プロットの書き方が間違いだらけだったことに気づいた話、もしくは、小説にも曲のように定型フォーマットを導入するべきだと気づいたということ
こんばんは、エッセイストのmaterialismです。
曲、特にJ−POPにはAメロ、Bメロ、サビといった具合にメロディーの塊があり、それらが定型フォーマットのように並べられているのをご存知でしょうか。
具体的に並べますと、Aメロ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏、Aメロ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏、Cメロ、落としサビ、ラストサビといった具合になります。並び方に規則性があるのです。
知らない方はWikiepediaで調べるか、そんなものなのかということで先に進みましょう。
要するに、作曲家はメロディーを思いつくままに羅列していくのではなく、
メロディーの塊を複数種類用意して、それらを規則性通りに並べていくのです。
これは前から知っていて、作曲とは意外と型にはまったものなのだなあと私は思っていたのですが、
これは小説、特に長編小説を書くときにも利用できるのではないか、と。
私は小説を書くとき、つい、ワンパターンにならないよう、出来るだけエピソードを立て続けに並べてしまおうとしていたのですが、これはいかんのですよ。
サビばかりの小説は、息継ぎなしのクロールで50mを泳ごうとするようなもので、作者も読者も息が続きません。
書いているときは冗長だなあと思われるかもしれませんが、何気ない繰り返しが小説のテンポを作り出し、読者は次の話が気になるようになるのです。
なにより、ほぼ読み専の私が言うのですから間違いありません。
とあるダンジョンマスター物を読んだとき、
トラップを設置する、冒険者が来る、ギリギリまで追い詰められるけれど逆転勝利、レベルアップシーン、
まさにAメロ、Bメロ、サビ、間奏のような具合に、定型化されていて、それでいて読んでいて面白かったのですよ。
多分、これを意識して書けるようになれば、長編小説を書く際にかなり負担軽減になるでしょうし、読む側としても、安心して読むことができて、お互い良いのではないかなと思います。