12 帰路 ラッキー&バッド
サンウォルソールの空がオレンジ色に焦げ始めた頃、それまで街を覆っていたムンとして焼けた空気が冷え始め、夜の到来を予告しているのだ。
そしてシング迎撃に成功した王立警備打撃群の隊員たちも、二台の兵員輸送車を連ね、その車体をオレンジ色に染めながら、一路駐屯地に向かって軽快に車輪を回している。
運河に出現した八本足の迎撃はあっという間に終わった。Aチームに入隊したばかりのド新人、ノア・ホライゾンと言う名の少年が一刀のもとに斬り捨てて終了してしまった。
背後でそれを見ていたAチームの隊員や通常班の面々は度肝を抜かれて静まり返るも、新たな絶対的前衛アタッカーの出現に諸手を上げて喜び、ノアの入隊を心から歓迎した。
首と胴体を真っ二つにされた八本足の残骸。魔力ジャミング装置KCMを搭載した新型がほぼ原型ねまま入手出来たのは、奇跡以外の何者でもないと首脳部は喜び、八本足を王立警備打撃群の研究部に運び込む事を命令した。
八本足運搬車両の到着と、その車への八本足積載作業。彼ら隊員たちがやっとこさ全ての業務を終わらせ、駐屯地への引き上げを始めたのが、まさしくこの夕暮れ時であったのだ。
王立警備打撃群Aチームの兵員輸送車、仕事をやり切ったと言う充実感に包まれながら、隊員たちは夕方の涼しげな風に髪を揺らしている。
隊長のユリウス、ハイエルフのエステル、そして獣人のマデレイネはぼんやりと外の景色を眺め、元気娘のカティと隣に座るノアは、爽やかな空気に睡眠欲をくすぐられたのか、目をシパシパとまばたかせながら、こっくりこっくりと頭を動かし始めている。
ノアの引率係として隊に同行して来たカテリナ中佐に至っては、肉体労働などしていないのに、頭を完全に沈めて熟睡していた。
闘いの後の穏やかに流れる時間
八本足を倒したのはノアだが、ノアとカテリナ中佐を除くメンバー全員は、昨晩サンウォルソールの街中でシーカータイプを激闘の上撃破している。
ロクに寝ていない上で八本足の残骸を運搬車両に積み込む重労働をかさねたのだから、疲労の限界点が来ていてもおかしくはない。ーーあの元気娘と呼ばれるカティですら、フラフラなのだから。
「……うっ! ……」
ノアが身体をビクリと震わせながら呻く。どうやら身体に負荷がかかる体制で睡眠に落ちたため、身体が電気的に反応したらしいのだが、ちょうどそこで反対側に座るマデレイネと目が合った。
「基地までまだ時間あるから、寝てて良いぞ少年」
マデレイネは口元に笑みを浮かべているが、それは睡魔に勝てないと嘲る侮蔑の笑みではない。鬼神のごとく剣を奮った少年が、年相応の可愛らしい寝顔を見せたノアへの素直な反応だ。つまりマデレイネの母性がくすぐられた事を意味している。
ノアは頬を赤らめながら「うん」と、喉から絞り出した弱々しい声で返事をし、再び頭を下げて睡魔の誘いに身を任せる。ーーいや、任せたはずだったのだが、ここで彼の身に予期せぬトラブルが起きた
左の肩にワサリと覆い被さる何かに動揺するノア。
彼の左頬にまで達するそのサワサワとした感覚は、どう考えてもカティの頭ではないか。
“もしかしてカティは、僕にもたれかかって寝ている? ”
そう察したノアではあるが、理解出来たからと言って落ち着いていられる訳が無い。何故なら、ただでさえ他者とコミュニケーションを取るのが苦手で常にうつむきがちな少年が、無防備な女性が身を任せて来たこのシチュエーションに冷静でいられる訳が無いのだ。
ノアの鼓膜をくすぐる、スウスウと言う可愛い寝息、そしてサラサラと頬を撫でる細い髪の毛。今まで嗅いだ事の無い甘くて幼い香りが鼻腔を刺激している。
そしてトドメとばかりに左腕に感じる柔らかな弾力……脇目で確認するとカティの胸が密着しているではないか。
「う、ううう……」
顔を真っ赤にしながら目をグルグルと回すノア。耐性が無いとはまさにこの事で、気持ち良く寝ている彼女を起こしてはいけないと心に思えば思うほど、この場から逃げ出したいと言う気持ちも爆発的に膨らんで行く。
“逃げたい、でも逃げちゃいけない”
その感情のせめぎ合いが臨界点に達した時、ノアだけでなく、この兵員輸送車に乗り合わせた仲間たち全てに悲劇が訪れたのである。
「……うぷっ……ゴフッ……」
“おろろろっ! おろろろろっ! ”
「ギャアア! ノアが、ノアがゲロ吐いた! 」
「マデレイネ、騒ぎ過ぎるな! ノア君が可愛そうだろ」
「どうしたノア、車は苦手か? 車酔いか? 」
「みんな窓開けて! 確か雑巾があったはず」
夕暮れ時のまどろみを破り捨て、騒然となる兵員輸送車。
誰もが眠気を弾き飛ばして慌て、そして騒ぎ、そしてしまいには笑った。ーー虫の息のノア以外
消えそうなほどに弱々しく儚げでいて、そして誰よりも強い少年、ノア・ホライゾン。
彼にまつわる大量の謎を残しながらも、新たな仲間たちに受け入れられたノア。王立警備打撃群での新たな生活がスタートしたのであった。
◆ ノア・ホライゾン 編
終わり