第137話 残される者
今回のお話は葉月ちゃん視点でのお話になります。
お姉ちゃんが泣いている。そう気付いたのは割と早かった。
声になぜか悲しそうな雰囲気が混じってきて、最後には海外に行く本当の理由と称して自分の失恋を語り出した。
実際、私はお姉ちゃんが失恋したことは知っていた。
公園で時々悲しそうにしていたあの姿を見れば想像するのは簡単だった。
最近は甘やかして欲しいと頼んでくることも多くなったし、今考えればそれは、お姉ちゃんからの救援信号だったんだ。
お姉ちゃんは自分では大丈夫とか言っておきながら、全然大丈夫じゃないことが多い。
そんなことは、家族の中でも私が一番よく知っている。
なのに、膝枕の快感に負けてそれに気付かなかった私にも責任がある。
海外に行くのは、前から興味があったからと言っていたけれど、それが嘘だとわかってから、私はこのどうしようもない気持ちをどこにぶつけたらいいのか分からなかった。
実際、お姉ちゃんが本当の理由を話してくれた瞬間、私の中で色々な疑問が繋がったのだ。
前々からお姉ちゃんの救援信号を何度も見ていながらそれに気付けなかった自分。
そのせいで、この世で一番好きな人が遠くに行く現実。
着いて行くと言っても、どうせお姉ちゃんは許可してくれないだろうことはわかっている…。
「お姉ちゃん…?」
「葉月、ごめんな?こんな、情けないお姉ちゃんで…」
ドア越しに聞こえてきたお姉ちゃんの声は、今にも消えてしまいそうだった。
思わず部屋から出て抱きしめたくなるけれど、お姉ちゃんを助けられなかった私に、その資格はあるのか…。そう考えてしまう。
だけど流石の私でも、ここでお姉ちゃんを自分の部屋に返してはいけないことはわかる。
多分、お父さんに言われて私を説得しにきたんだろうから…。
お姉ちゃんが海外に行っちゃうのは嫌だけど、お姉ちゃんの心が壊れてしまうのはもっと嫌だ。
なら、辛いけれどお姉ちゃんを送り出さないといけない。
これは自業自得。お姉ちゃんに甘えすぎたせいで、神様から取られてしまったんだ。そう思うことにしよう…。
「ねぇお姉ちゃん…?私も着いて行きたいって言ったら…どうする?」
「…ダメだ。葉月は私と違って良い人がいるだろ?それに、お父さんが猛反対する」
「どうしても、行くの…?」
「さっきも言っただろ?私は、自己防衛とかこつけて、好きな人から離れたいんだよ。だから、行く」
「そう…」
ここまで言ってダメなら、私がなんと言おうとお姉ちゃんは行ってしまうんだろう。
美月さんも一緒に行くなんて話は聞いてないから、おそらく私と美月さんを残して…。
その好きな人が誰なのかは知らないけど…少しだけ恨めしく思ってしまう。
もちろんその人のことを悪く言う気は無いし、お姉ちゃんの恋に口出しするほどの立場じゃ無い。
だけど、どうしても…恨めしく思ってしまう自分がいる。
そんな醜い自分が、私は一番嫌いだ。
「出発は…?」
「まだ…決まってないけど…。年末は向こうで過ごすと思う」
「そんなに早く…」
さっきクリスマスパーティの件で渋い顔をしていたのはこういうことか…。
どこに行くかまでは詳しく聞いていないけど、多分クリスマス前に出るんだろうな…。
いや、私がこんなに悲観してちゃダメだ!
お姉ちゃんとの残りの時間、いかに有意義に過ごすかを考えないといけないんだ!
二度と会えなくなるってわけじゃ無いだろうけど、それでも!できる限り思い出は作っておきたい。
何を言ってもお姉ちゃんの気持ちが動かないことは、さっき私が少し鼻声になった時点で察している。
なら、これ以上問答を続けても無意味だろう…。
「お姉ちゃん、今ドアの前…?」
「…そう」
「ちょっとどいてくれる?」
分かったと返事を聞いた瞬間、私は思い切りドアを開けた。
目の前には突然のことで驚いた顔をしているお姉ちゃんがいた。
だけど、私はそんなこと御構い無しに力の限り抱きしめた。
想像した通りお姉ちゃんの顔は涙で濡れていたけれど、私も同じだから変わらない。
「葉月!?ど、どうした…?」
「お姉ちゃんのバカ…」
長い言葉はいらなかった。
その一言で全てを察してくれたお姉ちゃんは、そのまま私を抱きしめ返した。
私は自然とお姉ちゃんの頭を撫でていた。
普通反対な気もするけれど、これは私自身のごめんねの気持ちだ。
それも察してくれているのか、特段お姉ちゃんが口を出してくることはなかった。
どれくらいそうしていたかはわからない。だけど、頭を撫でることに満足した私は、そのままお姉ちゃんを自分の部屋へと引きずり込んだ。
電気もつけていない真っ暗な部屋。
壁に掛けてある木製のボードには、お姉ちゃんとの2ショット写真がたくさん貼ってある。
「葉月…?」
「お姉ちゃんが行っちゃう日まで、毎日この部屋で寝て!それが、私が納得する最低条件!」
「…ありがと」
切なそうに笑ったその顔を見て、思わずまた泣きそうになったけれどそれを必死で我慢する。
ここで泣いてしまうと、せっかく色々我慢しているのが持たなくなりそうだった。
それにしても、美月さんを連れていかないのはなんでなんだろう…。
中学の頃から3人はいつも一緒だったのに…。
だけどそれは、なんだか聞いちゃいけないようなことな気がして聞けなかった。
「向こうに行っても、1ヶ月に一回は電話してね!?」
「もちろん…」
「一年に一回は帰ってきてね!?」
「できる限りな…」
「もう…」
それから私たちは、夕ご飯も食べずに2人一緒に眠った。
翌日、お姉ちゃんに抱きつきながら寝ていた自分の格好を見て、なんとなく恥ずかしくなったのは私だけの思い出だ。
次回のお話は2月21日の0時に更新します。