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神代の姫と、愛しき世界  作者: 碧海 怜
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序章

ようやく、ようやくこの時が来た。


万感の思いが胸にこみ上げるとは、まさにこのことだ。

主を失って、いや、目覚めぬ主の「気」の欠片を拾い集めて幾年か。

()()()()()()、既に十の代替わりを終えていることだろう。

時間の概念など持ち合わせていないと思っていたが、それはどうも間違いだったらしいと、この時になって実感する。



―――ひふみ よいむなや こともちろらね



低く、厳かな祝詞が夜の静寂を引き裂くように響くと、円状に並べられた(とお)の石が空中にゆっくりと浮かび上がった。

それらが色とりどりに眩い光を発し、やがてくるくると渦になって回り始める。


ああ。姫様。我が主よ。


この瞬間をいかほどまでに……、終わりの見えぬ日々を、そして至らぬ我が身を呪い、喉を掻き毟りたくなるほどの衝動に心を焼き殺しながら切望し続けたことか。


だが、それもひとえに、ただ只管に愚直なまでにこの瞬間を信じ続けていたからこそだ。


暗闇の中で強烈な光を発しながら、一つの輪を作って目に見えぬ速さで回転し続ける石たちは、やがて一つに結集し、白く輝く玉となって、その場に鎮座するように浮遊した。

それは最早、大きな「気」の塊であり、強大な「力」そのものである。


それもそのはず。

この石たちは八百万と言われる神々の中でも、神代の時代より存在する高潔な御霊の欠片たちだ。

そして、ただ一人、わが主と定めた圧倒的な存在が、かつて自ら手放したものでもあった。


「姫様。時が参りました」


先ほどまで祝詞を上げていた傍らの()が茫洋と浮かぶ光に向かって呼びかけると、応えるように一段と強烈な閃光がカッとひらめき、暗い室内を一瞬で明るく照らしだした。

結界が張られていなければ、恐らくこの街…いや、大げさでもなんでもなく、この国そのものが闇夜から一転して白昼と見紛うばかりの光にさらされていたことだろう。

凶悪な程の力を前に、それでも待ち望んだ瞬間を焼き付けようと大きく目を見開いた。


やがて、光は静かに一つの形を作り出す。

初めは曖昧だったものが、次第にはっきりと明確になる。

浮かぶは、かつての面影。


「待たせたな」


少女らしい軽やかな声音。

だが、たった一言に、確かにこの場を制する支配者としての言霊が込められている。


ああ。ああ!

感嘆と狂喜。

(こうべ)を深く平伏しながら、抑えきれぬ歓喜に両の手がぶるぶると震える。


姫様、姫様。お待ち申しておりましたとも!


「姫様の覚醒にそれらしい場を用意することが叶わず、不覚の極みにございまする。申し訳ございませぬ」


隣に控える同胞(はらから)も同じく身の内に抑え切れぬ喜びを抱えているであろうに、常に冷徹を信条としているこの鬼、かような時も冷静沈着に振舞わねば気が済まぬらしい。


この場所とて、かつての寝殿造りを模した由緒ある旧家の本宅である。

外部の者を寄せ付けぬ大きな門構えと、鬱蒼と見える森、平安の世から水が途絶えたことのない池のある庭園があり、この地においてはこれ以上の屋敷は無いはずだ。

ただ、鬼が言う「それらしい場」というのは縁のある社のことだろう。

確かに大事な場で決して邪魔が入らぬようにと考えた時には、そこで覚醒の儀を行うのはあまりにも危険が過ぎた。


はっ、と少女が笑った空気が伝わる。

目にせずとも、力無き者には薬にも毒にもなるであろう鮮やかな微笑が脳裏に浮かぶ。


「そのようなものは要らぬとも。どこぞの道端であろうと、異教の拝殿であろうと、時さえくれば目覚めてみせよう。形に拘るは小さき者のすることぞ」

「いかにも、いかにも。それでこそ我が主!」


ようやく感情を露呈させた鬼から、ぶわっと抑えきれぬ気が飛び散った。

予期せず気を当てられ、むき出しの頬が切れて血が伝うのを感じる。


まったく、そこまで興奮するなら初めから素直に態度に表せばよいものを。

だが、痛みは感じない。

そような些末事、今日この日にはどうでも良いことだ。

滴る血が畳に落ちる様すら愛おしい。


「苦労をかけたな。面を上げよ」


凛とした、有無を言わせぬ命に従い、ゆっくりと顔を上げる。

実に五百年ぶりに仰ぎ見る主は、最後に見た姿そのままにお気に入りの十二単を身にまとい、それでいて依然と同じように涼しげな顔をして佇んでいた。

自然に見える、その姿こそが異端であることの証。

軽く見積もっても、現代の単位で十数キロはある衣装を着て平然と動ける姫君が普通であるはずがない。


呆けたまま動けずにいる従者を横目に静々とした足取りで障子を開け放つのを固唾をのんで見つめる。

夜の空気がさっと室内を満たす。

冷たい空気の中にも、もうすぐ訪れる春の気配が感じ取れる。


「……ああ、今宵は良い月であるな」

白い(かんばせ)を満月の光が称えるように照らしている。

その美しさまでもが、主の存在がこの世においていかに特別なものかを表すものだ。


「世話になった、当主よ」

「滅相もないことにございます」


儀式の間、障子の外にじっと控えていた老人は静かに応えを返す。

この世のものではない存在に慣れているとはいえ、唯の人の身で狼狽えもせずに姫様に言葉を返せる度胸は流石のものだ。

今、主は己に戻したばかりの「気」を制御していないため、単なる一般人であれば、主の姿を見ただけで消耗し、気を失うことになるだろう。


人の身でこの場に耐えるとは、七百年以上も続く名家を受け継ぐ者の覚悟が見て取れる。

力は弱くとも、神に通ずる力はなくとも、こうした人間は敬意を払うに値する。

長く人の世に身をおくうちに、時にはこうした骨のある者に遭遇することがあり、また、その真逆の者を見ることもあり、かつて人間の在り様を愛した主の思いが理解できるようになった。


「ご帰還、お待ちしておりました」

老人の気概に、ようやく声を出すことができた。

我ながら随分と在り来たりな言葉だが、この場には相応しいようにも思える。


「鴉。お前もこれまでよく働いてくれた」

「ありがたき幸せにて」


もう一度、頭を垂れる。


「して、姫様」

「なんじゃ」

「此処を出た後にはひとまず、用意した館へ移り住むことになりまする」

「相分かった。…が、その前に」


ふう、と何故か主は一呼吸した。

そして、直視できないほどの…


にっこり。


…あ。嫌な予感大。



「私、女子高生になりたい!」



「……………………はああ!?」

「女子高生になって渋谷のカフェでタピオカの写メ撮ってインスタにアップしたい!」

「……」

「もう少し目覚めが早かったら、ルーズソックスも履けたのに……今となっては流行遅れなのがとっても!とっても!!残念だわ」


…そんなに?

いや、じゃなくてですね。


「……オイそこのクソ鬼」

「何か?」

会話を聞いてどこか遠くに視線を泳がせていた秀麗な鬼が、呼びかけに渋々といった体でこちらを向いた。

「何か、じゃねーわ!お前、姫様の御霊を守っている間、何を吹き込んでたんだよ!」

「……現代の世俗のいろは?」

「要するに?」

「さすがに五百年も話続けている間にネタも尽きてきて……というわけではなくてだな、つまりその時代の人間の暮らしぶりをお伝えするのも役目かと」

「本音が漏れとるわ!」

ぎゃんぎゃんと騒ぐ二人(主に俺)を尻目に、我らが主は非常に楽しそうだ。


「いやはや、やはり人の世は面白い。眠っておる間にこれほどまでも変わるとは」

「感心するところが違うと思いますよ!?」

「では、まず制服を用意いたします」

「おい爺さん、そこ真面目に参戦しなくていいから!」

「本当に良い月で……」

「お前は無かったことにしようとするな!」


なんだこれ。


想像と大きくかけ離れた夜ではあるが、すべてここからが始まりなのだ。

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