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 インダスの終焉(しゅうえん)


 衝撃的な言葉に私は殴られた気分になった。

 当たり前だ。インダスは終焉する。だから文字がわからなくなったんだ。

 全ての邂逅(かいこう)は終わりが来る。

 甲斐君との関係も終わる。


 終わってしまう。インダスも甲斐君も。

 今まで闇雲に甲斐(かい)君とインダスを追いかけてきた。必死だった。でも楽しかった。魅惑と興奮の日々だった。さっきまではずっと続くと思ってた。

 でもそれは私一人の勝手な視点(ビジョン)

 甲斐君の抱える何かを私は知らない。当然関与してない。

 結果、甲斐君が心を決めて前を向こうとする今、甲斐君にとって私は要らない。


 もうすぐクラスメートが続々登校し、再び甲斐君は取り巻きに囲まれるだろう。そしていずれクラスに溶け込む。

 友達もできるだろう。

 探せば私みたいなにわかインダスじゃない、ガチも現れるだろう。


 二人きりの秘密はおしまい。


 心に何度となく吹き荒れた雨の香る熱い風も、それが何かわからないまま忘れられ風化していくのだ。

 まるでインダス文字みたいに。


 視界が(にじ)む。

 頬に温かい(しずく)がながれた。

 ああ、泣いてるんだ私。

 甲斐君との秘密が終わるのが悲しいんだ。

 まだ話したい事あったな。

 甲斐君が話す沢山のわからない言葉、少しずつ調べてたんだよ?

 ドーラヴィーラは女性名じゃなくて、インドの西北にある地名なんだね?

 インダスといえばパキスタンのモヘンジョ・ダロしか知らなかったから、遺跡がインドにもあるって知って(すご)くワクワクしたんだ。

 オルメカは中部アメリカの古代文明なんだね。

 カスカハルはメキシコにある地名で、コロンビアのカスカハル島とは別物。

 (げん)エラム文字は古代イランの未解読文字、甲骨(こうこつ)文字は古代中国の文字、インカは日本の戦国時代頃にあった南アメリカの帝国、キープはインカの文字で、それからそれから――――


 涙が溢れてくる。

 私は利用されただけの太鼓持ちだとわかってたのに。

 勝手に嵌まって、勝手にときめいて、勝手に期待して勝手に落ち込んで――――――

 口に入れてもらった甘酸っぱい飴はもう溶けて消えた。

 インダスも甲斐君も、私の手から離れていく。

 私の手から。


 私の手。

 急に私の手に圧迫が強まり熱くこもる。

 視線を移し、そして気付く。

 そうださっきからずっと手を握られていた。

 よく考えるとかなりなスキンシップだ。そう思い至り疑問符を浮かべて甲斐君を見る。


「俺はインダスじゃない」

 甲斐君のまっ()ぐな瞳がそこにあった。

「俺はメルッハのように消えない。俺はここにいる。海野さん」

 熱い、熱い風が空に巻き上がる。

 頭にこだまする遠い人々の叫び声が風に巻かれ消えていく。


 代わりに(かす)れ声が遠くから聞こえてくる。

「これからも、二人で、インダスを解いていきたい。いこう海野さん」


 …ああ私。

 インダスと甲斐君、どちらに恋したんだろう?

 きっとどちらもだろう。


 私の左手を握る甲斐君の手に、そっと私は右手を添える。


 廊下から足音と歓声の聞こえるまで。

 ずっと、私達は手を繋いでいた。


***


 夕暮れの教室でボンヤリ時を待つ。


 今日も5時からメルッハ・デートだ。

 まあ勝手に私が思ってるだけだけど。

 もし、もしも甲斐(かい)君もこれをデートと思ってくれてたら嬉しいけど。


 そろそろ行かないと。私は教室を出て走り出した。


 目指す先に人影を認める。

 甲斐君が私に気付く。

『お待たせ』と書いたメモを片手に走る私に、一瞬気遣う表情をした彼は、おもむろに口と手を動かした。


(大丈夫。慌てない)


 嫌いだと豪語したはずの手話を、少しずつ覚えていく甲斐君を見るのは何故かくすぐったい気がする。

 少しずつ前を向いて歩いていく甲斐君に、私も頑張らなきゃと(えり)を正す。


 今日は金曜日なので目指す図書館は夜9時まで開いている。貸し出し不可だけど閲覧可能な本を甲斐君と見るため、今日のデートは組まれてる。

「てか、デートじゃなくてただの部活よね…」

 甲斐君が私の口許を見つめる。

 いやいや口話はそうそう読めまい。大丈夫――――

「…海野さんがウチに来てくれるならデートになるけど」

 しれっと言ってそっぽを向く甲斐君。

 口唇(くちびる)を読まれた?!

 てか、いつかのセリフ本気だったっ?!

 てか、てかてか?!

 甲斐君の耳が赤い。

 もしかしてこれはもしかする?!

 固まる私に、甲斐君が手を差し出す。

 甲斐君が真っ直ぐ私を見る。。

 この手を受け取ると、きっとオッケーって…


 オッケーって、つまり、付き合うって、恋人って、事に。


 ガンガン鳴る心臓とは逆に、やけにゆっくりした動きで、そっと甲斐君の手に私の手を添えた。

 険しい顔をしていた甲斐君が、途端に薔薇色の笑顔となる。

 眩しすぎる気がして、私はちょっとだけ視線を外した。


 遠い過去からメルッハは(ささや)く。

 その(かす)かな声を聞き取ろう。


「海野さん」

 甲斐君が微笑む。

「さあ今日もメルッハを語ろう」

参考文献(順不同、以下括弧内は出版元)

長田俊樹著・インダス文明の謎(京都大学学術出版会)

近藤英夫著・NHKスペシャル四代文明インダス(日本放送出版協会)

アニタ・ダラル著・ナショナルジオグラフィック考古学な探検古代インド死者の丘とハラッパーから仏教とヒンドゥーの聖地へ(BL出版株式会社)

A・カマラ・ダラル著・ナショナルジオグラフィック世界の国インド(株式会社ほるぷ出版)

友澤和夫監修・帝国書院地理シリーズ世界の国々2アジア州②(株式会社帝国書院)

NHK・NHKプロモーション編集・2000年・NHK放送75周年事業世界四代文明インダス文明展(NHK、NHKプロモーション)

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