140 農家の子。7
『大丈夫そうですか』
《おう。まだボーっとしてるけど、水分は摂れるし、アイスも食えてるから大丈夫だ》
『お粥は病人食だと聞きました、他には無いですか』
《あー、素麵とか、うどんだとか》
『どれが良いですか』
《んー、なら全部用意するか》
『はい、お願いしてきます』
《おう》
良く覚えていませんが、熱が出るのは苦しい事です。
早く治って欲しいのですが、知恵熱に治療法は有りません。
熱が下がるまで、ただ待つだけだそうです。
『お粥と素麵とうどんを用意して下さい、それと他に病人食が有れば教えて下さい』
《はい、直ぐに。因みにですがヒナ様、病人食とは何だと思いますか》
『食べ易さだと思います』
《はい、デザートも幾つがご用意しようかと、ゼリーやヨーグルト》
『良いと思います。あ、リンゴをすったモノもお願いします、食べた事が有ったと思います』
《分かりました、では合わせてスープもお出し致しましょう》
『はい、宜しくお願いします』
《はい喜んで》
後は図書館で調べて、アンバーにも聞いてみます。
『まだ良くなりませんか』
《ヒナ、落ち着け、まだ食わせたばかりだぞ?》
『ソワソワします、落ち着けません』
料理を頼んだら、そのまま図書館だアンバー嬢の家に行くだで。
寝る気配すら無い。
《よっこいしょ、せいせい、どうどう》
ダメか。
『知恵熱は病気では無いそうですが、それでも不快です、楽しい事では無いです』
《そうだな、妊娠も月経も知恵熱もだな》
『どうして落ち着いていられますか』
《死なないって分かってるのと、こうやって待ってるしか無いって分かってるからだな》
『もう、何も出来ませんか』
食事も用意した、氷嚢も使ってるし、侍女が着替えをさせた。
後は。
《折り紙か》
『お花を作りますか』
《それも良いし、千羽鶴だな》
『千羽鶴』
《鶴の折り方は分かるか?》
『分かりません』
《そっか、じゃあ先ずは少し小さい折り紙を用意します》
『持ってきます』
《おう》
鶴の折り方。
何処で、あぁ、母親だ。
「何とか落ち着かれましたね」
《だな、本当に不慣れらしいな》
「はい、コレも初めての事です。以前にネネ様の件が有りましたが、ココまででは無いのは、近さや距離かと」
《だな、自分の範囲内か、手が届く範囲かどうか》
「以前は良く分かりませんでしたが、今なら良く分かります」
不安と言う程では無いけれど、もどかしく落ち着かない状態。
《子供の頃、弟が熱を出した時が最初だったな、次いで母親が寝込んだ時。高熱を出して、死ぬんじゃ無いかと堪らなく不安で、弟と泣いてた》
「コレは、僕の命に関わるからでしょうか」
シルキー種は拒絶されると、バンシーとなるか消滅するか。
《だけかどうかは俺には分からないが、何かを失うかも知れない不安感は分かる。最初は仕事の売り上げが分かるまでは不安だったし、客に失敗したかも知れないって思った時も不安だった》
「僕は、ヒナ様から解雇されても死にません。それに、働き口に関しては、寧ろ需要が高い傾向に有る事も分かっています」
《失ったら寂しいかどうかじゃないか?》
今まで、ココまでの寂しさを感じたのは。
バルバトス騎士爵の傍を離れる事になった時だけ。
「生き甲斐を感じています、満たされていると思います」
《けど他でも同じかどうかは別》
「はい、今までで最も満たされていると思います、今以上に得られるかどうかは分かりません」
《けど、他に雇用された事は無いんだろ?》
「ヒナ様のお相手探しの際、ラプラスの悪魔とは一時的に仮契約をしていましたが、全く満たされる事は有りませんでした」
《望んだ相手じゃ無い、望ましい雇用主なら違ったか?》
「賢い方です、例え寄り道が有ったにせよ、無駄が無いとは思います」
《分かっていても無駄に感じる、虚しい、虚無感が有った》
「それと、焦燥感です」
直ぐに見付けられない事への焦り、苛立ちだと思っていました。
ですが、今でも続いているのです。
自身の本当の願いが何なのかが、分からない。
理解が出来無い事への不安感、焦り、苛立ち。
もどかしさ。
《何かが有るとは思ってるんだな》
「はい、ですが、それが命に関わる事なのかどうかは分かりません」
消えたと後から知らされた同種、バンシーとなってしまった同種を知っている。
拒絶され、どんなに説得しようとも悲しみは癒えず、消えるか嘆きのバンシーとなるか。
《本当なら、悲しみは命に関わると思う、傷付いて動けなくなって当然だ》
「ですが、悲しみにばかり流され、自己を失ってはいけない。生かして下さったバルバトス様、関わったモノ達の事を思えば、使命を念頭に置くべきです」
《だが、悲しみはそれらをどうでも良くさせる、それこそ命だって投げ出したくなる》
「愚かだと思っていました、こんなにも思うモノが居るのに、寧ろ軽薄だとすら思っていました」
僕らの存在は、一体何だったのか、と。
《好きだと勝手に相手の色に染まる事が有る、寄せたり似せたり、そうなろうとしたり。けど、だからこそ拒絶が苦しくなる、自分の一部になった何かを切り離すか自滅するか》
「失礼だとは思いますが、何故、こうしていられるのでしょうか」
《最優先はヒナだ、その次に償い、その後ろに俺の事》
「僕も、ヒナ様を最優先させている筈なんですが」
《それは正しい、そう見える。ただ、俺とヒナは家族と言う絶対的な繋がりが有る》
「僕は使用人、主従で、雇用関係にある」
《解雇される可能性はある、だが家族に解雇は基本的には組み込まれて無い、ヒナのは特にな》
羨ましい。
そう思ってしまいました。
家族扱いはあれど、使用人が家族となろうとするなど烏滸がましい。
そう分かっている筈が、僕は羨ましいと思ってしまった。
『んん、妙さんは大丈夫ですか』
「はい、大丈夫です、落ち着いて眠ってらっしゃいますよ」
『ならもう少し、寝ます』
「はい、僕らも居ます、安心して下さい」
妙さんもヒナも、夜にはぐっすり眠り。
今朝は、どうやらヒナが1番に目を覚ましたらしい。
『おはようございます、心配です、起きて下さい』
《まだ、薄暗いんだが》
『朝は朝です、確認しに行っても良いですか』
《分かった分かった、けど静かにだ、起こすなよ》
『分かりました』
知り合いにサイコパスが居て。
しかもストーカーに殺されて。
本当に、理不尽で不条理だよな。
『ごめんねぇ、ありがとうねぇ』
『まだ暖かいです、寝ていた方が良いです』
アレから何とか風呂に入れ、飯を食わせ。
そうこうしているウチに、妙さんが目を覚ましたワケだが。
知恵熱は食欲が落ちないらしく、昨晩と似たメニューを完食。
『けどさぁ、慣れて無いもんで、暇なんだよねぇ』
『ご本を読みましょうか、レンズは上手です』
《俺か》
『はい、本選びからお願いします』
《あぁ、分かった、と言うかどんなのが好きなんだ?》
『刑事物』
《あぁ》
『あ、ココって有るのかな、そうした劇とか何か』
『警察が出るのは、探偵ですか』
《あー、まぁ、そうなるのか》
『図書館の出張サービスを使います』
《あぁ、成程な》
『図書館の出張サービス』
《はいはい、考えるな考えるな、話は後だ》
『行ってきます、レンズに任せました』
《おう、行ってこい》
新しい情報を入れないってのは、結構難しいな。
『あのー、レンズさんは、知恵熱って』
《無いんだよなぁ、ココでは熱を出すってより、腹を下した》
『何を拾って食べちゃいましたか』
《買い食いだ、向こうでは健康優良児か?》
『はい、流行り病は流石に何度かなりましたけど、こんな意味不明な熱は初めてですよ』
《その時はどうしてた》
『姉や兄が来て、怒られてましたね、移るだろって。で、移る為だとか言って案の定移って、一緒に休んで話をしてました』
《あぁ、ズル休みの為か、成程な》
『かもですし、凄く心配になるみたいで、気が付くとどっちかが居たんですよ』
《仲良いな、変に真面目だったせいか、移るのは流石に母親に任せてた》
『悪いなと思ってます、けどやっぱり、コレで良いんだと思います』
《俺もそう思う、向こうはあんまりにも不完全で、コッチは完璧過ぎる》
ネットが無い方が、やっぱり健全なんだよな。
『あの、オバさんは』
《知恵熱が収まってからな、あんまり感情を揺れ動かしたりだとか、新しい情報は入れるなって言われてるんだ。良ければ思い出を話してくれよ、ヒナの為にもなる》
『あぁ』
《それも辛いなら、妄想でも構わないぞ》
『今思うと、長引くぞって時は、必ず三色素麺が出てたんですよね』
《あぁ、冷や麦とかのアレか》
『それと桃缶ですね、もうシャリシャリになるまで冷やして、アイスみたいにして食べる』
《美味そうだな》
『いつもは取り合いになるんですけど、そうした時だけは誰も手を付けなくて。治るまでに食べ切れなくて、結局は分け合うんですよ』
《ウチはもう、みかんゼリーかみかんヨーグルトだったな。あぁ、本当に具合が悪いんだなって思うと、何だか静かにしてようって思ってたな》
『そうそう、調子に乗ったらダメだって。親が熱を出した時はもう、半泣きでしたね』
《だな、分かる、静かに弟と泣いてた》
『もうまるで、世界が終わるんじゃないかって位悲しくて、死なない死なないって。甘えてたのに、恩返しも何も』
《はい止め、今は安静にしてろって言うんじゃないか》
『ですよねぇ、暇だからかなぁ、もう決めたのに』
《元気になってから悩め、食べたい物だとか、元気になったら何がしたいかでも良いぞ》
『トロロが食べたい、バカみたいにすりおろして飲みたい』
《アレは飲み物じゃないだろ》
『いえ飲み物です、健康飲料』
《まぁ、健康飲料は認めるが、そんなにか》
『すって海苔で包んで揚げる』
《あぁ、良いな》
『お好み焼きに入れる、お吸い物に入れて飲む』
《酒は飲めるか?》
『勿論、美味しいんですよ北の酒は、味が濃いのにスッキリしてる』
《あぁ、米が美味いと美味いよな》
『けど東京のお酒も美味い、侮れない』
《吞兵衛か》
『一家で、北と南は強いみたなんですよねぇ』
《俺は南なんだ、鹿児島》
『あぁ、凄い訛りの』
《北に言われたく無いんだがなぁ》
『はぁ、飲みたいなぁ、日本酒』
《そこは焼酎だろ》
『でた、芋焼酎』
《いや俺は紫蘇派だ、それか紫芋》
『あの限定の、香ばしくて美味しいですよねぇ』
《探してきてやる、他には何が食いたい、飲みたい》
『アセロラジュース』
《分かった》
『えへへ、もう何でも頼んじゃおうかなぁ』
《おうおう、言うだけタダだ。氷嚢変えてやる、何か居るか?》
『紙とペンを。マジで頼みますからね』
《おう》