10 バアル・ゼバブ王とラウム男爵。
『何故、お顔を隠されているのですか』
「それは恥ずかしがり屋だからだよ」
『でもお衣装は凄く派手です』
「バアル・ゼバブだと示さねばならないからね」
『どうして神様では無いのですか』
「人が好きだからだよ」
『今でもお好きですか』
「勿論、とても離れ難く思っているよ」
王冠の刺繡がされたシルクハットには黒いレースが付いていて、お顔が見えない。
蜘蛛の巣柄のダブルのスーツと呼ばれるお洋服、襟元には猫と蛙のピンが付いていて。
手はゴツゴツとした大きな手。
声は多分、お爺さんだと思います。
『何故、私には好きも嫌いも無いのでしょうか』
「それは君が決める事、君が知り、そうなるモノ。だからだよ」
ネネさんやユノさんには興味が有るけれど、人を好きかどうか分からない。
半分は悪魔なのに。
私は、悪魔として不完全な気がする。
『私は不完全では』
「いや、君は既に完成しているよ、後は育つだけだ。だが、もし心配なら、ある者を紹介しよう」
『はい、宜しくお願いします』
彼女は、悪魔としては不完全では無い。
《私はラウム、男爵よ、宜しくね》
『はい、ヒナです、宜しくお願いします』
寧ろ、ラウムの方が遥かに不完全だ。
今は彼女、元彼は、愛を理解したがっている。
《ヒナ様は分かっているの?愛を》
『いいえ、私はまだまだ、全くです』
《そうなのね、同じね、ふふふ》
悪魔の不便な所は、不老不死である事。
衰退を知らず、記憶は鮮明のままに、最もらしい状態のままを生き続ける。
だが、ラウムは違う。
『ラウムは不思議です』
「あぁ」
《そうなのね、ふふふ》
ふわふわでクルクルの、黒い髪の毛。
真っ黒な目。
可愛い顔。
可愛いドレス。
「ラウムの事は知っているかい」
『はい』
獣としての姿はカラス。
喪失者・困窮者や貧困者、苛烈な人生を歩んだ厳格で頑固な者を好み。
天使としての名はIeiazel、喜び・解放・慰めの性質を持つ。
《正解、ふふふ》
賢くないから男爵らしい。
けれど、別に私はいいと思う。
賢くて優しくないより、賢くなくても優しい方が良い。
それに、ラウムは賢くないワケじゃない。
ラウムは愛を理解してしまうと、相手の寿命に合わせて死んでしまうだけ。
ぽっかりと穴が空いていて、埋まると幸福のあまり死んでしまう。
そしてまた、分からないラウムとして生まれ変わり、愛を探す。
「見付かりそうか、ラウム」
《全然、でも出逢える気がするの》
彼女にとって、大切なモノは全て宝。
友人、自身、この世界が彼女の宝。
彼女の宝を破壊しようとするモノは全て敵となり、尊厳も何もかもを破壊する、優しい悪魔。
『ラウムは優しくて良い子です、きっといつか見付かります』
《ならヒナ様も、ふふふ》
友の為に戦う者は居るけれど、彼女程、徹底的に破壊してくれる者はそう居ない。
宝に価値が有れば有る程、じっくりと、跡形も無く破壊してくれる。
その事を私は会った瞬間に理解した。
先代の愛、そして彼女の愛を理解した。
彼女に愛は宝として存在している。
けれど、欲しいモノは他者からの愛。
身内には決して与えられない愛。
「ラウム、仕事の合間にお手伝いしてあげなさい」
《はい、一緒に美味しい物を食べて、楽しく過ごしましょうね》
『はい』
彼女は私と同じ。
記憶の引き継ぎがほぼ行われていない、稀有な存在。
羨まれ、悲しまれる、憐れな存在。
「ラウム、仕事は何だ」
《あ、私は宝の探知と追跡、それと管理と破壊》
叩き付けるには、持ち上げ無ければならない。
砂よりも細かく粉々にするには、丁寧に時間を掛け、ゆっくりと磨り潰すしか無い。
分からせる、だなんて、私には無理。
『きっと私には不向きです、宝の管理はラウムが1番』
《ふふふ、そうなのね、ありがとう》
宝の価値、扱い方を知らなければ、その扱いは難しい。
彼女は愛を知っている、けれど得れば死んでしまう、悲しい悪魔。
「例の、灰色兎を紹介してはどうだろうか」
『あ、はい、私のお気に入りを紹介します』
《ヒナ様の宝ね、楽しみ》
彼女は悪魔としては不完全では無い。
こうして知るよりも前に理解している、叡智と繋がり、らしい状態で存在している。
そう、不完全なのは人種としての知識、経験。
《宜しくお願い致します》
『彼女に触らせて貰えますか』
《はい、どうぞ》
《はぁ、凄い、とても素敵な宝物ね》
『はい』
純真無垢なる魂とは、つまりは何も知らないと言う事。
産まれた後も純真無垢さを保つ事は、酷く難しい。
いや、向こうでは滅多に無い事だろう。
《気に入ったわ、私も、こんな素敵な宝を探しに行くわね》
『はい、行ってらっしゃい』
《うん、行ってきます》
悪魔が悪魔を愛する時、それは友愛であり家族愛。
ラウムが求める愛とは、全く違う愛。
『自由ですね』
「あぁ、ラウムは大人だからね」
『どうすれば早く大きくなれますか』
「何故、早く大きくなりたいのだろうか」
『何でも出来る様になりたいんです、恩返しがしたいんです』
「急ぐ必要が有るのだろうか」
『いえ、確かに、はい』
「必要な事は段階を経て得るべきモノ、君には全てが必要だ、この姿も何もかも」
『はい、分かります』
君は不完全では無い。
ただ、育ちを待っているだけ。
「私も、撫でて良いだろうか」
『あ、はい、どうしますか?』
《はい、構いません、どうぞ》
ラウム男爵が去り、暫くしての事。
俺はココの王に撫でられた。
ヒナ様の配下となり小型魔獣化の能力を得たんだが、このままで構わない、と。
そのお言葉に甘えた事を、正直、後悔した。
豊穣神の側面の有る悪魔の力は、人種と獣の血が多く混ざる者には、影響力が強過ぎた。
豊かさは安堵となり。
いつの間にか眠ってしまった。
そして気が付くと、ヒナ様と庭園の芝に引かれた上等な絨毯の上で、一緒に起き上がった。
『おはようございます』
《おはようございます、すみません、いつの間にか眠ってしまって》
「王の膝の上に頭をもたげ眠ってしまい、拗ねたヒナ様がアナタの腕の中に入り込み、お2人共眠ってしまわれたので。ココに移動となりました」
《すみません》
『私は拗ねてません』
「いえ、拗ねてらっしゃいました。私の時にはウトウトすらしてくれない、そんなお顔で潜り込んでらっしゃいましたよ」
『どうしてなのか納得がいかなかっただけです、何故ですか』
《それは、気を遣っていますし。王の手は大きく、温かかったので》
「小型化すればウトウトもするかと」
《はい、勿論》
『この手が、小さいから』
《それに豊穣、豊かさの影響かと》
『あぁ』
バアル・ゼバブ王には、様々な名が存在する。
バアル・ペオル、ベルフェゴール・又はベルゼビュート、そしてベルゼブブ。
そして七つの大罪に於ける、暴食、怠惰を司る。
《やっほー、ただいま》
『お帰りなさい』
「“どうも、灰色兎さん”」
《“はい、どうも”》
「どうでしたか、地獄巡りは」
《いやー、やっぱりネネちゃんは凄いなと思った、グロ耐性有るんだもん》
「そこですか」
《うん、第一印象はそこ》
僕はヒナ様から不便だろう、と1つの国の言葉を授けて頂いた。
ヒナ様が且つて生まれ育った国の言葉。
共用語には無い豊かな表現力が有り、与えて下さった事を感謝しています。
「まぁ、いずれヒナ様も行かれると思いますが、確かに下地は必要ですね」
《“あ、どうだった、王様”》
《“意外と、怖くは無かったです”》
《“おぉ、優しい王様なんだね”》
《“はい”》
「ご挨拶出来ずすみませんでした」
『いえ、恥ずかしがり屋さんだそうですから、気が向いたら会ってくれると思います』
「そうですね、滅多に人種には会われないとの噂ですから」
コレはバアル・ペオル、ベルフェゴール・又はベルゼビュートとしての影響を加味しての事だと思われます。
バアル・ペオルとは、ペオル山の主の意を持ち。
慈雨と豊穣の神として地の裂け目が儀式場、祭壇と看做されており、供物が捧げられ。
時には淫らな儀式も付随していた、との伝承が有り。
好色や性愛との関わりが有る事から、万年発情期を迎えられる人種には、滅多にお会いにはならない。
と、噂されています。
灰色兎やヒナ様が催淫の影響を受けなかったのは、成熟期、発情期では無いから。
だと推測されます。
「ずっと、王様なのでしょうか」
「はい」
『どうかしましたか』
「長年、重職に就かれてはご苦労も有るかと」
『いっぱい勝手に悪役にされたから、適材適所なんだと思います、名前もいっぱい有りますから』
《あ、そうなんだ》
『ベルゼブブ、バアル・ペオル、ベルフェゴール・ベルゼビュート。全部、王様の名前です』
《あー、何か聞いた事有るかも》
「それだけ有名無実と言うか、悪名無実なんですよね。単なる豊穣の神様だったのに、いきなり部外者が来て悪魔だー、邪神だーと」
《そりゃ家光さんも排除しちゃうよねぇ、だって地元の神様を全部悪者にされたら、各地で一揆が起こりそうだし》
「確かに、島原の乱はまだしも、各地で一揆は不味いですね」
『一揆って何ですか』
《各地に住む村人が、偉い人に一斉に反抗するの》
「しかも杵や農機具で、正に勇ましさ、荒ぶる鎌倉蛮族魂持ち」
『鎌倉蛮族』
「勇猛果敢、血気盛んな戦闘集団の事です」
『成程』
《私、ネネちゃんのせいで、ちょっと日本史が覆りそう》
「まぁ、先ずはココでの元寇の情報次第かと」
《じゃあ先生に聞いてみよう》
『はい』
僕も気になります。
穏やかだとされる東の国の元となった筈の、向こうの歴史に、蛮族なる言葉が有るとは。




