私を否定するの、私が邪魔だって言うのか、と。若しくは無言で雑に家事をしだすか、荒々しく外に出掛けるか、泣くか大声を出すか。どんなに誤解だとしても、絶対に譲らない、そしてコチラを責める材料にする。全く、した事無いですか」
あぁ、限界が来たみたいだね。
《私は、そこまでして無い!!》
「ほら、大声ですよ皆さん」
《アナタが怒らせるからよ!!》
「聞こえてるんで大声出すの止めて貰って良いですか、それ威圧、圧力ですよね。大人で子育ても終えてるのに、感情の制御も出来無いんですか」
良い煽りだねぇ。
《アナタの母親とは違って!私はあの子の為に!!》
「折角〇〇してあげたのに、じゃあ文句を言うなら何もしてあげない、アナタの為なのに。分からない子なんて知らない、アレだけ頑張って産んで、コレだけしてきてあげたのに。私のせいだなんて酷い、じゃあ要らないって言うのね、なら消えます死ねば良いんでしょ」
コレだけ頑張ってきたのに、コレだけ苦労して育ててきたのに。
なら、何をしても良いのかと言ったら、違うんだけれどねぇ。
『椅子に縛り付ける様な虐待はしてない、だね。けれどね、暴言や暴力だけが、虐待じゃない。叱って躾けるのと、機嫌を伺わせるのは、全く別物だよ』
《違う、偶々、苛立ってて。あの子が我儘を言うから、あの子が、私を否定するから》
「私だって大変だった、って。大人と子供、大きさも出来る事も、何もかも違いますよね」
《だから、だから》
「大人には逃げ場が有る、でも子供の逃げ場は親だけ。なのに親は直ぐ離れようとするか、酷く機嫌を損ねた態度で不機嫌に行動し続けるか、泣き喚いて暴れるか大声を出すか。でも逃げられないんですよ、夫婦と違って離婚出来無い、なのに追い詰めたのは仕方無い事なんですか」
《私は、私が悪いんじゃない、私はちゃんと育てた。あの子が勝手に、私は悪くない、違う》
「ちゃんとした親の見本、居なかったんですか」
《居たわよ!アナタと違ってちゃんとした親が居たわよ!!》
《だろうな、鳶が鷹を産むなら、鷹が鳶を産む事も有る》
《私は違う!あの子が鳶なのよ!!》
「育てた様にしか育たない事も有るんですよ、アナタと違って」
《私は人殺しなんかしてない!!》
コレ位じゃないと、効かないのも居るからね。
『まぁ、確かにアンタはね。けれど子供は人殺し、正しい人間関係の構築が難しく、ストーカーになり刺し殺した』
《私のせいじゃない!あの女が!!》
『息子ちゃんに誤解させた、私の子がそんな事する筈無い、ウチの子は騙された被害者だ』
「騙される様に育てたアナタの責任って無いんですかね」
《じゃあどうしろって言うのよ!!》
「はぁ」
《ヒナ、アレが逆ギレだ》
『だねぇ、思考放棄、責められたから守る防衛機制』
「大人なら考えて下さいよ、何処を間違えたか、どうすれば良かったか。開き直る前に、やる事が沢山有る筈ですよ」
《成熟した大人なら、特にな》
『つまり幼稚と言う事ですか』
『だね、それに加え過度な自尊心の高さに、他罰思考。コチラの未熟さを受け入れない者が悪い、子なら分かれ、親なら分かる筈だ』
「2児の母ですが、全く分かりません」
「ですよね、本当にすみませんでした」
『いやいや、良い授業になっただろう。さ、授業はお終い、感想文を期限までに提出しておくれね』
その殆どは、育てた様にしか育たない。
選定すりゃ伸びない、抑え付ければ歪む、子供の心は生き物そのもの。
だと言うのに、行動の自由を取り上げたら、そりゃ逃げ出すだろうさ。