144 海の魔獣と来訪者。1
《人種で叶えたい願いをお持ちの方、どうかご相談に来ては頂けませんでしょうか、内容次第で交渉が可能です》
人種の願う声が聞こえ浜に向かったけれど、既に長蛇の列だった。
けれど強いモノが力を示し、真っ先に先頭に立った。
人種は暗闇の中、灯りを背に布で全身を覆い座っている。
何者が目の前に居るのか分からないのに、怖くは無いんだろうか。
あぁ、そうか、気配も察する事が出来無いのか。
『お前の願いに興味が有る』
力を誇示した海の魔物は、低く呻る様に話した。
「あぁ、お越し頂きありがとうございます、それなら直ぐにお答えします。先ずは、文字の習得です」
布に包まれたままの人種は、嬉しそうに答えた。
『そんな事か』
「はい」
『では対価に何を差し出す』
「そこです、私には価値が無いと判断しておりますが、ココは異世界。もしかすれば私に価値が有るかも知れない、そこで交渉の為に敢えて、あの様なお願いをさせて頂きました」
他に願いは無いのだろうか。
『他の願いは無いのか』
「この先は有料ですね」
『成程、ではコチラは人種への変化を願う』
人種への変化は仮契約の後に、交わりが必要となる。
けれど何故、どうして、あんな弱い生き物になりたがるんだろう。
「あの」
『病の匂いがしない、それだけで十分だ』
確かに嫌な気配も匂いもしない、でも強い個体じゃない。
「成程、では他の方とも」
『私との交渉が最優先となった、他はもう既に散っている、覆いから覗いてみると良い』
人種は恐る恐る布を僅かに持ち上げ背後の灯りを持つと、魔物は光を避ける様に海の方へ。
僕は蛤だから居ても分からないからか、この魔獣は僕を排除するつもりは無いらしく、僕を一瞥すると再び人種へ視線を向けた。
そして人種は僅かに腰を浮かし、魔物を見ない様にしているのか、気配の方へ灯りを向ける事も無く。
灯りを背に再び座り込んだ。
「はい、確かに」
『仮契約を行う、影に入る許可を』
「はい、どうぞ」
力を示すモノは、どうしてか僕を連れて影に入った。
ソレが何を考えているのか、僕には全く分からない。
『文字を得た、次はどうする』
「ご相談に乗って頂ければ、次の願いを教えます」
『分かった』
「恥を消す事です」
相変わらず布を被ったままの人種から出る気配は、恥だった。
この人種に今有るのは恥だけ、だから布を被ったままなんだろうか。
『だから今でも布を被ったままなのか』
「そうですね」
『なら悪魔に頼めば良い、そうか、それで文字か』
「少しは役に立つ事をと、はい」
『そんな事をせずとも悪魔は願いを叶える、尋ねに行けば良い、仲介してやろう』
「ありがとうございます」
『では仲介料を』
「あぁ、はい」
この魔獣も、人種との接触を好むらしい。
何故だろう。
交尾は子孫を残す為の行為。
行為は過程、結果を残す為の過程に過ぎないのに。
人種との接触を好む。
そこまで入れ込む事なんだろうか。
《そこまで入れ込む事なんだろうか》
蛤の聖獣は、根源との繋がりが薄いらしい。
『悪魔とも精霊とも繋がりが薄いのか』
《それに血脈にも、人種はあまり海の魔獣や聖獣を求めない》
『あぁ、そうだな』
海で生きてきた者は、既に海で生きる術を持っている。
そして地で生きる者は、地に由来する術を求める。
《お前は何故、そこまで入れ込む》
『魔獣のままでは得られないモノが得られる』
《か弱く脆くなったとしてもか》
水に生きるモノの殆どは、地に生きるモノに触れると火傷を負う。
そうした難から逃れられるモノは、僅か。
『お前には分からぬ事だろうな、強い殻を持つモノよ』
《分からない、けれど知りたいとも思う》
『何故、人種に興味が湧いた、お前達にとっての敵でも有るだろうに』
《それだけでは無い事も分かるだろう、海が豊かになったのは確かに人種の力だ》
『だが得る為、人種の言う田畑との違いはさして無い、囲いが有るか無いかの差だろう』
《だが鳥や兎も共に居る、例え食べられる側でも傍に居るだろう》
『居られる術を既に知っているからだ、双方共にな』
そこに存在しているだけで人種は喜びを得る、そして例え獣だとしても愛でられる。
だが、我々はどうだろうか。
食物か、魔獣や聖獣としての性質のみを求められる事が殆ど。
見目を愛でられる事も、その鳴き声や動きを愛でられる事も殆ど無い。
そして、ただ傍に居る事すら、地で生きる事すら難しい。
《何故、入れ込む》
『お前と同じだ、興味が湧いた』
《何故》
『お前とは違い、知っているからだ』
精霊と悪魔の根源に深く繋がれるモノには、良い側面と悪い側面が有る。
知らないと謂う良い側面、悪い側面。
知ってしまっていると謂う、良い側面、悪い側面。
《何故、僕を影に入れた》
『それも興味だ』
とてもあっけなかった。
魔獣のお陰なのか、悪魔は恥となる何もかもを消してくれた。
そして別れ際には、また相談に乗るとも。
「ありがとうございました」
『構わない、仲介したに過ぎないのだから』
「最後に1つ、お願いが有ります」
『何だ』
文字の習得。
恥の消去。
後の1つは、恥の完全な消去の為。
「外見の変更です」
『何故だ』
即答しないのも無理は無い。
外見の変更には大きな対価を必要とし、相応の理由が無ければ叶えられない。
平和を乱さぬ為、治安の為に。
外見の変更は、悪魔ですら容易には受け入れない。
「恥をしっかり消す為です」
『誰の為だ』
「私の為、そして友人の為に、長く生きれば恥も増えますから」
こんな事で、と思われるかも知れないが。
『構わない』
「へ?」
『繋がりが絶たれる事、そして忘れ去られる事を受け入れているのだろう』
「まぁ、それは勿論ですが」
『忘れ去られる事を受け入れるモノは、寧ろココでは稀だ。思い出されぬ辛さ、忘れられる苦痛、赤の他人となる事を恐れるモノは多い』
「本来なら、そう生きたかったのですが」
『大罪を隠す事にならぬのなら、それは些末な事、死を齎す事とさして代わりは無い』
安らかな死は、請えば得られるモノ。
生と死は等価値であり、死は決して特別では無い世界。
「ありがとうございます」
『私が齎すワケでは無い、この貝だ』
布の隙間から差し込まれたのは、ツルツルした貝。
「あの」
『蛤の聖獣だ』
「あぁ」
浜で見掛けた貝。
美味しそうだと思ってしまいましたが、この貝は聖獣。
ツルツルの縞々、さぞ美人でしょうに。
《美味そうか》
「すみません、はい、美味しそうで美人です」
《僕は見目が良いのか》
「はい、どちらの意味でも、ツルツルで縞々も形も綺麗ですから」
《美しいのか》
「はい、貝好きが見たら喜ぶかも知れません、もう少し待ってみては如何ですか」
長考。
でしょうね、だって私は。
《貝が相手は嫌か》
「いいえ、ですがアナタをより好ましいと思う誰かが相手の方が、良いかと」
《遂げた後に、食べられたいと言われるかも知れない》
「それは、お尋ねになれば宜しいかと」
《食べるか?》
コレは、カニバリズムになるんだろうか。
「貝の姿を食べてくれと言われたら、事情を聞いた後に、火を通して食べるかも知れません」
『では人種の姿を食ってくれと言われたら、どうする』
謎の魔獣さん。
もしや、それが真のお望み、でしょうか。
「流石に、もう少し話し合いますね」
『では本来生きた姿のまま、足を1本食ってくれ、と言ったらどうする』
「形状と毒の有無次第、ですかね」
『成程、では蛤の、私が貰っても良いか』
「えっ、あ、命に関わる場合は」
『関わらない。どうする蛤』
《どうしてそこまで入れ込む》
本当に。
折角、人種の姿になれて選び放題でしょうに。
『蛤こそ、どうして関わる、願いも無いのに何故傍観していた』
傍観。
一体、いつから。
《僕には知識が何も無い、導いてくれると助かる》
「あの、願いは?」
《人種から受ける喜びを知る事》
「でしたら、もう少しお待ちになっては」
『海に求める者は稀有だ、私が退けなければ、そこには様々なモノが居た筈だった』
気配も音も、全く無かったんですが。
《居た、長蛇の列だった。僕はただ見ていただけ、彼が僕を招き入れた》
「あぁ」
見られてたんですね、全て。
『いつまで待つかは未知数だ。どうする、蛤の』
《僕の見目は、どうなるだろうか、蛸のは赤毛に白い肌となった》
蛸。
蛸さんでしたか、成程。
「でしたら、白い髪に黒や茶色の髪色が混ざり、褐色の肌を持ってらっしゃるかと」
《蛸のは目が黒い、そして睫毛や眉は赤毛だ》
「髪と同様に色が混ざっても素敵かも知れませんが、目は黒く、眉も睫毛も真っ白な方が綺麗かも知れませんね」
《それが君の美しい、なんだろうか》
「目鼻立ちが整っている前提ですが、はい、ですね」
『私の目鼻立ちはどうだ』
布から覗くに、蛸さんは目鼻立ちの整った美丈夫でした。
勿体無い。
「はい、宜しいかと」
《願いを叶え対価を得る》
どうやら本当に魔獣や聖獣は、容姿に無頓着らしい。
そして性別も、何もかも。