第69話 婚約指輪
次の日。
俺は風呂から出ると、いつもよりちょっと正式めなジャケットに身を包み、薔薇の香水を少し振りかける。
「わぁ!ご主人さま素敵です♡」
「がんばってくださいね!」
「ファイトですよ!」
こうしてメイドたちにちょっと恥ずかしい感じで励まされつつ出かける準備を手伝ってもらっていると、ふと、背中に女らしい肉体の前面側の起伏がムムッとくっついて来ているのを感じて『あ、五十嵐さんだな』と思った。
「五十嵐さん、準備できたの?」
「……はい」
俺が振り向くと、彼女は鋭い目を伏せうつむくので、高い位置のポニーテールが百合の花のように揺れる。
「……すみません」
「あ? なんで謝んの?」
「いえ……罰ゲームとは言え、わざわざ婚約者になっていただいて」
「……はぁ。罰ゲームじゃねえって言っただろ」
俺はため息をつくと、女秘書の肩をポンっと叩いて言った。
「ただ、俺がそうしたいってだけさ」
「……エイガさま」
そういえば。
ptで罰ゲームを命じられる遊びのルールは、俺の領主権限で廃止した。
俺の貸しが次々とptで発行されるのに、いつでも領主への罰ゲームと兌換できるんじゃあ、いくら罰ゲーム耐性があってもこっちの身が持たないからな。
その代わり、罰ゲームとか関係なく、五十嵐さんの頼みは普通に応えることにしたのである。
仲間として、困った時は助けてあげなきゃだしね。
「じゃあ、ご実家へ挨拶に行こうか」
「……はい」
そう言って2人で館を出て行こうとしたとき。
「あ、旦那。ちょっと待つッス」
ガルシアが宝箱を持ってトトトっとやって来る。
なんだ?
パカ……
宝箱が開くと、まるで海賊の財宝のように貴金属がぎっしり詰まっていた。
「なにこれ?」
「婚約指輪、必要でしょ?お値段べんきょーしとくッスよ」
とエクボを浮かべて笑う商人。
「大げさな。そんなんいらねーって」
「ダメッスよー、おふたり婚約者なんスから♪」
「婚約者のフリ、だろーがッ」
そう。
俺はこれから五十嵐さんの婚約者のフリをして、彼女のご実家へ挨拶へ伺うのだった。
ずいぶんひどい嘘をつくものだと思われるかもしれないが、これには相応の事情がある。
まず、五十嵐さんのご実家は、五十嵐さんがいつまでも結婚しないで仕事ばかりしているのを快く思っていない。
いや、実家というより、お母さんがたいへん心配している様子なのは、先日かいま見た通りなのだそうだ。
一方。
当の五十嵐さんはそんな母親からの『早く結婚しろ圧力』が苦手で、それで実家を避けていたのである。
(五十嵐さんもせっかく【お嫁さん】職性の持ち主なのにもったいないなーとは思うけど、まあ世の中そんなもんだよね)
で、そんな情勢の折。
件の母がとうとう「今度こそは」と娘のお見合いを決めて来てしまったというのだ。
相手は磯村の有力者。
つまり、もうよほどのことがない限り粛々と縁談を進めていかないと両家の面目を潰してしまうという状況。
家のことなんてカンケーないと跳ねっ返ることもできようが、しかし、もしそれで2大村の有力家どおしがギクシャクすれば領地全体のマイナスにもなる。
意外と気ぃっ使いな五十嵐さんからすれば、みんなへそんな迷惑をかけてまで縁談破棄を通すなんてできはしない。
このままだと彼女は気乗りのしない結婚をせざるをえなくなってしまうだろう……。
ので。
そのよほどのことをしつらえる必要があるわけだ。
「ねえねえ旦那。婚約指輪買ってあげましょうよー」
というわけで領主である俺が『五十嵐さんの婚約者』を演じることとなったのだが……それをいいことにガルシアは高額な指輪を売り付けようとしてくるワケである。
やれやれ。
コイツ、ほんと筋金入りの商人だな。
「そうじゃねーッスよ。何事も形からというでしょう?こういうことの積み重ねから本当の愛が生まれるんスからね」
マジで、商人の口にする『愛』ほどいかがわしいもんはねーわな。
……でもまあ、しかし。
婚約指輪があった方が『婚約者のフリ』にしてもリアリティはあるかもしんないとは思った。
「五十嵐さん、指輪のサイズは?」
「……8号です」
「そう……か」
「なにか?」
「えっ? いや……」
8号サイズの婚約指輪なら、ティアナへ渡すはずだったものをひとつ持っている。
再び勇者パーティの戦闘についていけるようになったら渡そうと思っていたピンク・ゴールドの美しい指輪。
あの指輪もこのまま『もちもの』の底に残されているよりは、こんな機会に使ってやった方が浮かばれるのかも……
と、瞬間そんなふうに脳裏をよぎったが。
「チッ、しょーがねえな」
「へ?なにがッス?」
「ガルシア、お前にも世話になってるし。指輪のひとつやふたつ気前よく買ってやんよ!」
「おお!さすが旦那ッス!」
ニコニコ顔のガルシア。
俺はヤツの宝箱から五十嵐さんに似合いそうな指輪を探してみる。
「うーん……これか、な」
しばらく迷って、プラチナのリングをひとつ選んで買った。
ちなみにガルシアから買うと言っても遠雲で生産されたものではないからptは通用しない。
小切手だが、〆て100万ボンドである。
キラーン☆
「……じゃあ五十嵐さん。手、だして」
俺はそう言って、女秘書の神経質そうな白い手をそっと取る。
そして、その無防備な薬指へ婚約指輪をツツーっと嵌めてやると、
「ぁ…………」
と、女は小さく息を漏らし、あのキュっと尖った唇をかすかに揺らした。
「ふふっ、じゃあいってらっしゃい。……応援してるッスよ」
ガルシアはやさしい眼差しを向けてそう言う。
「……」
一方、少し釣ったキツい目は薬指の銀飾をジッと睨んでいた。





