145 海の魔獣と来訪者。2
僕は人種の感覚を得た。
とても心地良く、離れ難い感覚、それに味覚を得た。
そして人種に拘る意味を知った。
『対価に余りが出ただろう』
《うん》
「えっ」
『私もだ、経験は知識を凌駕する』
「対価の不平等が起きた場合、頭痛や体調不良が起こると伺ったのですが」
《今は未だ無い》
『あぁ、少しずつでも対価を支払えれば問題は起こらないが、あまりに乖離すればいずれ体調不良が起きるだろう。もう要望は無いか、全く』
「じゃあ、ココを、もう少し……」
対価が等価となったかどうか。
それは人種の満足度と、コチラの満足度を精霊と悪魔が査定する。
そして不適合な者に与えた場合、与え過ぎた場合、その全てが消される事になり。
不足は体調不良を招く。
『もう無いのか』
「ですね、今の所は」
『では与えよう、代替手段は幾らでも有るのだから』
繁殖を伴わない交尾や触れ合いは、人種にとっては意味が有る。
快楽は勿論、心地良さや穏やかさが得られる。
他では得られない良さが有る。
《与えると同時に得てしまっているのだけれど》
『もう少し回数を重ねれば、いずれ上回るだろう』
「ちょっと待って下さい、そろそろこの宿を出ないといけないので、コレからの事を話し合いましょう」
『同行するつもりだったのだが、置き去りにするつもりだったか』
「正直、叶えるだけ叶えて立ち去られる事以外は想定していなかったので、はい」
《返し足らない》
『だな、家はどうした』
「解約しました、外見も名も変更してから、再出発するつもりだったので」
『仕事はどうする』
「監督所の夜間勤務です、非常事態に備えて警備と補充等を担当していましたので、事情を説明し再度雇用して貰おうと思っていました」
『あの場にも悪魔は居た筈だが』
「仕事は仕事ですから、相談と言うより管理者、でしたので」
『つまり、家も仕事も無い、と』
「はい」
『人種は手間が掛かる、世話をし与える事も出来る。暫くは働くか』
「あ、いや、一応は貯金が有るので」
『それはお前のモノ、それにコレに知識を蓄えさせる必要が有る、働くとは何か分かるか?』
《分からない》
『先ずは、人種は役所に行く筈だろう、そこからだ』
「はい」
家を借りるにも働き口を探すにも、先ずは身分証。
外見の変更、使用可能言語が増えたなら、来訪者専用窓口へ。
コチラには戸籍が有る。
役所が有る。
《はいはいはい、はい、身分証の変更手続きですね》
「はい」
同い年位、だろうか。
人種なのか他の種属なのかは分からないけれど、取り敢えず外見は人種の壮年の女性に受付をして貰うと、そのまま彼女が受付となり。
個室へと案内された。
《はい。変更者は、彼、彼女かしらね?》
《うん、僕が変えた》
《あらー、可愛い子ねぇ、どっちだか分からないわ?》
《オスだよ》
《そうなのねぇ、はい、じゃあ変更手続きを開始しますね》
「はい、宜しくお願いします」
新しい名前は、ココに来るまでに考えた名前にした。
もう少し考える余裕が有るだろうと思っていたのに、全くそれどころでは無かった。
《クラム・カノンさんね》
「はい、変じゃないですか?」
《いえいえ、髪の色も相まって、素敵なお名前だと思いますよ》
《美味しそうで綺麗だって言われた》
《そうねぇ、貝なら美味しそうねぇ》
私は蛤さんの要望で、髪の色までもが大幅に変わった。
蛤さんは白い髪をベースに、黒や茶が混ざっているのに対し。
コチラは黒をベースに白や茶、赤毛のメッシュが入っている。
正直ココまでの道程で、ガン見された。
居るには居るが、あまり居ない髪色と言うか、配色と言うか。
「やっぱり、コレはもうちょっと」
《ダメ》
《そうよ、折角素敵なんだもの、ねぇ?》
《うん》
「いや、目立つのは、ちょっと」
《大丈夫よ、確かに見慣れないけれど、居るには居るのだし。コレも聖獣や魔獣の加護の印、コレで、舐められないで済むわよ》
「舐められるとか有るんですか」
《残念だけれど、有るのよぉ。あら、何の加護も無いなんて可哀想ね、って。私も良く言われたわぁ、まぁ、もう100年は前の事だけれどね》
となると、人種では。
いや、そもそも冗談?
「すみません、慣れて無くて」
《ふふふ、大丈夫よ、そう硬く考えなくても何とかなるわ。あ、彼らの戸籍は良いのかしら?》
「正直、迷ってまして」
《分かるわぁ、知識は有っても人種として生きる事は別。先ずは人種の生活に慣れてからじゃないと、一生の事だものね、良いの良いの》
《何故、慣れて無い事が分かったんだろうか》
《そうねぇ、オバちゃんともなると、その新しいお洋服だとか靴は全て新品でしょう?もうお返しは済んだのかしら?》
《まだ》
《あらー、じゃあ先ずは働いてお返しをしないとねぇ。そうそう、慣れた土地でなら戸籍が無くても大丈夫よ、海の子よね?》
《うん》
《じゃあ、新人です、日銭が稼ぎたいですって言えば大丈夫よ》
《分かった》
孫と祖母。
私も、こう見えてしまっているんでしょうか。
《はい、で、変更者はこの子と彼かしら》
『あぁ、水蛸の魔獣だ』
《蛤の聖獣》
《はい、それで登録しますね、少々お待ち下さいね》
《うん》
私も見られますが。
蛤さんは本当に良くガン見される。
蛸さんをベースにしたとしても、美形が過ぎる。
「はぁ」
《何処か痛いのか?》
「ド派手な変更に心が付いていかないだけです」
『恥を感じるなら、いっそ若返ってしまえば良かっただろうに』
散々請われましたが。
この変更ですらギリギリアウトだと言うのに、若返ってしまった日にはもう。
「何処かに謎の恐怖心が有るので無理です」
困った顔をされましても。
かなりの価値観の相違が有る事を、再認識している最中なんですよ。
若返りは寧ろ出会いが遅い事への帳尻合わせに過ぎず、妖精種の髪色が薄緑色等のファンタジー色が当たり前で、人種ですらココの者ならメッシュが入っちゃうのも当然。
監督所を1度は出るべきだと言われたんですが。
確かにそうですね、はい、慣れない。
『早く慣れてくれ、私達も出来るだけ慣れる』
「はい」
私達は対価を支払う為、海に出た。
労働に関して言えば蛤のには知見は有ったが、実際に具体的な事となると、私ですらも意外だった。
『どうだった』
《稼ぐのは大変だった》
私は漁へ。
蛤のは陸での海藻摘み。
身分証が無ければ、1日に稼げる額は限られてしまう。
だが、現物支給が行われる。
『カノン』
《貰った》
「海藻と、魚と、貝。良いんですか」
《うん、食べてみたい》
『私は肉食だ』
「あぁ、じゃあ、料理しますが。ご希望は」
『美味いモノ』
《うん》
「じゃあ、私が美味しいと思うモノ、にしますね」
『あぁ』
《うん》
カノンは監督所と呼ばれる場所で、住み込みで働く事となった。
私達も同行を許可され、且つ家賃が安いらしい。
「蛸さん、魚は捌けますか」
『知識だけなら有るが』
「ではお願いします、三枚おろし、身と骨と皮を取って下さい」
『分かった』
住むにも金のやり取りが発生する事に蛤のは驚き、それにカノンが驚いていたが。
正直、私も蛤のに驚いた。
人種を観察していた知識は有れど、興味を沸かせる程の知識が無い。
蛤のは、どうやらカノン自体に惹かれたらしい。
だが自覚が無い。
「おぉ、素晴らしいです、ありがとうございます」
《僕は何をすれば良い》
「んー」
『本でも読んでいると良い、役所で貰ったろう』
《分かった》
「では蛸さん、タマネギをこう、お願いします」
『分かった』
「怪我しない様にお願いしますね」
『あぁ』
タマネギの知識は有れど未体験だった。
私と蛤のは、初めて目に染みると言う体験をした。
《コレが毒じゃないのはおかしい》
「猫や犬には毒ですよ」
《でも人種に毒じゃない》
「ですが食べると美味しい、合わないかも知れないので、別添えにしておきます」
《うん、そうして》
カノンに言われ米を炊いていると、他の人種が現れた。
ココは共同の調理場、譲り合いや分け合う事が常らしい。
《あー、新人さんですかね》
「はい、クラム・カノンと申します、宜しくお願い致します」
《コチラこそ、アナタの、魔獣?》
「ですね」
《なのにココの寮に?》
「お醬油が有るので」
《あぁ、高いって聞いてるけど、本当なんだ》
「そうなんですよ、こんな小さな1瓶で、ケーキセット1回分」
《わぁ、高い、やっぱり外に出た方が良いですかねぇ》
「ですね」
《あ、私、川口って言います。元男です》
「あの、それは別に、言わなくても良いのでは?」
《良いんです良いんです、長い付き合いになるかも知れないんですし、そうした事が苦手な方だって居る筈ですから》
「私は、気にしませんが」
《ありがとうございます、何を作ってるんです?》
「魚の、南蛮漬けと、海藻の胡麻和えを」
《おぉ、払うからお裾分け無いかな?》
「あ、じゃあ、ご挨拶と言う事で」
《えー、じゃあ、ミネストローネ作るよ。合うかな?》
「はい、多分」
《じゃあ少し場所借りるねー》
『あぁ』
人種は不思議な行動をする。
カノンは敢えて知らないフリをし、この人種もまた、敢えて気付かないフリをした。
既に、互いが誰かを認識出来ていると言うのに。