10 武器ではないが武器になる 三ハ式エンハンサー
『八本足』とは、地上人殲滅を目指す魔装機械生命体ザ・シングにおける、一番ポピュラーな存在である。
この世界に魔装機械生命体の存在を知らしめた最初の存在であり、大量生産された八本足は古くから地上人たちにとって恐怖の代名詞なのだ。
全高約三メートル、八本の足を全て伸ばすと全長七メートル四方まで広がる鋼鉄の蜘蛛は、八個の瞳を持つ頭の代わりに蜘蛛の胴体にヒトの上半身が座り、古の妖怪アラクネの姿形を想像させる。
だが、妖怪絵に似ているからと言って、『八本足』を妖魔のたぐいと混同してはいけない。ヤツらはあくまでも魔装機械生命体であり、魔法で動く心臓を持った鋼鉄製の知的生命体であるーー 八本足に関しては、知能の高さはあまり見られないが
今、サンウォルソールの街と、内地と呼ばれるシャンタル大陸を分断するこの巨大運河を、八本足が渡って来る。
極力本体が塩水を浴びないようにと、サーフボードのように扁平なフローティングタンクに乗り、セフェリノ半島の最東端であるこの街を目指して来ている。
目的はもちろん一人でも多くの地上人を屠る事。殺戮する事を目的として生まれた機械生命体が、本来の役目を果たそうとしているのだ。
そして、サンウォルソールの街の東、運河の河川敷には、殺人マシーンを迎え撃つための準備が整った。
運河監視部の通報により上陸予想地点に駆け付けたのは、王立警備打撃群の隊員たち二班。
ひと班は通常編成の分隊十名で、重装鎧の戦士と武装神官を前衛に、剣士と弓兵と魔術士によるダブルパーティがフォーメーションを組んでいる。
そして、もう一つの班こそがAチーム。五大元素魔法の輪から吐出した異能の者たちで編成されたAチームが、運河を目前に身構えていたのである。
しかし、このAチームの面々、何か様子がおかしい。
本来ならば隊員それぞれが独自の武器を手に、いよいよ迫って来るシングを迎え撃つべく、好戦的な瞳を爛々と輝かせているのが普通なのだが、今日だけは何故か、第三者的な距離を取る冷え冷えとした色を瞳に浮かべている。それもそのはず、派手に暴れてやると気合いを入れて赴いた戦場が、いつの間にか新人隊員のテストバトルの場に変わってしまったからだ。
その新人の名は“ノア・ホライゾン”
真夏の炎天下にも肌を晒さずに隠す少年
老人のような生気の無い真っ白な髪に、ところどころ黒髪を残す「まだら模様」の少年
白髪だけならまだしも、生気の無い表情とオドオドした弱気な態度が、本当に陸軍の軍人上がりなのかと疑問を抱かせる少年
ーーだが彼は、独りで闘ってみせろと言われ、躊躇なく分かったと答えてここにいるーー
自分で背負って来た細長い箱を開け、見た事も無い形の剣を取り出す。ユリウス隊長以下、背後に並んで見詰める隊員たちは、それが一体何なのか興味津々なのだが、口から質問が出て来ないでいる。
間近に見えて来た八本足が、今にも襲い掛かって来るこの状況。たった独りでの闘いを目前にしているのに、何ら慌てもせず焦りもしないノアの挙動に、多大な違和感を覚えていたのだ。……死ぬかも知れないのに、この余裕は何だ? と
「ノアが手にしているのは、武器ではありません」
Aチームの隊員たちに流れる空気を悟ったのか、カテリナ中佐が説明を始めた。
彼が箱から取り出した“いびつな剣”、まるでライフル銃の銃身を外して直刀の刃を取り付けたようなその剣を、カテリナは武器ではないと口走った。そして言ってる意味が分からないと、ポカンとして見詰める隊員たちに、更に説明を続けたのだ。
「これは剣でも魔装銃でもありません。ノア・ホライゾン専用の能力発生補助器具、三八式エンハンサーと呼ばれています」
「能力発生補助器具……ですか? 」
「はい。元々の彼はエンハンスツールなど用いる必要などありませんでした。以前ならシングの大群を思うがままに切り裂いて撃破したのですが、今の彼は……」
ーーシングの大群を切り裂いたとか、この人サラリと凄い事を言ったぞーー
ユリウス隊長以下、マデレイネやエステル、カティはまさかこんな少年がと、目を見開いて驚いている。
「今の彼は、この三ハ式エンハンサーのサポートが無いと、自分の能力を目覚めさせる事が出来ない」
ノアの能力とは一体何か? どのような力を使ってシングの大群を撃破して来たのか。この場にいる隊員たちは芽生えた好奇心に背中を押される
「カテリナ中佐、ノア君の能力とは何ですか? 」
隊員たちを代表した訳ではないが、至高のエルフであるエステルが一早くこの疑問を言葉に変える。
だが、思いも寄らぬ答えがカテリナから帰って来たのだ。
「ノア・ホライゾンの能力は、ナショナル・セキュリティ(国家安全保障) にランクされる国家機密です。事象を見るのは構いませんが、その事象について真実を追求したり口外すると、処罰の対象となります」
ーーナショナル・セキュリティ ランクだと? ーー
「もちろん、ノア本人から聞き出す行為もやめてください。これはあなた方一人一人の、身の安全について配慮した発言です」
カテリナが傍らで説明している際も、ノアは無表情のまま淡々と闘いへの準備を行っている。
王立陸軍にも標準兵装として支給される魔装ライフル。黒色火薬の絶対量に乏しいこの世界では、弾丸に詰める発火剤に、火薬ではなく炸裂魔法を詰めるのが一般的であり、それが魔装ライフルと呼ばれる歩兵の主力武器である。
ノアが持つ三八式エンハンサーの後ろ半分も、まさに歩兵ライフルそっくりの形をしており、引き金があるか無いかだけの差である。
ノアはその三八式エンハンサーのコッキングレバーを握り、一度縦に回してガチャリと引っ張る。するとエンハンサーの“背中”にぽっかりと空洞が出来上がった。
「彼のエンハンサーは、この薬室に代用魔力カートリッジを繋げて発動させる事で、やっと武器に変わるのです。それも、彼だけが持つ事を許された、唯一無二の無敵の武器に」
カテリナが説明した通り、ノアは箱からカートリッジを取り出し、それをエンハンサーの背中に差し込んでコッキングレバーをガチャリと押し込む。そしてまだ箱に入っていた予備のカートリッジを腰のベルトに付いている専用ホルダーに何個も差し込み、運河を睨む事で準備が完了した事を告げる。
「……見えて来た。多分あの八本足はジャンプして襲って来る。みんな危ないから後ろに下がって」
ーーいよいよ、ノアの能力の一端を垣間見る機会がやって来たのである