意思と思惑のチキンレース
女社長の毅然とした態度に思わず気おされそうになる俺たち
これは思った以上に難しいぞ……
通常交渉事というのは双方の意見や要望を出し合って妥協点を見出しお互いに歩み寄るものである
しかし向こう側の提示してきた条件は実質上の〈ゼロ解答〉といっていいモノであった
そもそもこちら側と交渉する気も無いという意志の表れだろう、さて、どうしたモノか……
「なるほど、ではそちら側の意志として、〈唯の司法試験に合格する為のバックアップはしない〉
という事で相違ないのですね?」
「ええ、そう考えていただいて結構です。もちろん空いた時間で司法試験の勉強をし
試験を受けるという事に反対はしませんし、個人的には応援いたします」
なるほど、そう来たか……しかしいくら唯の頭がいいとはいえ
忙しい芸能活動の合間を縫って司法試験の勉強をして合格できるほど司法試験というのは甘いモノではない。
大体わかって来たぞ、さっき聞いた〈今後の唯の活動方針〉の内容を聞けば
この女社長が唯にどれほど期待しているかわかる
でなければあれ程の好条件、事務所全面バックアップともいえる提案は出してこないはずだ
普通の芸能人であれば喉から手が出るほどの話であり破格の扱いと言っていい
つまり唯の事を【金の卵】と思っているのに違いないのである。
それに唯の態度から〈モデルの仕事に未練がある〉と見抜いているのであろう
だからこそこれ程強気に出ているのだ
だが同時に向こうもギリギリの交渉を続けている事に違いはない
唯がモデルに未練がある事はわかっていても、同時に唯の性格も把握しているはずだ
もし唯が開き直って〈そんな条件なら芸能活動なんか辞める‼〉と言い出したら元も子もないのだ
そしてそれは双方一番やってはいけない結果ともいえる、それは
ウインウインならぬロスロスと言い換えてもいいだろう。
しかし向こうサイドにしてみれば
〈今まで大した実績も無い小娘にこれ程の好条件を提示しているのだから
それを断るとか、一流芸能事務所としてプライドが許さない〉
という側面もあるだろう、ややこしいな……
「わかりました、ではその契約条件を書面にして出していただけないでしょうか?
一応確認をして、こちら側でも検討いたします」
俺の言葉に女社長の口元が一瞬ニヤリと緩んだ、しかし俺はそのまま言葉を繋げた。
「ですがこちら側といたしましても、その条件ではご承諾いたしかねると言わざるを得ませんね
念の為に確認するというだけで、おそらくお断りする事になるでしょう……
今まで唯が大変お世話になっていたのですが、本当に残念です」
俺はそう言って立ち上がった、思惑が外れた女社長は驚きの表情を浮かべ、唯は絶望的な顔を見せた。
「ちょっと、駿介……」
その瞬間、俺は唯に向かってウインクした
〈話を合わせろ〉という意味を込めて合図を送ったのである
その意味をいち早く感じ取った唯は目で〈わかった〉という合図をする
まさか唯とアイコンタクトをする時が来るとは思わなかったが。
「ちょ、ちょっと待って、もう少しよく考えなさい」
予想外の展開だったのか、明らかに動揺している女社長
俺は立ち上がったまま彼女を見下ろすように言葉を発した。
「社長さん、唯の……【げんき保育園毒殺事件】の事はご存じですよね?」
その瞬間唯の表情はこわばり女社長さんの顔も険しいモノへと変化した。
「ええ、もちろん……」
「でしたら唯にとって〈弁護士〉という職業に並々ならぬ思いがある事はわかりますよね?
その辺りをご理解いただけない様であればいくら唯本人が〈芸能活動を続けたい〉
という意志を持っていたとしても、こちらでお世話になるわけにはまいりません、本当に残念です」
向こうがこちらとの交渉のテーブルに着く気すら無いと言うのであれば無理矢理にでも同じ土俵に引きずり上げてやる。
その手段として俺は〈一旦交渉のテーブルを蹴る〉という強硬手段に出たのだ
これは俺にとっても一種の賭けである、〈だったら、これでおしまいね〉
と向こうに開き直られたら元も子もないからだ。
〈芸能活動を続けたいのだろう?だったらこちらのいう事を聞け〉という向こう側の主張と
〈唯に芸能活動をさせたいのだろう?ならばこちらの要望を聞け〉
というこちら側の主張が激しくぶつかる
両者同じ様なことを思い、互いに相手が〈尻をまくってしまったら終わり〉という不条理なチキンレース
俺と女社長は当の本人である唯を差し置いて激しく火花を散らせた。
だがそれなりの効果はあったようだ、向こうの女社長も先ほどまでの余裕の表情とは打って変わって
厳しい表情を浮かべながら唇を噛みしめこちらを無言のまま睨みつけてきている
だがここで怯んでしまっては意味がない、俺は立ったまま冷徹な視線で相手を見下ろし
〈こちらが若い素人だからって舐めるな‼〉という意志表示をした。
交渉事において一番いけないのは〈相手になめられる〉という事である
だからお互い必死でイニシアティブを取りに行った、さあどうだ、どう出る?
「はあ……わかりました、ではお互い建設的な話をしましょう」
大きくため息をついた後、女社長はその言葉を発した
ようやくまともな話し合いが出来そうである。
「ええ、こちらもそういった意向であれば異論ありませんよ」
俺は無理矢理笑顔を作り再びソファーに腰を下ろした
さて、ようやくここからがスタートである、しかしスタートラインに着くだけでこれ程疲れるとは……
気軽に安請け合いしてしまった事を少し後悔した。
「ではこちらから一つよろしいでしょうか?先程はこの唯に
〈唯には舞台やドラマといったお芝居の仕事や
トーク番組やグルメレポートといったバラエティ番組への出演
レコードレーベルへ所属しCDリリースや音楽配信を伴った歌手活動
各企業や各地域とのタイアップ企画など幅広い活動内容を視野に入れております〉
と、おしゃっていましたが、それは本気でしょうか?
確かに唯は頭もよく容姿も優れていますがどちらかと言えば不器用な人間です
女優やバラエティタレント、歌手といった様々な才能を持つ
マルチなタレント業には不向きだと思うのですが?」
俺の疑問に対し女社長は軽く頷いた。
「確かに、バラエティタレントや歌手といったモノに対しては
〈可能性の一つとして一度やらせてみたい〉という希望的観測にしかすぎません
ぶっちゃけて言えば〈上手くいったら儲けもの〉程度の期待です。
しかし私は唯には〈女優の才能がある〉と思っています
この子はモデルよりも女優になるべき人間だと確信しています
上手くいけば【大女優】と呼ばれる人間になる事も可能でしょう」
「私が女優に?」
唯自身も少し驚いていたが、俺も困惑していた
この唯が【大女優】だと⁉すぐ気持ちが顔と態度に出てしまう
この単純人間が?にわかには信じられないが……
しかしこの【オスカルプロモーション事務所】には数々の女優が所属している
中には【大女優】と呼ばれている人もいる、それらを育てた敏腕社長が
〈唯に才能がある〉と言っているのだ、まんざら嘘や冗談ではないだろうし
それならばここまで唯に執着するのもわかる。
これ程の話を蹴るというのか?それが本当に唯の為になるのか?
と少し戸惑ってしまった俺はチラリと唯の方へと視線を移した
すると唯は無言のまま俺の方をジッと見つめている
その目は〈私の意志は変わらない‼〉と訴えていた
何を迷っていたのだ、俺にできる事は唯の希望をできるだけかなえてやるように交渉するという事だけだ。
「お話はわかりました、大変ありがたいお話だとは思いますが
それを今すぐというの は時期尚早なのでは?と思うのです」
「どういう事かしら?」
「女優に必要な事は感情移入が出来る事、勉強熱心な向上心
そして自分の感情をコントロールする事と聞いたことがあります
しかしこの唯にはまだそういったモノは足りません
大学生活と司法試験の為の勉強、そして年を重ねる事によって
人間としての深さというモノが出て来ると思うのです。
弁護士を目指しながら大女優になれる程、容易いモノだとも思えません
本人としても司法試験に受かってからも弁護士とモデルを両立したいと考えておりました
ですので司法試験合格後改めて弁護士と女優の両立を目指すという方向ではどうでしょうか?」
う~ん、我ながらとんでもない事を言っているな、【大女優】と【弁護士】の両立?
なんだよ、それ⁉だけど唯ならば……と思ってしまう
コイツなら常人では到達不可能な高みであってもサラリと駆け上っていく様な気がする
そう思わせてくれる、期待させてくれる何かを持っているのだ。
俺自身もいつの間にか唯に対して大きな期待をしている自分に気が付いたのである。
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