148 海の魔獣と来訪者。5
折角、恥を全て捨てたのに。
新たな恥を晒してしまいました。
「あの」
《良いじゃないですか、売りましょう、と言うか下さい幾らですか》
願いを請われ、戯れに要求した粘液質の分泌物。
お巫山戯で商品にどうか、と皿に出したんですが。
まさか、こうなるとは。
「いえ、コレ、分泌物なので」
《何処から出ますか》
「こう、指先から、ですが」
《エロい、大丈夫ですよ、向こうのなんて海藻の体液なんですから》
「あ、そうなんですね」
《ウブだなぁ、ぶっちゃけ使ってたんですよ向こうで、限界が有りますから》
「あぁ、成程」
《それに実際、女性って体質によっては足りないそうですし。うん、大丈夫、絶対に売れます》
「いやでも」
《海藻からの作り方も調べて作っちゃいましょう、蛤さんの居た海辺の方、良い方達ばかりですか?》
《さっきみたいな諍いとか言い争いは殆ど無い、1年に2回位》
《よし、協力先確保も同然ですね、後は特許を調べて。あ、借り入れの保証人にはなりますからご心配無く、って言うか頭金も出しますよ》
「川口さんが、経営者になるべきでは」
《知識が有るのとしたい事は別です、私は経営者になりたく有りません》
「そう言われると、私もしたく無いんですが」
《ノウハウは私が提供します、それに絶対、損はさせません》
「あの、精々パート位しか」
《以前の職場で何か問題を起こしましたか?》
「いえ、ですけど何も」
《大丈夫大丈夫、任せて下さい、立ち上げは大好きなんですよ立ち上げは》
川口さん、今までに無く生き生きしてらっしゃる。
「特許や資金繰りに少しでも不安が有ったら、私はやりませんからね?」
《ですよね、分かります、安心してお任せ下さい》
「えぇ、凄い乗り気」
《成り上がってやるだの、雇われるより雇いたいだの言う方より、よっぽど適性が有るので大丈夫ですよ。うん、成功させますよ、絶対》
「出来るなら、雇われる方が」
《嫌な客と相対する事は避けたいですよね、私もです。でもこのまま監督所で働いていると、いずれ遭遇率は高くなるかと》
「ですよね」
《なら、少しは偏ったお店の方が良い。大丈夫です、私の為にも、そこは対策します》
「期待しないで下さい、やっぱり止めるって言うかも知れないので」
《そしたら店を持ちたい方を勧誘します、一緒に考えましょう、雑貨屋さん》
国を持たぬ美食国のモノが、私達の人種に接触した。
『どうする』
《そりゃ売りますよ、魔獣産と人種産と海藻産の3種類、それらを対価に醤油を得られるにしても破格の条件ですから》
「まぁ、条件が良いですからね」
私達の人種には幾つもの仕事が有る。
監督所での夜間待機員、海藻を育成し幾つかの製品を作り、粘液質を生み出し瓶に詰める。
そして料理屋に幾つかの調理法を教え。
私達の世話をし、世話をされる。
美食国が目を付けたのは、無味無臭の粘液質。
一部では既に売られているものの、未だに完全には需要を満たせてはいないらしく、ココでの販売における後ろ盾となるらしい。
『金銭を得て何がしたい』
「家を買って、店を買い上げて、ダラダラと暮らす」
《うん、はい、そうです》
《なら子孫を残したい、蛤の血筋には知識が無さ過ぎる》
《わぉ》
「それを変えて、本当に良いんでしょうか、変化が全て良い方向へ行くワケでは無いかと」
《何を懸念してるのか分からない》
「不幸な子が増える事です、人種とはあまり関われないのに人種が恋しい、そうなっては報われない子が増えてしまう」
《あぁ、うん、ですね》
《じゃあ出逢える様にして》
「して、って」
《蛸も川口も頭が良いでしょう、何か考えて》
《では、皆で一緒に考えましょう》
いつの間にか異世界に飛ばされ。
気が付くと、特殊な雑貨屋の店主になっていた。
お客さんには先ず品質管理の為と称し、入って直ぐの小さなエントランスホールで、全身を覆うベールと手袋を着用して頂いている。
《あの、この可愛い子は》
「メンダコと言う品種の蛸の魔獣と、サザエの聖獣です。綺麗な水と綺麗な粗塩を近くに置いておくだけで、蛸が自ら適正な海水を作り続け、万が一水の入れ替えが必要になれば貝が知らせます」
《本当に世話が要らないんですね》
「ですが個体毎に気に入る海藻や貝殻が違うので、最初の海藻と貝殻は直ぐには取り除かないで下さい、でないと隠れ蓑が無いままでは衰弱してしまいますので」
《能力は?》
「貝はお好きな蜃気楼を容器の上に映し出し、蛸は個体差によりますが、会話が可能です。見聞きされたく無い事が有れば、コチラの専用の覆いをお使い下さい」
竹籠に黒く染めた和紙が張られているだけ、ですが。
コレは合図、見聞きしてはならない、眠れとの合図です。
《水と塩と、魔力だけで?》
「はい、必要とする魔力は微弱ですので、赤ちゃんの居るご家庭でも大丈夫ですよ」
英字での説明文を出してはいるけれど、こうして話し掛けて来るお客さんは一定数居る。
その主な理由は。
《あの、実は、海藻印を売ってらっしゃるって》
「はい、この奥の、コチラです。使用方法に幾つかの注意事項が御座いますので、ごゆっくりご覧下さい」
店には海苔や昆布に乾燥寒天、海苔や昆布の佃煮、輸入のお醬油と簡易レシピ。
メンダコと蛤の飼育ポットに、装飾用の貝殻やサンゴ、地元の海藻入り石鹼や網篭。
そして、大人専用の粘着質を販売している。
こんなつもりは本当に、全く無かった。
もっと言うと、何も特化していない自分だからこそ、監督所の夜間勤務だけで生きていこうかと思っていたのに。
魔獣と聖獣、それに川口さんやお客さん、美食国からの要望に答えているウチに。
こうなってしまった。
《あの、コレと、この子を下さい》
「コチラ、半年毎の契約更新と、手放す際はココの海へ放つとの条件が有るのですが。大丈夫ですか?」
《はい》
「他の子達も居ますが」
《いえ、この子達でお願いします》
貝だけでは心配だからと、蛸さんが蛸仲間に相談し。
人種に興味が有る蛸の魔獣を、同じく人種に興味の有る貝の聖獣と組み合わせ、売る事に。
もっと言うとコレは貸し出しなので、ペットショップとは呼んで欲しくないんですが。
実態は、こうなので。
「分かりました、只今ご用意致しますので、コチラでお待ち下さい」
ウチには他にも、表立って出してはいない商品が有る。
なので女性用の雑貨屋、男性用の雑貨屋、ごく普通の雑貨屋がココには存在する。
と言うか、こうなってしまった。
《あの、コレも、お願いします》
「はい、直ぐにお包み致しますね」
《はい、お願いします》
ココの裏商品は、ひごずいきだとか。
まぁ、そうした品物です。
勿論、美食国からの正規輸入品ですし、品質管理も常に気を付けておりますので。
本来なら、ベールや手袋は必要無いんですが。
もし自分なら。
その結果の、私なりの配慮です。
恥は有れど欲も有る。
ココでは大した事が無かったとしても、向こうの人にとっては恥になる事も有る。
その誤差を修正するには、多少なりとも時間が掛かる。
けれども、欲は待ってはくれない。
いや、私の場合は我慢も何も無かったんですが。
こう、なってしまった。
「はい、お会計はコチラとなります。私も品物の吟味をさせて頂いておりますので、もし合わない場合などご相談が有りましたら、またコチラにお越し頂くか匿名便にてお手紙を下さい」
《匿名便》
「はい、特に要望が無い場合ですと、ご質問と共に回答を美食の国からに載せる事になります。詳しくはコチラの冊子に書かれています、ご不要でしたら、外の投函口に入れておいて下さい」
外では蛸さんが喫茶を営んでいる。
勿論、こうした店への出入りが見えない場所で。
コレは美食国の方の案。
冊子の中身を確認したがる方、周囲の確認がしたい方などに必要だ、と。
《はい、ありがとうございます》
お客さんは吟味したいけれど、出来るなら早く立ち去りたい。
そして出来るなら、誰とも顔を合わせたくない。
それは例えベールや手袋で隠していたとしても。
「では、出口はアチラとなります、お買い上げ頂きありがとうございました」
《はい、どうも、ありがとうございました》
「いえいえ、またお越し下さい」
実際、揶揄いに来るような客は、入り口のベールと手袋を面倒がって入ってまでは来ないので。
程良く暇で、程良く稼げているので、楽は楽なんですが。
《店長ー、お昼だよー》
「川口さん、やっぱりオーナーしません?」
《やだ、もう相談受けてるから無理》
「えっ、ココ辞めちゃうんですか」
《ううん、偶に仕事の立ち上げを手伝って、後はココで接客したいんだけど。ダメ?》
「いえ、それは構わないんですが」
《あ、成功したらお祝いしましょうね、奢りますよ。蛸さんと蛤ちゃんの分も》
「それは流石に」
《だって仲間なんですよ?それとも現金が良いですか?》
ただ恥の無い人生を生きられれば良いだけ、それだけだったんですが。
仕事仲間が出来て、自分が自営業者になるだなんて、本当に。
「分かりました、でも」
《大丈夫ですよ、貯金もしっかりしますから》