19 ノアの哀しき咆哮
戦略的に「42高地」とだけ名付けられた何とも味気の無い丘が今、地上人とシングの思惑の中で激しい爆発と炎上を繰り返している。
42高地と言う名の丘に立つのは地上人の軍勢。
そして丘を下ったなだらかな平原に陣取るのは『ザ・シング』と呼ばれる魔装機械生命体たち。攻撃的八本足ではなく、拠点防御用の人型機械が魔装銃を構えている。
その二つの相入れない勢力が、互いに睨み合う距離はおよそニキロメートル。
そのたかだか二キロメートルの距離において、地獄絵図が繰り広げられていたのである。
丘の上に立つ地上人の軍勢……絶対神の旗を掲げたレクスレフィ教導団の戦士が横一列にズラリと並び、その背後には王立陸軍の歩兵部隊が列を成している。その数およそ二千。
そして迎え撃つシングの側も二千ほどの機械兵士が集っており、草原の朝露を照らす太陽にスチール製の身体を輝かせているのだが、抹殺行動を開始してはいない。
そう、未だに両軍勢は互いを見据えたまま具体的には動いていないのだ。
何故なら、両陣営の間で蠢く地上人側の部隊。AW–SAU部隊の無謀な特攻前進を見詰めていたからだーー
今から三十分ほど前、等間隔で横一列になったAW–SAU部隊は、レクスレフィ教導団の命令に従いシングの陣地に向けて前進を始めている。
教導団の神官兵士たちは魔装小銃を構え、照準の狙いをシングにではなく、AW–SAUの兵士たちに定めている。臆してその場にとどまったり、身を翻して退却した際には、容赦なく射殺せよとの命令が発せられている。
つまりAW–SAU部隊約三十名の兵士たちは、恐怖の前進命令を行動に移す事により、魔装地雷を踏んで死ぬか、脅えて逃げ出して射殺されるかの選択肢しか無いのだ。
ーー運良く地雷源を突破し、シングが放つ弾丸の雨をかいくぐって、命令通り敵陣地に肉薄したとする。そんな兵士はとてつもなくラッキーなのかも知れないが、一人で生き残ったとしてどうなるかと言う問題がある。防御に徹していたシングが前進を始めれば、ゾウに立ち向かうアリのように、たやすく踏み潰されて人生終わりなのだ。
希望が全く見い出せない極めて無理筋で絶望的な命令
昨晩、地雷源があるからと退避しただけなのにこの仕打ち
貴様らの異能力で何とかして見せろと言う、突き放された者たち
そう、「AW–SAU部隊は使い捨てされる人々」「犬死にさせたところで心の痛まない人」……そう言う者たちで構成されていたのである。
◇ ◇ ◇
至るところで爆風と黒煙を吹き上げ、真っ赤に染まる42高地の下り斜面。シングの用意した魔装地雷は一種類ではなく、様々な多彩なギミックをもって、AW–SAUの兵士たちを血祭りに上げ始めた。
KCMのジャミングは思いのほかフルパワーで、異能の戦士たちですら力が封じ込まれている。自分の固有能力を発揮出来ない兵士たちにとっては、がんじがらめのまま、死刑場に向かって歩けと命じられたのに等しい状況だった。
脅えながら恐る恐る前進する老兵が、隠されていた魔装地雷の魔法円を踏むと、老兵を前後して魔法円から突如、二枚の大きな土壁が現れた。
「ひ、ひいっ! 」
それが彼の最後の言葉である。
老兵はそのまま二枚の壁にバチン! と挟まれてペチャンコになり、土壁同士の隙間から血の噴水を吐き出させたのだ。
「ひやあっ! 義文さん、義文さんがやられた! 」
老兵の断末魔を隣で見てしまった兵士が、叫びながら我を失い狼狽えていると、残念な事に彼も魔法円を踏んでしまう。
すると今度は、人の二倍も三倍もありそうな巨大な氷の花が咲く。ーー無数の氷柱が魔法円を起点として爆発的に吹き出し、兵士の身体を幾重にも刺し貫きズタズタにしたのだ。
「カールだ、今度はカールがやられた! 」
「ちくしょう、ちくしょう! 何で俺たちがこんな目に? 」
「隊長、隊長! 俺もうヤダよ! 誰か助けてくれよ! 」
次々に仲間が死んで行く光景に耐えられなくなったのか、一人の兵士が泥だらけの顔を鼻水と涙で洗いながら半狂乱となってその場で笑い出す。
レクスレフィ教導団の命令通り前進を続けなければ「懲罰的処刑」が待っている事もあり、立ち止まる彼に気付いた周囲の仲間たちは、彼に歩け! 前に進め! と声をかけるのだが、笑い出した兵士は足を止めたまま。
その内、笑い続ける兵士に気を取られ過ぎたのか、よそ見をしていた兵士たちが次々に爆散して行く。
「落ち着け! 自分の足元をしっかり見ろ! 今は自分が生き残る事だけを考えるんだ! 」
AW–SAUの隊長らしき人物が仲間たちを鼓舞するも、兵士たちの動揺は収まる事無く恐慌へと突き進んでいる。
あちこちから爆発や炸裂、魔法円発動の音が聞こえ、空から仲間の手足や頭が血の雨と一緒に降り注ぐ中、背後からパラララと銃撃が聞こえた途端、笑い狂っていた仲間の笑い声もとうとう途絶えてしまった。
仲間を激励しながら、仲間たちの見本であろうと、毅然とした態度で一歩一歩足を進めるAW–SAUの隊長。ヘルメットの隙間から乱れた金髪が爆風に舞う女性兵士なのだが、彼女の周辺に並ぶ兵士たちはその気高さに感化されたのか、比較的動揺を抑えつつ自分の足元を確認しながら歩いている。
だが、いくら落ち着いていると言っても、時間が経てば……そして仲間がどんどんとミンチ肉になって行けば、おのずと焦りの心は形となって現れるのだ。
「ノア、ノア! どうだ、君の能力は出せないのか! 」
「ノア、頼む! ディメンション・リビルドで、地雷源を切り開いてくれ! 」
「俺たちの力じゃダメだ、力が、力が出ないんだよ!」
「ノア、早く! 頭がおかしくなっちまいそうだ! 」
右の列から、左の列からも聞こえて来るノアを呼ぶ叫び声。
五大元素魔法ではなく、神聖魔法でもなく、異世界から持って来たチート技も何もかも全てが否定されてしまった環境の下で、兵士たちが最後に頼ったのは最年少兵士のノア・ホライゾン。彼だけが有する唯一無二の魔法を待ちわびている。
だが、仲間の最後の希望と期待を一身に受けるノアの姿がおかしいのだ。
トボトボとうつむいて歩くのは普段通りだとしても、その表情には大きな違いがあった。目をカッと開いて血走らせながら口を大きく開き、驚愕の表情でガタガタと震えていたのである。
“出ない……出ない! ディメンション・リビルドが発現しない!”
今までどんな局面でも、どんな不利な状況でも仲間たちを救って来た謎の系統魔法。次元空間を切り取りするディメンション・リビルドが、今回に限り何故か発動しないのだ。
“何故だ、何故これだけ念じても発動出来ない。このままじゃ部隊は全滅する! ”
手も足も、膝も背中までもに恐慌の震えは広がり、ノアは腰が抜けそうになるのを自覚する。だがその場に座って前進命令を拒否すれば、その後どういう結末が待っているのかは痛いほど理解している。
だめだ、とにかく魔法を発現させてみんなを助けなきゃーーと 最大級のディメンション・リビルドを念じながら、ふと足元を見る
するとそこには、地面をえぐった小さな跡がある。人の手や機械で掘ったのではなく、綺麗な半休、同心円を描くような穴が、手のひら程度の大きさで出来上がっていたのである。
ノアはその穴を見たところで何かに気付き、そして完全に絶望した。
……これが今のディメンション・リビルド。僕の能力は枯れてしまったのだと……
「ギャアア! 俺の足が、足が! 」
「この世に神はいないのか! 」
悲鳴や怒声が入り乱れ、爆風や血しぶきと肉塊の雨あられが降り注ぐこの生き地獄に更なる恐怖が訪れる。
ーー数名の兵士が口々に、AW–SAUの隊長の名を叫び始めた。焦りと恐慌を過分に含んだその叫び声。仲間たちの模範であり心の支えとなっていた隊長が、とうとう魔法円を踏んでしまったのだ。
「隊長! 」「ケイトさん! 」……ノアを含む何名かの兵士たちが慌てて叫ぶも、時すでに遅し。
隊長の周囲に光輝く『鳥かご』が現れたかと思ったら、その鳥かごは隊長を包んだ後にギュ! っと魔法円の中心に向かって収縮して、跡形も無く消えてしまったのである。
悲鳴を上げる間も無く、隊長の身体は細かな長方形に分割されてポロポロと肉塊がこぼれ出し、やがてドチャアと血だまりの中に沈んでしまった。
「隊長……ケイトさん……ぎゃあああああ! 」
ノアは怒り狂いながら空に向かって吠える。
仲間の兵士たちには常に公平で、人望の厚かった隊長が死んだ。周りに誰もいない時には、まるでノアを息子や弟のように接してくれた優しい隊長、悪夢のような人生の中でノアが一番慕う人が死んだ。
ノアはそのやりきれない怒りを咆哮で吐き出したのである。
“義文さん、カール、アレクサ、小林君、ヘンリー、ウルマス、アラン……そして隊長、ケイトさん! ”
「ギャアアアアアッ! 」
目の前でいとも簡単に肉塊と化した者たち。二度と動かずに微笑みすら投げてくれない者たちの名を叫びながら、ノアは再び獣のように咆哮し、そして『目を覚ましながら』ビクリと電撃的に起き上がろうとする。
ーーゴチン! ーー
額に強烈な痛みが走り、目から火花が出る。
同時に、耳元で「ぐほあはあっ! 」と言う少女の苦悶の呻き声が聞こえた。
起き上がって振り返り、呻き声の主を確認すると、そこには最近出会ったばかりの少女、カティ・クロニエミがゴロゴロと転がりながら悶絶する姿が見えたのだ。
自分の身に一体何が起きたのかを悟ったノアは、自分の額を抑えながら彼女に近寄り、大丈夫かと尋ねる。しかしカティは自分の心配をしてくれるのは嬉しいがと、涙がちょちょぎれる顔で遠くを指差したのだ。
「ノア君! 隊長とマデレイネさんが苦戦してる! ノア君の傷は治したから、あの上級タイプってのを何とかし……」
カティが言い終える前に、ノアは一陣の風となって彼女の前から姿を消した。
彼は自分の新しい武器である三八式エンハンサーをがっちりと握り、ユリウス隊長たちの元へ全力で駆けて行ったのだ。