114 兄さん。
「あの、兄は」
《大丈夫ですよ、さ、コチラへお願いします。万が一にも感染症を持ってらっしゃったら、大勢を苦しめ、時に死に至らしめる事になりますから》
「はい」
《ありがとうございます、助かります。では、暫くお待ち下さい》
「はい」
僕は兄さんと一緒に避難所に行く途中、多分、何処かに落ちた。
けれど、その後の記憶は、ココの中庭で目覚めた記憶だけ。
制服を着た人達と、青い空と芝生の記憶だけ。
《はい、ではコチラに着替え、暫く隔離棟で生活して頂きます》
「暫くって、どの位ですか、出来れば早く兄を探しに行きたいんですが」
《捜索は我々に任せて頂けますか、アナタはココの事を何もご存知無い筈、それにココの通貨もお持ちでらっしゃらない》
「あの、ココは、何処なんでしょうか」
《地獄です》
「地獄」
《あぁ、良くご存知で、何処かで外国語を学ばれましたか?》
知らない言葉だったのに、何で分かったのか分からない。
「何で」
《それらを知る良い機会です、隔離棟をご案内致します、お着替えが終わりましたらノックをお願い致しますね》
「はい」
渡された服は多分、綿で、肌触りが良い。
病院着みたいに、前で交差して結ぶ上着と、紐で絞めるズボン。
多分、兄さんはコレを1人じゃ着られない。
早く、僕が何とかしないと。
《はい、結構です。では、コチラへ》
隔離棟と呼ばれていたから不安だったけれど。
出入口の内側に鍵が有って、同じく中庭は有るけれど、鉄の柵も何も無い。
広くて綺麗な場所だった。
でも、レンガのお城みたいで、少し古くさい。
「あの、ココって」
《あぁ、古い建造物を使っていますので、見た目は少し古く見えますが。どうぞ、アナタのお部屋です》
僕の部屋。
「本当に、良いんですか」
《はい、勿論》
洋館に有りそうな色々な引出しの有る机に、本棚。
窓辺には椅子とテーブルが有って、また小さな中庭が見える、なのに向かい側の窓の奥は反射して見えない。
しかもトイレもお風呂も有るし、広い。
古いけど、凄い。
「さっき居た、病室みたいな場所に、押し込まれると思ってました」
《とんでもない、アレは一時的な処置に過ぎません。では、他の施設も案内致しましょう》
「はい」
図書室、お茶も出来る談話室。
工作室。
《画材等、全てご自由にお使い頂けますから。どうぞ、遠慮無くお使い下さい》
「全部」
《はい》
兄さんが妬んだり間違って食べない様にって、だから手に入らなかった物が。
全部、ココに有る。
「凄い、シルクだ」
《では、本日は慣れて頂く為にも、ご自由にお過ごし下さい》
「あっ、あの、明日は」
《明日から、ココの事を学んで頂きます、宜しいですね?》
多分、逆らえない。
逆らったら、どうなるか分からないから。
「はい」
それから本当に、勉強する日々が続いた。
道徳観とか死生観とか、異世界だ、とか。
兄さんは無事で、夏至と呼ばれる場所に居る事も。
この人が、悪魔、ダンダリオンだと言う事も。
《どうしても引き取りたいと仰るなら構いませんが、もしアナタに何か有った場合、何処の誰がどの様に最後まで面倒を見るのかを書類に全て記載して頂く事になります。誰か宛ては?》
「無い、です、ですが」
《妖精や魔獣に負担を強いるつもりであるならば、先ずはその方々のご親族にもご説明を、それからそのモノが暮らしている地域の貴族にもご説明し了承頂けますようお願い致します。果ては影響を及ぼす全てのモノの為、宜しくお願い致します》
コレから僕は誰か後見人を探して、仕事と家を探して働いて、身の回りの事をして。
僕なんかに誰が付いてくれるかも分からないのに。
でも、僕らは、家族だし。
『見せてやったらどうだ』
「し、鹿?」
《精霊です、分かりました。では、行きましょうか》
「あ、はい」
それから魔法陣で移動して。
夏至と呼ばれる場所に直ぐに着いた。
『あ、ちいちゃん』
「兄さん、良かった、元気?」
『うん』
肌触りの良い生き物が居るからか、人が少ないからか、静かな場所だからか。
兄さんは落ち着いていて、静かで、嬉しそうだった。
「兄さん、幸せ?」
『うん』
「僕が居なくても?」
『うん』
「僕は偶にしか来れないよ?」
『うん』
「前とは違うになるんだよ?」
『うん』
「ココは楽しい?」
『うん』
「幸せ?」
『うん』
『僕が居なくても幸せ?』
『うん、ココが良い』
「ごめんね兄さん」
『うん、良いよ』
ホッとした。
解放されたと思った。
悲しみより嬉しさが有った。
でも、同時に罪悪感も有った。
本当に、コレで良いのか、まだ決断出来なかった。
《1つ、改めてご理解頂きたい事が有ります》
「はい、何でしょうか」
《正解が1つでは無い重大な問題において、その答えを出したモノを、誰も非難してはならない。それがココのルールです、もし非難するモノが居れば、そのモノは非難の嵐に放り込まれる。次へ、参りましょう》
「はい」
次に訪れたのは、真冬と呼ばれる場所だった。
《さ、コチラです》
ココが本当に地獄だと思い知らされた。
罵詈雑言に怒声、叫び声、泣き声。
慣れていた筈の異臭が吐き気を催す、不快で不潔な場所。
「こんな、さっきのはじゃあ」
『西園寺君、私よ、助けて』
殴られた跡の有る顔に、汚れ破れボロボロになった服を着た、見慣れない女の人。
顔に見覚えは無いけれど、声には、聞き覚えが有る。
「先生?」
『そうよ、良かった、覚えていてくれたのね』
小学校の担任だ。
弟の事で辛いと相談したら、激しく叱責し、親まで呼び出し僕を責めた女教師。
「でも、先生は」
『気が付いたらこうなっていたの、でも分かったわ、あの時は本当にごめんなさい』
「先生」
『だから出して!ココから出してお願い!!』
《以前にお教えした手順通りに手続きを行って頂けましたら、直ぐにも、お連れする事は可能ですよ》
『お願い、謝るから、何でもするから』
《あぁ、因みにですが彼女は経産婦ですので、もれなくお子様も着いて参ります。ソチラもご了承下さい》
『子供は好きにして良いから!お願い!出して!!お願い』
「兄の病気が移るって揶揄われて辛い、弟まで嫌いになりそうでイヤだって言った時、僕になんて言いました」
『ごめんなさい、あの時は、それが』
「なんて言いました」
《思考力や聴力には何ら制限が無い筈ですよ、答える事は可能かと》
「それとも覚えていませんか」
《時間が惜しい、私がお答えしましょう》
家族でしょう、どうしてそんな事が言えるの!
家族なんだから支えて当たり前、人として当然の事も喜んで出来無いなんて、君の様に不出来な弟さんを持ったお兄さんの方が可哀想よ!!
大問題だわ!親御さんに連絡させて頂きます!!
『ごめんなさい、今は違うの、分かったわ』
「本当ですか、今でも僕は兄さんが好きです、引き取るか悩んでます。なのにアナタは子供は好きにして良いと言った、全然、分かって無い」
『悪かったわ!でももう無理なの!無理なのよ!!』
「僕はそう相談したのに!突き放したのはアナタじゃないか!!」
『じゃあどうしろって言うのよ!!』
同じだ。
投げ出す言葉は同じ。
誰でも言う。
思考出来る力は違う筈のに、中身は同じなんだ。
《自業自得、吐いた唾を受け入れるしか無いのでは?》
『誰だって、間違う事は有るじゃない!』
《ですが、その間違いを修正出来ているとは思えない。他責的で、辛い事からただ逃げ出したい、だけ》
『だって、こんなに辛いだなんて』
《そうですね、アナタが無責任にも突き放した者達も、辛かったんです。あぁ、辛さは比べるモノでは無い事は同意しますよ、アナタは言うだけで全く出来ていませんでしたけれどね》
『ごめんなさい、本当に』
《さ、少し見て回ってから、答えを考えましょう》
悪魔は、直ぐに答えを出せだとか。
何も分からないのに答えを迫ったりだとか。
押し付けたり、急かしたり、責めたりしなかった。
多分、僕が思っていることだって分かっている筈なのに。
僕に、選ばせてくれてる。
全部、どうしたいか。
どうすべきかじゃなくて、どうしたいか、その答えが出るまで待ってくれてる。
判断材料をくれる。
待ってくれてる。
「僕も、こうして欲しかった」
優先しなくて良いから、偶にで良いから、僕の意見を聞いて欲しかった。
その通りにしなくても良いから、そうなんだねって、フリでも良いから聞いて欲しかった。
僕が辛いって言っても良い時間が欲しかった。
《ただ産まれただけで、何故、我慢しなければならないのでしょうか》
何故、アナタが耐えねばならないのでしょうか。
何故、幸せをアナタだけが追い求めてはならないのでしょうか。
家族とは、支え合うべき形です。
ですが、誰かに一方的に負荷を掛けて良い形でしょうか。
確かに少数がその中でだけ、全員が全てを知った上で合意し完結しているのならば、誰も気にはしないでしょう。
ですが、もし、不同意のままに半ば強制的に行われていたならば。
もし交際問題なら、犯罪ですよね。
では、未成年を宗教上の理由から、肉を食べさせず餓死させたら。
それも、犯罪です。
では、生き死にに関係が無いからと言って自由を奪い、大多数が受けられる筈の幸福を制限する事。
は、どうでしょう。
犯罪では無いから問題が無い、とでも。
そうですか、なら、味合わせて差し上げます。
精々、想像力が足りなかった事を嘆き悲しんで下さい。
決して死なぬこの場所で、老いて尚、永遠とも思える終わりの無い生の中で。
「兄さん、コレ、今も好き?」
『うん、好き』
「じゃあ妖精さんに預けます、言われた通りにしてね」
《コレは1日1つね》
『うん』
「今日は何をしてたの?」
《お茶の選別よね、凄い上手なの》
『うん』
《不良品が出ないのが1番だから、とっても助かってるの。いつもありがとう》
『いつもありがとう』
《いえいえ》
僕は兄さんを引き取らずに、僕の幸せを探す事にした。
もし、兄さんが逆の立場になったら、僕に幸せになって欲しいって考える筈だから。
僕に、悲しかったり辛い人生を歩めって、思わない筈だから。
あの母さんでも、僕が幸せだろうって、そう思ってたんだから。
「本当に、ありがとうございます」
《いえいえ、って言うか、いつ東の国に行くとか有る?》
「えっ?」
《あ、知らない?アナタの生まれ故郷と同じ場所、申請すれば行けるよ?》
「考えも、してませんでした」
《そっか、落ち着いたら教えるつもりだったのかも、忙しかったでしょ?》
「まぁ、はい」
《そっかー、そこ悩んでたのかと思ってた。アッチって髪型がある程度は決まってて、服装もちょっと窮屈だから、この子達には不人気なんだよね》
「あー、因みに、江戸とか言われてます?」
《うん、エド、スズランの姫様は行ったけど戻って来たよ》
「スズランの姫?」
《ふふふ、まだ何も知らないんだ、この子と一緒だね》
「ですね」
《楽しんで、知って理解出来る事も個性、違いは特別じゃなくて当たり前なんだから》
違う事は良い悪いじゃない。
けど特別は違いを生む、誰かが損する特別は差別を更に生む。
当たり前が当たり前に有って、選べる世界。
選んでも、非難されない世界。
「はい、楽しみます」
我々は悪魔。
天使でもあり精霊の家族でもある。
「あの、本当に、ありがとうございました」
《今生の別れは、流石に受け入れ難いのですが》
「あ、いえ、違います違います。この機会に、改めて、お礼をと思って」
《そうですか、安心しました。私はアナタを気に入っている、ですので離れたいのかと、つい不安になってしまいましたよ》
「とんでも無い、でも、出来るだけお世話にならない様にしたいと思っています」
《全く、アナタ達は独立心が高く身綺麗に生きようとする高潔さは好きですよ、ですが我々は寧ろ頼られたい。頼られ、傍で見守り、最後まで面倒を見たい。ですが、必ず悪魔が選ばれるとは限らない、妖精や魔獣に取られた事が幾度有ったでしょうか》
「僕ら人種の親なんですね」
《親であり子であり、恋人であり兄弟姉妹、親戚で友人で夫婦です》
「僕、まだ良く分からない事が多くて、恋人とか夫婦とかは良く分からないんですけど。はい、何か有ったら、宜しくお願いします」
《いけませんね、何も無くても友人には会う事も有る、分かりましたね》
「はい」
《はい、では、また》
「はい、また」
独立してしまう子も、独立せぬ子も平等に愛しい。
何故なら我々に寿命は無く、その終わりを確実に見届けられるからこそ、見守り続ける事が出来る。
制限の有るモノには、まだ、早い事。
《あぁ、どうも、ヒナ様のお兄様》
《あの少年、この本の子か》
《はい》
《はぁ》
《お兄様はドMでらっしゃるかと》
《あぁ、かもな。分かっていても、知ると辛いな》
《ですが良い面も有る、ただ、それが良い面と思うかは個人差。個人の自由、ですから》
《アンタらには、辛く無いんだな》
《はい、そこでしか我々が得られない養分、と言うモノが有りますから》
『あぁ、そうだな』
《なん、精霊、居たのか》
《はい、我々の家族であり親友であり》
兄弟姉妹、でしょうかね。
《あ、消えた》
《恥ずかしがり屋なんです、とっても》