第55話 職人リヴ・ランティス
商業都市ハーフェン・フェルトの港。
午前の陽がぼんやりと照り出し、船体の霜から水滴がしたたり始める。
ぴちょん……ぴちょん……
さて。
ケルムト文化圏での遠征で一定の成果があがり、俺は領地遠雲へ引き返そうとしていたのだった。
今のうちに領地でやっておきたい事業もあるしね。
だが、それは部隊150人すべてを連れて……というわけじゃあない。
領地の遠雲はまだ農閑期なので全員で引き上げる必要もないし、船は3隻あるのだから、俺はそのうちの1隻を使い50名だけを連れて帰ることにしたワケである。
つまり、領地へ帰る『帰還組』と、残って冒険を続ける『残留組』で部隊を二手に分けるってこと。
「獲得した愛手夢はいかが致せばよいでござるか?」
そして、『残留組』の大将には坂東義太郎を任命した。
彼には特によく指示を与えておかなくっちゃね。
そう思って、ガルシアと五十嵐さんに作ってもらったファイルを渡す。
「このリストにあるアイテムは船へ積んで遠雲へ送ってほしいんだ。特に鋼鉄系だな。1隻の輸送キャパがいっぱいになったら50名と共に遠雲へ送り出してくれ」
そう。
俺の領地ではまだ魔鉱石以外の鉱物が発見されていない。
ので、新産業を興すのに必要な原材料は、冒険の獲得アイテムで仕入れて行こうと考えているのだった。
これまでのアイテム獲得とボス討伐の報奨金で4500万ボンドの預金があるから、しばらくはもう『外貨不足で冒険が回らない』なんてことにはならないと思うしね。
「次の1隻も同じようにでござるか?」
「うん。それで50名ずつ冒険したり、休暇を与えたり、領地の産業に従事させたり……ってローテーションを回すつもりだから」
「なるほどでござる」
「でも、強めのクエストにあたる時には全員集合して冒険にかかるぜ」
「ふっふっふ、御意……でござる」
坂東義太郎は剣の才能もあって現在戦闘力7,800まで成長していたが、それ以上に現場で人を統率する力に優れ、読み書きそろばんなど事務的な処理能力もある男だった。
生真面目で少し融通の効かないところはあるけれど、俺から離れた部隊を率いて作戦を遂行する『中間管理職』にはまさに適任なのである。
「これで出航の準備はすべて完了ですね……」
こうして諸々の引き継ぎが終わる頃、五十嵐さんがポツリと言う。
「うん。あと【銅の剣】を預けっぱなしだから、最後にちょっとランティスの鍛冶屋に寄ってくるよ」
「わかりました」
そういうわけで俺は出航直前に一度船から降りたのだった。
ザッザッザ……
すると、同時に埠頭を歩き来る一人の女が目に入る。
その女が鍛冶屋の娘リヴだと気づくのには数秒かかった。
「あれ?リヴ?」
と言うのも、今日のリヴはいつもと少し違った姿をしていたからだ。
あのタンクトップ一枚の薄着ではなく、ぴっちりした革ジャンバーに、なにやら大きなバッグを担いでいる。
そして、胸の中央には剣が一振り抱えられていた。
「わざわざ持って来てくれたのか?」
「……ああ」
俺は彼女から【銅の剣】を受け取り、鞘から抜くと、陽の光に照らしてみる。
なんと!銅の剣は、
【銅の剣+3】→【銅の剣+8】
へと成長していた。
さすがリヴ!!
「ありがとな!あとは一太郎君にそのつど叩いてもらうって感じで育てていくよ」
一太郎君はリヴから鍛冶の基礎を教わっている。
彼の成長に合わせてこの剣も成長して行くことになるだろう。
そう思って言ったことだったのだが……
「……」
「じゃ……じゃあ。世話になったな」
リヴが黙ったままなので、わざわざランティスの鍛冶屋まで行く必要がなくなった俺は船へ引き返そうと踵を返す。
よし。
銅の剣も返ってきたので、これでもう出航できるぞ。
「エイガ」
と思ったが、しかし、すぐに引き止められて足を止めることになった。
なんだ?
「……あたし、この街を出る」
「は?」
「ここを出て、アンタんところの領民になるよ」
「ま……」
俺は一瞬、銅の剣を落としそうになる。
「マジ!?本当にいいのか?」
「ああ、決めたんだ」
「でもあんなに迷ってたのに」
リヴは首を振って答える。
「本当はもう潮時だってわかってたんだよ。どの道あの店はあたしの代で終わりさ。この街の子たちはもう誰も鍛冶屋なんかに弟子入りには来ないんだ」
今日は纏めずに下ろしていた女の髪が急な潮風に悲しく靡く。
「ガンコなお父ちゃんも死んじまったしね。あたしがいつまでもあの店で閉じこめられていなくちゃすまない理由なんて、本当はもうないのさ」
そうは言うが――そして、その半分はホンネなのだろうけれど――彼女の心のもう半分があの場所にどれだけ親しみを持ってきたのかは、今の口調が酷く口惜しそうだったところを見ても明白だった。
「そうか」
「あ、いや……ごめんごめん! 暗い話にするつもりはないんだよ。こうなったら新天地での仕事を楽しみにしなきゃね。あんたの下でなら楽しそうだって思ったから、こうして来たんだからさ」
リヴはバッグを担ぎ直し、ジャンバーの革地が乳房型にぴったりして金属っぽくテカる胸をムンと張りつつ、ニカッと笑う。
「リヴ……」
「あっ。どうせ嫁に行くアテのなかった身だし、こ、このさい領主様が貰ってくれりゃ話はまとまるんだけどねえ。あはは……」
そんなふうに笑い、俺の背中をバシンっと叩くリヴ。
「ふふっ、冗談ばっか言ってんじゃねえよ。ほら、もう行くぜ」
俺は彼女の肩をやさしく小突き返して、船へと誘った。
※8章お待たせしました。どうぞ引き続きご覧いただければ嬉しいです。





