第143話 お泊まり会 第3部
翌日の朝、目覚めは最悪だった。
せっかくのお泊まり会だったのに雰囲気をぶち壊したことを謝罪して、あの後すぐに寝てしまった。
だけど、涙目になった美月に責め立てられる夢なんて、いくらなんでも酷すぎる。
まだ怒られる方がマシなのに、あんなに辛そうに責められると、いくらなんでも心にくる。
(ダメだ…。顔でも洗ってこよう)
相変わらず布団をかぶったまま寝ている美月を見つめながら、私はそっと布団から出る。
横で気持ちよさそうに眠っている葉月を起こさないように静かに…。
そのまま洗面台へと直行し、乱暴に顔を洗う。
鏡に映っている女の子の顔は歪んでおり、今にも泣き出してしまいそうだ。
しかし、その場に泣き声が広がる前に、もう1人の女性がその場へと足を運んできた。
「あら?皐月ちゃんよね?おはよ」
「…紅葉のお母さん…。おはようございます」
その女性の正体は、スーツを着てピシッと決めた紅葉のお母さんだった。
咄嗟に顔をタオルで拭き、ペコリとお辞儀をする。
「真里でいいよ。それにしても、随分早いわね。まだ7時前よ?」
「なんか、眠れなかったんですよ…。お仕事ですか?」
「ん?あ、そうそう。うちの上司がさ『どうしてもお前が必要だ!』とか言って呼び出してきたんだよ〜。今日は一日皆とお話ししたかったのに!」
「…大変ですね」
大真面目にそんなことを言っている30代後半くらいの女性に、内心少しだけ呆れる。
やっぱり、紅葉のお母さんだわこの人…。
「そんな皐月ちゃんは?なにかあったの?」
「...え?どうしてですか?」
「だって、辛そうな顔してるから。離婚したくないけど、離婚が決まった奥さんみたいな顔してるよ?」
「なんですかその例え…」
「え、なんかパッと思い浮かんだから」
この人を見ていると、大人とはどういう人のことを言うのか少しだけ分からなくなる。
そこら辺の女子高生に混じっていても、話の内容だけを聞いていれば分からないのでは…。
「なにか悩みがあるなら聞くよ?少しくらいなら時間あるし!」
「え...。いや、でも…」
「大丈夫だって〜。私、こう見えても優秀な弁護士だから!女子高生の悩みくらいどうとでもなるって〜!」
胸に手を置きながら自信満々にそういう真里さんに、一瞬だけ胡散臭さを感じる。
だけど、別に美月本人じゃないから…相談するのも、ありなのかもしれない。
こういうのは、話を聞いてもらうだけでも楽になる場合があると、前にネットで見たことがある。
「実は、色々あって友達にとても辛い思いをさせてしまったんです。そのことで、ちょっと…」
「友達っていうのは、あの美月って子?」
「...そうです。なんで分かったんですか?」
「人を観察する目には自信があるんだよね〜。それで?辛い思いをさせたって言うのは?」
少しだけ真剣な顔になった真里さんに、昨日までの経緯や自分の思いをなるべく簡潔に話して行く。
所々相槌を挟みながら、真里さんは私の話が終わるまで静かに聞いてくれた。
話の途中で、思わず自分の女々しさに憂鬱になった時でさえ「ゆっくりで良いよ」と言ってくれた。
巣の話し方からは想像もできないほど優しい、それでいて頼り甲斐のある声だった。
失礼かも知れないけれど、さっきまでとのギャップで少しだけ混乱する。
「…という感じです。実際、私が海外に行くのはもう確定していますし、美月を連れて行くのは、時期的にも精神的にも無理です。なので、どうしたら良いのか分からなくて…」
「…なるほどね。じゃあ、私から質問ね?どうしたら良いのか分からない。それは分かった。その上で、どうするのが現在の最善手なのか、あなたには分かる?」
「…いや、分かってたらとっくにそうしてますよ…」
「いや、あなたは考えようとしていないの。現実から目を背けて、これ以上あの子を傷付けまいと、出来る限り干渉しないようにしているだけ。だから、一度しっかり現実に目を向けて考えてみるの。あの子のために、残された期間で何が出来るのか、何をするのが一番あの子のためになるのかを」
「そんなこと、言ったって…」
「今のまま離れても、あなたは多分一生後悔するよ?数年後、あの時ああしていれば良かったとか思う時が必ず来る。しかも、その子はあなたにとって大事な子なんでしょ?なら、そんな後悔を背負って生きていくの、今より苦しいんじゃない?」
...確かに、この人の言うことは正しいし理解できる。
だけど、これ以上私が何をしても美月のためになるとは思えない。
一番良いのは、私が海外に行くのを辞めることだろうけど、それをすると自分が壊れてしまうと理解している。
行っても地獄、行かぬも地獄だと言うのなら、もう八方塞がりで術がない。
「恋なんて、円満に行く方が珍しいんだから、そこまで難しく考える必要はないんだよ?自分のとった行動がどうであれ、それで相手がどうなるかなんて分かるわけ無いんだから。大事なのは気持ちってよく言うでしょ?相手のことをどれだけ考えられるか。結局、その一点だと思うの」
「…なんですか急に」
「良いから聞いて?誕生日プレゼントを贈る時だって、相手が喜ぶかどうか分からないけど、とりあえず渡すでしょ?品物はどうであれ、大事なのはその気持ちなの。プレゼントがあるのと無いのじゃ、全然違うのよ?それこそ、欲しく無いものだったとしても、気持ちだけで嬉しいって人は一定数いるの。分かる?」
「…結局、何が言いたいんですか?」
「だからね?あなたが一番あの子のためになると思ったことを行動に移して失敗しちゃったとしても、今よりは大分気持ちは楽になるんじゃ無い?ってこと。少なくとも、何もやっていない現状よりは、大分マシになると思うよ?あなたが自分のためにどれが最善手なのか考えてくれた結果起こした行動なら、それは必ず相手に伝わるから」
そんなのは綺麗事。そう一蹴するのは簡単だ。
実際、私は半分ほどそう思ってしまっている。
こんなに真剣に私のくだらない相談に乗ってくれて、ここまでしっかりとした答えを提示してもらっているのに、私は綺麗事だと。そんな上手いこと行くわけがないと思ってしまっている。
だけど、もう半分で、どこかそうなって欲しいと願っている自分もいる。
綺麗事だがなんだろうが、現状が打開できるのなら、やる価値はあるのではないのか。
一考してみるのも良いのではないか。そう考えている。
「だけどもし、私が出した結論が間違っていたら…?それが美月にとって、最善手じゃなかった時は…?」
「そんなの関係ないの。大事なのは、あなたが自分で考えてそれを実行することなの。本当に最善手なのかは問題じゃなくて、大事なのはその過程や気持ち。そんなに心配しなくても、あなたなら大丈夫」
「…根拠は?」
「私の経験則。あなたは、ちゃんと正解を導き出せる人。そう、私は確信してる」
「そう…ですか」
そんなことを言われても、自信なんてない。
人の恋路を考えるのは得意だ。それでアドバイスを出すのも得意だ。
だけど、いざ自分のこととなると、どうしたら良いのか分からなくなるのが私なんだ。
そんな私が、正解を導き出せるだなんて…そうは思えない。
それでも、現状を変えるにはこの人の言うことを信じるしかないと言うのも事実だ。
「私はもうそろそろ行かないとだけど、最後に一個」
そう言うと、真里さんはいきなり私を抱きしめる。
優しく頭を撫でて、耳元で小さく囁く。
「今まで、よく頑張ったね…。辛かったでしょ…」
その一言で、私の感情は爆発し、その場に座り込んでしまった。
真里さんはそんな私を残し、洗面所を後にした。
数分後、2回目の洗顔を済ませた私は、気持ちを切り替えて、全員が起きてくるまで、1人で考えることにした。
今の美月に、これ以上辛い思いをさせないためにはどうすれば良いのか。その答えを…たった1人で。
次回のお話は3月11日の0時に更新します。