第70話 五十嵐家
俺の領地、遠雲には7つの村があるが、そのうち最大規模を誇るのは間違いなく『中村』だ。
2500人の領民のうち実に1200人(100世帯以上)が中村の村人であり、大川沿いに美しい水田を営んで穀物を生産している。
で、そんな中村には、通称『御三家』と呼ばれる聖域的3大権力があった。
吉岡神社と、長者と、五十嵐家である。
吉岡神社は祭と信仰を取り仕切る。
長者は(俺に黒王丸をくれた長者であるが)土地を取り仕切る。
そして、五十嵐家は種籾を取り仕切るのであった。
そんな御三家の一角、五十嵐家が、娘の悦子の結婚相手探しに本腰を入れ始めたらしい……という話は、ちょっと前から方々で噂になってはいたのだそうだ。
まあ、新米領主である俺はこれまで『領民たちの噂話』みたいなところへは入っていけていなかったのだけれど、最近雇ったメイドたちがそーゆう噂話の大好きな娘っ子であったから、ようやくそこらへんのところも耳に入って来るようになったのである。
まず、そもそもの五十嵐さんの評判は、
1「五十嵐家の娘であること」
2「ものすごく頭がよく、帝都の大学へ行ってしまったこと」
3「12歳までおねしょが止まらなかったこと」
というくらいで、これらは領民2500人で知らない者はないくらいには有名であったそうだけれども、こんな前評判では強いて彼女を嫁に貰いたいという者もなかったそうな。
しかし、俺が領主となって彼女を遠雲へ連れて帰ると、いざ大人になった五十嵐さんがとても美人なのにみんな驚いて「ぜひ悦っちゃんをうちの嫁に」と言い出す家が後を絶たなくなったのだそうだ。
(水面下でそんな五十嵐さん旋風が巻き起こっていただなんて俺はぜんぜん知らなかった……)
ザッザッザ……
さて、そんな話題の女性五十嵐さんと一緒に細雪の道を行き、ご実家の五十嵐邸へ向かうと、その庭先でロン毛の爺さんが菜園の手入れをしているのが見えてきた。
ふさぁ……
五十嵐イサオさん(63)である。
「おお、これは領主さま」
「やあ、精が出るね。イサオさん」
でもあいかわらず鬱陶しい頭だな……と思ったその時。
ギャース!!……
唐突に、茂みの中から牙が襲いかかってきたのである。
食虫植物? いや、それにしてはデカすぎるッ……!
「うぉおおッ……」
「これ!太郎!!」
しかし、イサオさんがぴしゃりと叱ると、牙の植物はシュンっと茎を引っ込めてしまった。
「太郎が粗相を致しましてすみませんですじゃ。けっして人様へ危害を加えるものではございませんで、どうか平にお許しくだされ、領主さま」
「お、おう……。いいけど、なんだあの植物は!?」
「いやあ、近頃ますます力が湧いてきましてのう。ちょっと変わった種も作ってみたくなりましてな」
うっ、なんかイサオさんの生産者としての能力がヤベーことになってる。
……でもそうか。
先日のゴーレム狩りがあったから、上級の経験値がレシーバーで転送されてるってことだもんな。
その証拠に、先日はa~cの3種類だった薬草の鉢も、d~hまでラベリングが増えている。
これなら効果の高い回復薬が調合できるぞ……
「……」
そんなふうに植物に気を取られていると、隣でタイト・スカートをしゃがませ花を睨んでいる女秘書に気づいてハッとする。
そうだ。
今日は用があって来たんだった。
「あの、イサオさん。忙しいとこ悪いけど、若奥さんはいらっしゃる?」
「ああ、フミエさんかの?おりますで。どうぞどうぞ、お入りくだされ」
こうしてイサオさんは俺たちを五十嵐家の中へ案内してくれた。
◇
しーん……
五十嵐邸の縁側に面した、仏壇のある畳敷きの部屋で。
俺と、五十嵐さんと、五十嵐さんのお母さんが微動だにせず顔を付き合わせている。
カコーン……!
そこで庭の鹿威しが甲高い音を響かせて、再び時間が動き出した。
「……領主さま。今なんとおっしゃいまいした?」
「聞こえなかったか? おたくの娘さんは領主であるこの俺がお嫁にする。今進めている見合い話は即刻やめてもらおう」
「まッ!」
若奥さんは口元を抑えて叫びあげる。
「あらヤダ、エッチ!この子ったらいつの間に……!!」
そんな勢いで娘を見る若奥さん。
ヤバイ、怒ってるか?……と思ったが、
「……もう、領主さまも人が悪い。そういうことでしたら、早くおっしゃっていただければよろしかったですのに」
「え?……そ、そうか。すまなかったな」
意外とそうでもなかったようで、とりあえずホッとする。
「で、どこですの?」
「は?」
「娘の……どこがお好きですの?」
正座した大きな尻をモジモジさせる若奥さん。
どうやらこの人、自分の娘がモテることがすごく嬉しいらしい。
「やはり顔かしら?」
「えっ?まあ、そりゃあ顔は綺麗だと思うけど」
それじゃあミもフタもない気がする。
「ええと……そう。いつも仕事に一生懸命なところとかかな」
「そうですの♡」
若奥さんがあんまり嬉しそうなので、婚約が本当ではないことにひどく罪悪感を覚えるが、まあ、仕方のないことである。
「で、日取りの方はいかがなさいましょう?」
「あ……ああ。その話だけどな……」
そこで俺はタバコの煙を吐き出すのに紛れて深呼吸をつき答える。
「その、ええと。俺も五十嵐さ……悦子さんも領地経営でこれからが一番忙しい時期だ。結婚となるとそれはもういろいろ段取りのかかることだろうし、かと言って簡易に済ませたりはしたくはない。だから、正式な結婚はもう少し落ち着いてからにしようとお互いで話し合っていてな。いや、心配には及ばない。このように将来の結婚は固く約束し合っているから……」
そう言って、俺は隣の五十嵐さんの手を握り、薬指の指輪を強調するように軽く掲げた。
「まあ素敵……」
極東の慣習には無いことらしいが、婚約指輪の意味くらいは伝わっているらしい。
若奥さんは目を輝かせ100万ボンドの指輪にうっとりしている。
よし、これならなんとか作戦成功だろう。
と、思った時。
「フミエさん!フミエさん!」
ふと、細やかな木の格子に薄く白紙を張った繊細な引き戸に、モっさりしたロン毛のシルエットが映る。
イサオさんか。
「なんですおとうさん。領主さまがいらしているのよ」
「フミエさん、メシはまだかいのう」
「もう……さっき食べたでしょ」
「そうじゃったろうか?」
「しょうがないわね。……すみません領主さま。ちょっと失礼いたします」
フミエさんはそう断りを入れると、あいかわらずの弁天(膝っ)小僧で太ももの間から婦人用下着の股間をムッチリのぞかせつつ、小豆色の座布団を立ちあがり部屋から出ていった。
「エイガさま……」
「ん?」
こうして二人残された部屋で、五十嵐さんは俺の服の裾を引く。
「……あれは合図です」
「合図?」
そう聞き返すと、五十嵐さんは仏壇の横の、梅の模様の描かれた襖をススーっと引いて足を踏み入れた。
なんだ?
と、怪訝に思いながら後に続く俺。
女秘書はパンティ・ストッキングのつま先を畳へ擦り擦り進み、そのまた隣の襖をそーっと開ける。
そこも似たような部屋で、さらにその隣の部屋も似た造りであったが、奥へ行けば行くほど薄暗くなっていった。
襖と天井の間の、馬と松が透かしで木彫られた欄間から、あるかなきかの遠い陽のみがボンヤリ射し込んで、ぎゅうぎゅうに綿を詰めた布団が畳の上で三つ折りに積まれた陰影を官能的に仕立てている。
ススー、ススー……
襖を開いては閉じてして、そして、ちょうど元いた部屋からコの字を描くように回ってきた部屋の前で、
「……ここです」
と、女は紙の戸へ耳を当てるので、俺もそれに倣った。
ヒソヒソ……ヒソヒソ……
すると、その向こうに男女の小声が聞こえてくる。
「……お前、なんだあの浮かれようは」
「そんなこと言ったってアナタ。いい話じゃありませんか」
若奥さんとその旦那さんのようだ。
つまり、五十嵐さんのご両親ってことか。
「そりゃあお前、領主さまが貰ってくださるというのならこれ以上のことはないが……。今決まっている磯村の縁談はおおよそ確実なものだ。領主さまは婚約まではおっしゃってくださっているが、結婚はいつになるかわからないご様子じゃないか」
「じゃあアナタ。領主さまに逆らえとおっしゃるの?」
「そうは言わんが……恋愛結婚というのは水物だからな。領主さまがどれだけ悦子を愛してくださっているか、そこが肝だ。これから常に注意深く見ておかねばいかん。そうでもないなら早めに磯村の方に嫁がせたほうが悦子のためだろう」
「……それもそうねえ」
「とにかく、次は己が行くから。お前は飯のしたくをしていろ。なるべく早くだ」
「はいはい」
そこで、座布団を立つ衣擦れが聞こえてくる。
ヤバイ……
五十嵐さんがジェスチャーで『戻りましょう』と指をさすので、俺たちは暗闇を泳ぐように元の部屋へと戻っていった。





