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 インダス―――インダス文明。


 インド亜大陸の北部、インダス川の(ほとり)で生まれたといわれる古代文明を指す。

 エジプト、メソポタミア、黄河と並ぶ四代文明の1つである。


 それぞれが謎めいた美しさを誇る古代文明だがインダスを語る上で欠かせないのは、計算された美しい都市構造、高度に整備された上下水道や今も遜色ない宝飾品の技術力の他、やはり未解読文字に尽きるのではないだろうか。

 オルメカ、ロンゴロンゴ、世に未解読の文字は数あれど、インダス文字は四代文明にカウントされていながら唯一未解読と異彩を放っている。


「オルメカ文字と言われるカスカハルの石塊(せきかい)は、文字数が62。文字の種類は28。解読は至難の技だろう」

 甲斐(かい)君はシャーロックホームズのオリジナルより複雑な形の『踊る人形』もどきを黒板に描き出す。

 これがオルメカの文字なのかな。

 てかオルメカって何?

 はてなマークを浮かべる私など眼中になく甲斐君は続ける。

「それに比べてインダスは文字の書かれた遺物が約5000と比較的豊富だ。文字の種類は約400と少々難儀だが、8万字以上ある漢字に比べればたいした事はない」

 漢字って8万字もあるんだ。

 凄いな中国人。

「なのにいまだインダス文字を解読できない理由。それはテキストが短すぎるからだ」

「テキスト?」

 立て板に水のごとくとうとうと流れていく甲斐君のご高説に、つい口を挟みアッと手で押さえる。

 バカ私。

 聞こえてないから無意味なのに。

 でも目の端に私の困惑顔が見えたのか、珍しく甲斐君が気付く。

 甲斐君は一旦話を止め、手元のノートをチラ見した。

 そうだ唯一のコミュニケート手段。

 私は慌ててノートに書き出す。


『テキスト』


 テキスト―――文章(テキスト)か。

 そうか。

 続けて書き足す。

文章(テキスト)が短くて文法が辿(たど)れない?』

 甲斐君は満足げに(うなず)く。

「見つかった文字はほぼ全て印章つまり乱暴に言えば判子(はんこ)だ。『高橋』やら『佐々木』やらの判子が大量に見つかったとして、そこから日本語を推察するのは難しい。それと一緒だな」

 私は携帯にあの白い10個の模様の画像を出して見せた。

 甲斐君の口許(くちもと)(ほころ)ぶ。

「…ドーラヴィーラーの看板は美しいな。文字も10とインダスにしては長い」

 ドーラヴィーラ?

 なんか女性名?違うんだろうけど。

 わりと既に私の頭はパンクしている。

「だがドーラヴィーラはインダス文字としては(まれ)だ。インダスは一文の文字数が平均して5文字。日本語なら『コ・ン・ニ・チ・ハ』で5文字使いきりだ。これで言語解読は難しい」


 なるほどわからない。

 私はボンヤリ携帯に視線を落とす。

 どこかコミカルな白い暗号。

 それは読めない文字。

 でもそれでもこれは手掛かり。

 古代からのメッセージに相違ないだろう。


 誰が、何を、伝えたかったの?


 私の心に風が起こる。

 熱い風。蒸せ返る雨の匂い。遠雷を背に誰かが立っている。

 その人は謎めいた黒い瞳で私を見つめる。

 ああ。

 何か(ささや)いている。

 でも声は聞こえない。

 言葉を発しているのに。

 浮かび上がる文字は意味がわからない。

 何かを示しているのに。


 何て言ってるの?

 貴方は―――

「―――君は」


 ハッと我に返る。

 気付くと甲斐君が私を見つめている。

 思いっきり妄想に浸った上に、それを思いっきり凝視(ぎょうし)されてしまった。

 一気に顔が熱くなる。

 私は恥ずかしくなって再び下を向いた。

「――よくメルッハを知ってたな」

「…は?」


 めるっは?

 めるは?

 めるはばー。

 鳩が豆鉄砲を食らったらこういう気持ちになるんだろうか?

 インダスの話をしていた気がするけど何故に急にトルコの挨拶?

 はてなマークに取り囲まれ曖昧(あいまい)に微笑む私などお構い無しに甲斐君はひたすら喋る。

「担任から『海野さんならイケる』と言われ半信半疑だったが、確かに君はインダスに詳しいようだ」

 いやインダス全然わかりません。

 担任なに無責任な事話してるんだ。

 てか、かなり話違うじゃないか!

 そもそもインダス文明を語り合う為に居残りさせられたなんて知らなかったよ!

 言いたい事は山のようで、しかしやはり核心を突かなければならない。

 私は恐る恐るノートに書き出した。


『メルッハって?』


 それまで快活だった甲斐君がふいに止まる。


 表情が見えない。

 甲斐君は固まってる。

 呆れた?

 失望した?

 急に私は怖くなる。

 今書いたばかりの『?』を急いで消す。

 モウスコシ。

 ナントカシヨウヨ。

 こだまが私を襲う。

 甲斐君の顔を見るのが怖い。

 甲斐君の落胆を見たくない。

 私は急いで回答を予想する。

 今の今まで話してきたのはなんだインダスだ。

『メルッハって―――インダス文明』

 書き足してみる。

 甲斐君は固まったまま。

 違う?

 いや足りない?

 急げ推察しろ私!

『メルッハって―――インダス文明―――の担い手(にないて)を指す言葉』

 甲斐君は動かない。

 まだきっと足りない。

 考えるんだ私。

 インダス文字が未解読な以上インダスの呼び名がもしメルッハなら古代の部外者がその名を残さねばわからないはずだ。

 古代にインダスと交流あり後世に残す文字のあるのは?

 エジプト文明?黄河文明?

 いやさっき東アジアの交流がないとかなんとか。

 なら西()アジアとなら交流の痕跡があった?

 西アジアの古代文明つまり。

『メルッハって―――インダス文明―――の担い手を指す――メソポタミアの――言葉』


 甲斐君は動かないままだ。

 でももう無理。

 さっきまで熱かった顔は氷点下まで下がる。

 なのに目頭は熱くなる。


 顔が上げられない。

 うつむいた先に見える甲斐君の足元がボヤける。5月も下旬なのにまだ新しく白い甲斐君の上履きが、涙で霞んでいく。

 そういえば今日も甲斐君は授業にはいなかったな。

 担任は甲斐君を繋ぎ止めたくて私を巻き込んだのかな。

 部活やってないしね。

 ろくでもないしね。

 まあ無理なんですけどね。

 私バカだし。

 知らないよインダスなんて。


「やっぱり君なんだな」


 予想外に柔らかい声がした。

 思わず顔を上げると甲斐君と目が合う。

「君はメルッハを知っている」

 甲斐君が優しく微笑む。

 その黒目がちな瞳に吸い込まれる。

 ああ。

 熱い風が渦巻く。


「正確にはメルッハはインダス文明の担い手でなくインダスの都市名だけどね。海野さん」

「…そうなんだ」


 満点じゃないけどギリ及第点といったところか。

 それって私らしい。

 微笑む甲斐君に涙目のまま微笑み返す。


 今より私は甲斐君の、メルッハ同好会の一員となった。

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