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 翌日朝から甲斐(かい)君は登校してきた。


 一度も登校した事のなかったクラスメートの初登場、しかも(たぐ)(まれ)なる美貌の少年にクラスは大いに沸いた。

 私は担任に喜ばれた。

「海野さんもやるときゃやるじゃない」

 何もやってません先生。

 てか私をダシにしましたね。

 正確には私をインダス仲間と(いつわ)り、登校すればインダスの部活できると甲斐君を(そそのか)したと。

 私は貴方の術に()まっただけです。


 そして任務終了のお(はら)い箱と。


 甲斐君は聴覚障害もなんのその、一通り全ての授業に出た。

 即席でできた取り巻きに常に囲まれている甲斐君を私は遠くから眺めていた。

 聞こえないのは大丈夫なのかな。

 そう心配しようとする心に何故か冷たい風が吹き抜ける。

 大丈夫。

 私なんかいなくても大丈夫。

 こっそり(つぶや)いてみる。

 何故か傷ついた気分になる。

 どうしてそう感じるかわからず、甲斐君を遠目に終日悶々(もんもん)とした。


 次の日から再び甲斐君は来なくなった。


「海野さんなんとかしてよ」

 私は担任に泣きつかれた。

 どうやら甲斐君はこの学校始まって以来の秀才らしい。入学式から不登校をキめているが将来が超有望、なんとかこの学校から進学して欲しい逸材らしい。

 物凄い大人の事情。

 が、どうにもならない。

 中学違うし、住所も知らない。

 そもそも接点インダスだけだし。

 このまま同好会もおしまいかなと思ったが、何故か午後5時、甲斐君は再び教室に訪れた。


 教室でボンヤリする私の視界に甲斐君が映る。

 一瞬で胸が高鳴る。

 同好会は活動するつもりなんだ。

 私はわざと鞄に手を置き座り直す。待っていた訳ではなくたまたま帰りが遅くなった風に―――心の中でガッツポーズを取りながら。

 実は、ちょっと、期待していた。

 もう一度二人で会えるのを。

 ちょっぴり事前学習もした。


「海野さん」

 本を手に声を掛けてきた甲斐君に、私は挨拶をした。

(こんにちは)

 私に近づこうとした甲斐君はふいに足を止めた。

「何?今の」

「え…」

 あれ?下手くそだったかな?

 私はもう一度、胸の前で両手人差し指を向かい合わせ、指人形のようにお辞儀させる。

(こんにちは)

「手話はキライだ」


 取りつく島もなかった。

 甲斐君は向かいの席に乱暴に座る。

 気分を害してしまったか。

 出鼻を挫かれ落ち込む私に気付くでもなく、甲斐君は手にした大判の本を広げると、1ヶ所を指差した。

「これが君の気に入ったドーラヴィーラの看板」


 悲しい気分のまま指し示された方を向いた私は、そのままそれに吸い込まれる。


 それは写真―――――

 土に埋まるインダス文字を掘り起こして撮ったものだった。

 およそ「看板」という言葉からイメージするものとはかけ離れた、ひたすらに横一文字のおぼろげな模様。

 細く白い石を嵌め込んでいる?

サイズ感がわからず顔を近づける。

「1文字大体A4サイズ位だな。諸説あるが貝を嵌め込んでいるらしい」

「へぇ…」

 写真ではそこまでわからない。

 ただ、甲斐君の書いた文字のコミカルさはそこにはなかった。

 書き起こされた文字より一層(はかな)げな10個の文字。

 だがそのおぼろげな印象がかえって作成した誰かの、「残したい」という強い意志を感じさせる。

 ああ見なければ良かった。

 写真の情報ではかえって足りない渇きに気付いて心が飢える。

 映像だけでは本物に決して及ばない。


『見たい』


 差し出されたノートに一言殴り書く。

 見たい。

 本物が見たい。

 行ってみたい。見てみたい。触って、匂いを、音を、空気を感じ取りたい。

 写真では乾燥しているように見えるそれは、季節によって変わるものなのか。

 また胸に風が巻き起こる。

 それは(しび)れるような感覚で――――


 ふいに笑う気配がして顔を上げる。

 甲斐君が面白そうに私を眺めていた。

「こんなに入り込む奴初めて見た」

 入り込む?

 私が?何に?

 困惑する私をよそに、今度はポケットから何かを取りだす。

 小さな箱だった。

 私の(てのひら)にポンと乗せると、開けてみろと(うなが)す。

 取り出して触ると少しひんやりする。

 それは、持ち手のある小さな四角い判子だった。

「これって…」

「勿論模造品(レプリカ)だ。だが素材は凍石(とうせき)、本物と一緒だ」

 インダスの印章(はんこ)!!

 恐る恐るひっくり返す。

 判を押す面に一角の牛らしき獣が()られている。

 そして上段は細く刻まれたインダス文字。

 そっと文字に触れる。そこにそれはある。意思表示している。

 ああ。

 どちらも甲斐君の大切な宝物(コレクション)だろう。

 わざわざ持ってきてくれたんだ。

 気持ちが(たかぶ)って目が潤む。

「見せてくれてありが――」

 言いかけてハッと気付き慌ててノートに書き込む。

『大事なものを見せてくれてありがとう』

『嬉しい』

 ノートを差し出すと、意外な事に甲斐君は頬を赤らめた。

「……いや…まぁ…うん」

 変な間が訪れる。

 甲斐君が何故かもじもじしている。

 何か話したい事があるのだろうか?話したいと言えばインダスに決まってるだろうけど。

 間が持たず、私は勉強しておいた事をノートに書き出してみる。

『メルッハって』

 少し調べた。

 メルッハはインダス川流域の交易都市と見られるが、場所の特定に至らないらしい。

 なんだったらエジプトをメルッハと呼んだ時期さえあるという。ただし実在はしたらしく

『メソポタミアの神話にも出て』

くる、と書こうとする私に甲斐君の上擦(うわず)った声が聞こえてきた。


「………ウチ……来…ないか?」


 私はシャーペンを握ったまま椅子から転がり落ちた。

「海野さんっ?!」

 派手な音と共に頭にキツい衝撃が走る。

 痛い。響くように痛い。

 だからだろうか。

 甲斐君に会って以来数々の幻覚を見てきたが、ここまではっきりした幻聴は初めてだ。

 いや正直(かす)れ声で聞き取りづらかったが。

 みるみる膨れ上がるたんこぶを(かば)いながら座り直す。

 とりあえず何事も無かった顔をしてメルッハの続きを―――

「…やっばり嫌か」

「嫌じゃないっ!!!」

 考えるより先に即答してしまった。

 必死の形相で甲斐君を睨み付けてしまい、甲斐君が愕然(がくぜん)とする。

 ヤバい。

 音声は伝わってないのに気迫のみ伝わってる。

 慌ててノートに向かい書き出す。

『どうして甲斐君ちへ?』

 良かった。マトモな質問が書けた。

 もっと飛ばした事を書いてしまうかと思った。

「どうしてって…」

 ノートを見た甲斐君が言い淀む。

 早く返事して欲しい。

 でないと、とんでもない妄想世界へ旅立ってしまいそう。

「…これからも…君とは…話し…たいから…」

 勿論インダスについてだよね?

『部活だからここで話せばいい』

 文面の私は至極真っ当だ。でも行間になにがしか期待が見え隠れする。


―――もしかして、もしかしたら私を気に入った、とか―――家に呼びたい位に―――――


 甲斐君はしばらく逡巡(しゅんじゅん)した後、覚悟を決めたように私に向き直った。


「ここではもう話せない。俺は高校(ここ)を辞める」

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