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 そもそも―――

 俺は、さほどインダス文明に興味はなかった。


 世界四代文明にカウントはされているが、他の3つに比べてインダスはどうしても地味さが(ぬぐ)えない。

 エジプトといえばツタンカーメンの黄金マスクの他、スフィンクスやピラミッド等、今でも一目で圧倒されるものが目白押しだ。

 メソポタミアは世界最古の文明としての優位性(アドバンテージ)がある。黄河は揚子江(ようすこう)遼河(りょうが) と合わせて東アジアの文化の祖と言えるだろう。それは司馬遷(しばせん)の史記の世界へ、そして現代中国へと連なっていく。


 ではインダスは?

 世界初の農耕でも定住生活でも王の誕生でもない。黄金の装飾品はほぼゼロで鉄器も精製されてない。文字もいまだ解読されない。

 インダスの文化は宝石の加工技術やカレーなど今のインド亜大陸に間違いなく受け継がれているが、他に比べるとアピールが弱い。

 21世紀の今に至って認知度が低いのは否めない。海野さんがメルッハを知らないのは当たり前だ。正直言えば薄々わかっていた。


 ただ、ドーラヴィーラの看板は違った。


 そもそもが横2.7メートル×縦0.3メートルとインダス文字でも異例の巨大さ、そして10の文字列。それだけでインダス文明では充分センセーショナルな訳で、形の面白さもあって図柄をすぐ覚えてしまった。


 自分にとってはそれだけだった。


 だが海野さんの引き込まれ方は異様だった。

 初めて会った時も、俺でなく文字を見ていた。

 女に顔をジロジロ見られるのは初めてじゃない。そこはかとない不快感はあるが、慣れてしまった所もある。

 だが、振り返った時に見た彼女の視線の先にあったのは、俺でなくドーラヴィーラの文字だった。

 黒檀(こくたん)を思わせる綺麗な光彩の瞳と共にそれが心に残った。

 もしやメルッハを知っている?

 学校でも受験でも四代文明の、さらにインダスなんぞ掘り下げる訳がない。案の定、教員はメルッハと聞いてもピンと来ていない様子だった。


 おそらく彼女もそうだろう。

 だが何故か予感があった。


 彼女なら、わかるのではないか。


 カノジョナラ?ワカル?

 ナニヲ?


 何かに期待する自分に気付くと妙に顔が熱くなる。

 放課後こっそり登校するのが待ち遠しいような気恥ずかしいような不思議な心地だった。


 果たして彼女は 教室で地球儀からインダス最大の遺跡、モヘンジョ・ダロのあるパキスタンに手を置き、インダスの地に思いを()せていた。

 つい嬉しくて止まらなくなったインダスの話も微笑みながら聞いてくれた。

 あの時の黒板の写真まで撮ってるのは内心驚いたが、画面を見つめる彼女はどこか神秘的で、不思議と美しく思えた。


 さすがにメルッハという言葉は知らなかったようだった。

 だが勘の良い彼女はすぐ、インダスの当時の呼び名と気付いた。

 心の中でガッツポーズを取る。

 彼女ならわかる。

 彼女となら話せる。

 彼女がいるなら、わかり合えるかもしれない。


 翌朝は高揚した気分で学校へ行った。

 彼女とのノートを手に、また話せる事を期待して。

 何故か彼女はインダスに引き込まれる。

 ならばと、数少ないインダスのコレクションをこっそり(しの)ばせてきた。

 彼女に見せたらどんな顔をするだろう。

 黒檀の瞳を(きら)めかせるんだろうか。インダスの鮮やかな世界を夢想するのだろうか。

 内心かなり浮かれていたのは認める。

 そして登校後、ほどなくして気持ちが(つい)えたのも。

 随時、周囲に人垣ができる。

 聞こえないとカミングアウトしてるのに話しかける輩、ひっきりなしにメモを渡す輩。

 俺は聖徳太子じゃない、お前らの話を一瞬で読み取れる訳がない。そもそも聞こえないし、沢山メモを渡されても全てに目を通すなんてできない。

 クラスの端に海野さんはいた。

 でも遠い。

 遠くで、何故か悲しそうな顔をしてる。

 なんで?どうして?せっかく学校に来たのに。

 耳が聞こえないのを理解しない奴らと、話せない海野さん。

 まるで意味がない。

 俺は一日どんな顔をしてたんだろう?

 疲れきって帰って来た俺の顔を見て、親は引いた。

 さぞや険しい顔をしてたんだろう。

『転校しようか』

 おずおずとメモを渡される。

 俺みたいなのは養護学校へ行った方がいいだろうか。

 手話もわからないのに?


 次の朝は学校へ行かなかった。

 ずっとベッドで考えてた。

 海野さんが遠くで微笑む。

 夢見るような黒檀の瞳が霞む。

 会いたいな。

 会って、話したい。

 ハナシタイ?

 ナニヲ?

 気が付いたら午後。

 今から行けば、もしかしたら会える?

 

 下校の奴らに気付かれないよう、そっと教室まで辿り着く。

 時間は午後5時。

 果たしてそこには、ぼんやり窓を眺める海野さんがいた。

 俺の気配に気付き振り返る、穏やかで神秘的な黒檀の瞳。


 胸が熱くなる気がした。

 この気持ちは何だろう?


―――――この学校は惜しくない。海野さんとだけ会えればいい。


 苦しいのはもう嫌だ。

 海野さんさえ受け入れてくれるなら―――――


 半ば破滅的な事を考えながら、俺は海野さんへ声を掛けた。

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