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翌日また担任に呼び出された。
昨日の今日で成績が良くなる訳でもないのに、まだお叱りが足りないのだろうか。
ウンザリした気分で談話室に赴いた私に担任は予想外の話をしだした。
「海野さん、メルハって知ってる?」
「…は?」
メルハ。
めるは?何?
「知らないよね?昨日甲斐君が、貴方ならメルハを知ってるはずだと息巻いてね」
「…は?」
ごめんなさい。先生のおっしゃる事が何もわかりません。
成績の話をするために呼んだんじゃないんですか?
「とにかく甲斐君が貴方とメルハ同好会を作りたいらしいの」
「…は?」
同好会?何の話?
「学校公認の部としてはメンバー5人集まらないとだけど、非公式ならOKだから同好会って事で良いわね?放課後5時に教室で活動と伝えてくれと言われたから宜しく…そう、今後も学校に来るよう誘導ヨロシクね」
何故かウィンクして担任は言うだけ言うと、さっさと談話室を出ていった。
まるで訳がわからない。
私はまさに『キツネにつままれた』を体感した。
キツネは誰だ?
担任?
メルハ?
それとも『甲斐君』?
メルハ?メルハ。
メルハってなあに?
あの美々しい男子の下の名前がメルハ?いや、そしたら自分の同好会というナルシスト極まる活動なのか?例えアイドルだとしてもそれは無いだろう。
メルハ…メルハ…。
電子辞書を引いてみたけどヒットしない。
携帯で検索したら『もしかして…メルハバ』と出てきた。
トルコ語で「コンニチハ」らしい。てことは挨拶?挨拶同好会?
てかトルコ同好会?
そう言われると甲斐君の日本人離れした顔立ちはトルコっぽいような気もしてきた。
トルコと私は特に何も無いけど、トルコ石はキレイだなとボンヤリ思っている内に放課後となった。
―――でも昨日の熱い風はトルコっぽくない感じがするけどな―――
熱い、大地から沸き上がる熱い風。
遠くに蒸せ返る雨の匂い。
昨日の幻覚が私の頭を駆け巡る。
担任が何故か置いていった地球儀を、何をするでもなくボンヤリ眺める。
緯度で見るトルコは、日本で言う東北の辺りか。おへそ出して踊るベリーダンスとか有名だけど案外寒そう。
湿気の混じった熱い風ならモンスーンて感じ?ならせめてもう少しアジアンな所がイメージだけどな。
私は地球儀を回してみる。
下に尖った大陸が現れる。
インドなんてどうかな?
アレキサンダー大王が西から辿り着き、三蔵法師が東から辿り着いた彼方の大地。
インドと言えばカレー。昔だと天竺?仏様が生まれたのはインドだけど、『インド』って国で生まれた訳じゃないのよね。昔々はこの大陸にいくつもの国があって、たとえば古代のインダス文明もインド亜大陸の文明だけど、今で言うと北部のパキスタン国境辺り―――
「さすがメルッハがわかるとはな」
後ろから声がして振り向く。
そこには親指を顎に付け満面な笑みの麗人がいた。
***
M・E・L・U・H・H・A
甲斐君はご丁寧に黒板に綴りを書いてくれた。
が、何がなんやらわからない。
「…あのぅ…メルッハって…」
メルハバじゃないんですか?という核心を先程から突いてるのに、一向に聞いてくれない。
「西アジアにもロゼッタストーンがあれば一発なのにな。楔形文字と原エラム文字とインダス文字の。イラン辺りに眠ってそうなものだが」
めっちゃ国際的な話をしているようだがトルコはどうなったんだ。
「…トルコの文字はアルファベットでは…」
「表音と表意のハイブリッド説が有力だが、確かにデザインは楔形文字にも甲骨文字にも似ている。流通はウルクが有名だが東アジアの路線も考えるべきだと思うんだ。しかし国境近くは発掘できないのが痛い。情勢が変われば良いのだが」
「アルファベットは表音文字かと」
「もしくはインカのキープのように数値や単位としての文字の認識の可能性もあるかもしれない。ほぼ印章にしか使われず、やっと出てきたのは看板となるとそもそも文章の為の文字ではない可能性も」
ごめん全然わからないです。
パキスタンに手を置いたまま固まり続ける私。
話し続ける麗人。
「そもそもキープも―――」
そうしてようやく私の方へ向き、私が石化しているのにやっと気付いた。
甲斐君はふと微笑みながらノートを差し出した。
「四代文明でも日陰者と呼ばれるインダスを語れる仲間が出来て嬉しい。俺は耳が聞こえないからここに君の意見を書いてくれ」
ああそうか。
あまりに話す言葉が流暢でわからなかった。
やっと合点した。
こっちの話をスルーするはずだ。
そういえば昨日、担任が触れた時もとても驚いていた。
聞こえないんだ。
甲斐君は聾者――――おそらく中途失聴者なのだ。