第81話 空にて
俺とティアナは通路のソファーを去り、城の一室へと隠れた。
昼のベッドはシーツの白妙が燦然として、女の肩は柑橘系の果物のような光沢を放っている。
「私ね……」
ティアナはシーツで胸を隠しながら青い瞳でこちらをジッと見つめた。
「私、あなたが会いにきてくれるって信じてたの」
「……うん」
「ずっと。ずっとよ」
俺は返事の代わりに女へ額を寄せた。
前髪と前髪がそよそよとふれあい、そして鼻梁が二、三左右に交差すると、唇が唇のやわらかさを捉える。
息継ぎの中で頭をやさしくなでると、女は意思を持った二本の腕でギュっと背中を抱きしめてきた。
俺たちはまだ若く健康的で、ブライダル・ランジェリーのようなレエス越しにベッドへ注ぐ清浄な光が午前中を麗らかに彩っている……。
でも、いつまでもこうしているわけにはいかない。
やがて正午を超えると、俺は背を向けて言った。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「そう」
ティアナは眼鏡をはずした裸の頬の半分を白い枕へギュッとうずめてため息をこもらせた。
「また会えるって。俺もザハルベルトへ行くって言ってるだろ?」
「……ええ」
俺はベッドから起き上がるとシャツへ首を通してから続ける。
「また領地に来てくれてもいい。今度はもっとゆっくりしようぜ」
「本当?」
「うん」
「きっと手紙を書くわ」
「ああ、俺も。書くよ」
そう言うとティアナはやっとニコリとほほえんでくれる。
俺はホッとして窓のレエスをめくり、「じゃあな」と残してベランダから部屋を出ていった。
◇
俺は誰にも見つからないようこっそりとゲーテブルク城を出た。
ベランダから気配を消して石壁を伝い、人気のない場所へと降りる。
兵の目をかいくぐって敷地を出、それから城下で野営していた坂東義太郎の部隊へ帰還命令を出すと、馬屋へ行った。
ヒヒーン!
馬は心なしか溌剌としている。
うん、結果的に一晩おいてよかったのかもな。
俺が疲れてたってことは、コイツも疲れてたはずだし。
「……それにしても、こんな時間までどちらへいらっしゃいましたの?」
と尋ねるのは女忍者・西園寺華那子。
俺の帰るのを馬屋で待ってくれていたのである。
「べ、別に。なんでもねーよ」
俺がそう答えると、西園寺華那子はため息をついて言った。
「まあ、今はいいですわ。最後にエイガどのと結ばれるのは情報操作の得意なこのあたくしですもの……」
「あ?」
「オホホホ、なんでもございませんの」
覆面の女はコホンと咳払いをする。
「ところで話はかわりますけれど……あたくし、今回エイガどののご命令に精一杯お応えしたつもりですのよ?」
まあ、確かに。
作戦の不満はあったけど、情報を収集してくれたのも、内通者のメイドを用意してくれたのも彼女だ。
頼んでいたアクアを無事に助けだしてくれたしなぁ。
「で、何? ほうびでもくれってこと?」
すると女忍者は膝を着き、かしこまって言った。
「何とぞ、このままエイガどののおそばにお仕えさせていただきとうございますの」
「へえ」
俺は少しだけ考えるフリをして、もったいぶってから答えた。
「そう言うんだったらさ。この馬の後ろに乗って一緒に帝都へ行こう。仕事を手伝ってほしいんだ」
「え? エイガどのの後ろへ……ですの?」
「ああ」
そう答えると、覆面の隙間から黒い瞳が輝いた。
「恐悦至極にございますわん!!」
「な、なんだよ。お前、黒王丸には乗ったことあるだろ」
「エイガどのの後ろにはございませんのよ。あたくしに【憑依】くださった折ですもの」
そう言えばそうだったか。
でも、それに気づくと新たな心配が生じる。
黒王丸は強く賢い馬であると同時に大の面食いでもある。
彼が背中を許すのは主人である俺か、あるいは美女だけだ。
たとえば男のガルシアが無理に乗ろうとすると、後ろ脚で蹴られてひでぶなのである。
こういう言い方をすると失礼だけれど、覆面をしている西園寺華那子が実際にどんな顔をしているのか、俺にはわからないワケで……
ひょっとしたら黒王丸さまのお気に召さない可能性もある。
そしたらこのまま彼女を連れていくことができない。
……ヒヒーン♡ ヒヒーン♡♡
と、心配したが、どうやら黒王丸の美女センサーに適ったようだ。
つーか、黒王丸。
浮気してると五十嵐さんに言いつけるぞ。
ヒヒーン……
こうして俺は、馬の後ろへ覆面の女忍者を乗せて城下を飛び立つ。
高度はぐんぐん上がり、ゲーテブルク城ははるか足下。
さあ、帰ろう。
と、馬を東へ向けたその時。
「ねえ、ちょっと待って」
と、後ろから声がかかる。
ビックリして振り返ると、この空中に、一人の少年がふわふわと浮かんで立っていた。
「な、なんだお前。いつの間に……」
女のような顔に、目の覚めるような銀髪。
華奢な肩、胸の肌けたシャツ。
中性的で妖しげな少年だ。
「ハーフェン・フェルトではどうも。エイガさん」
でも……どこかで見たことがあるな。
「あ! トルドの横にいた子じゃん」
と手を打つ俺。
ハイル&クラオト2階で(まだフレンドリーだった)トルドの横にいた銀髪の少年だ。
「よかったあ。忘れられてたらどうしようと思ったよ。あははは」
少年は肩に担ぐ大きな鎌を傾げて笑った。
「むっ、お前ら……まだやる気なのか?」
俺は警戒する。
トルドたちはどこだ?
「あははは、心配しないで。僕ひとりだよ。僕は別にトルドさんたちの仲間ってワケじゃないからね」
「……そうなのか?」
「うん、僕はただの案内人」
少年は銀髪をパッと払い、こう言った。
「地獄への、ね」
そう言えば、女勇者パーティーたちの目的は地獄への進出だったな。
「でも少年……」
「ユウリ」
「は?」
「僕の名前はユウリ。覚えてほしいな。まあ……」
少年はそこで長いまつげを伏せると続けた。
「僕自身もファースト・ネームしか覚えていないんだけど」
「あ?……まあ、なんでもいいけど。俺もヒマじゃないから用件を言ってくれよ」
「あ、ごめんごめん。要するに僕は地獄への案内人……死神なんだけどさ」
「死神!?」
「そう、死神。そっちのワードの方がピンと来る? つまりその死神であるところの僕が『キミも地獄へ行きたくない?』ってお誘いに来たってワケ」
「バカ言え。そんなのごめんだ」
「あははっ、そう? エイガさん、合ってると思うんだけど」
「悪いな。他をあたってくれよ」
俺はもうコイツの相手にするのはやめようと思い、空中で馬をひるがえした。
不要なセールスには無視が一番だ。
「うーん。それより、キミの友だちの方が向いてるのかな。あははは」
ふいにゾッと不吉な予感がして振り返ると、もうそこに少年の姿はなかった。
◇
よく空で人に会う日だった。
次に会ったのは極東まであと少しという海域上。
「おーい! エイガ・ジャニエスー!!」
なんか、向こうの雲から大声で俺の名前を呼ぶヤツがいるなーっと思ったら、すぐにビキニ・アーマーの女が近寄ってくるのが見える。
「グリコ!?」
「はっはっは、キサマも飛行移動組の仲間入りか!」
仲間ができたのが嬉しいのか、俺の身体をベタベタさわってくる世界一位の女。
それ、セクハラじゃね?
「ううむ。すこし脂肪をまとった方がいいかもしれんな。しかし、量、質ともに向上している」
いや、俺の筋肉の状態を確認していやがるんだ!
「どうだ? キサマもこれを機会にビキニ・アーマーを着てみんか? 私のをひとつやるから」
「バカ言え。そんなのごめんだ」
「似合ってると思うが……」
よくゴリ押しを受ける日だなあ。
「で、エイガ・ジャニエス。どこへ向かっているのだ?」
「俺は帰るとこ。お前は?」
「……私はちょっとゲーテブルク城下へな」
「ああ。あいつら今魔王戦ってとこだから、邪魔だけはすんなよ」
モリエに会いに行くのだろうと思ってそう釘を刺したのだが、
「え? ああ。いや、違うんだ」
と言う。
そしてグリコは銀髪を女らしく手櫛すると、ビキニアーマーの胸をキュッと押さえてこう続けた。
「ゲーテブルク城で、生き別れた弟の目撃情報があってな」
「お前に弟がいたのか?」
「ああ。3年前……いや、もう4年になるか。山ではぐれたっきり。強くて、光魔法が上手でな。天使のような子だった」
そうか。
コイツが時おり寂しそうな顔をするのは、そういうワケだったのか……。
「弟、見つかるといいな」
俺がそう言うと、女魔法剣士は銀髪をパッと払いこう言った。
「じゃあ、エイガ・ジャニエス! またキサマの領地へ遊びに行くから覚悟していろ!」
何を覚悟すんだよ……と言おうとしたら、もうグリコはすごいスピードで空の彼方へ飛び去ってしまった。





