第35話 覆面
次の日。
都合よく……と言ったらおかしいけれど、ビールを飲みまくった150人の領民部隊の多くが大規模な
『二日酔い』
にみまわれた。
「はぁ……。しょうがねえな。今日はお休みにするから、一日ゆっくりやすめ」
「領主さま……」
「すみませんでした。領主さま」
「……ったく。次からちゃんとコントロールして飲めよ」
なーんて調子こいて言う俺だったが、資金繰りに一日の猶予が生まれたのは正直助かった。
カネがないから冒険へ行けない……だなんて言ったら領主の面目丸つぶれだしね。
でもまあ。
それでもピンチな状態に変わりはない。
だって、手持ちのカネは『0』なのに、明日までに昨日の戦いで折れた剣、放った矢、回復薬などを補充しなきゃなんねーんだから。
そこんとこ、マジどーしよう。
やっぱり魔鉱石を売る?
でも、今持って来ている魔鉱石はこれから冒険で使おうと思っているんだよなあ。
同じ理由で穀物を売るワケにもいかない。
領民たちはパンを食えないから。
ヤツら、ああ見えて胃袋がワガママにできていやがるのである。
「じゃあ、借金しかねーっスね」
と、ガルシアが言う。
「借金かぁ。貸してくれるもんかなあ」
銀行は冒険者に冷てぇからな。
まあ、A級ライセンス以上になると銀行の方から「借りてください」って来るけど。
「エイガ様……これ」
と、そのとき。
俺の右腕と脇の間から女の手がヌっと差し込まれて、マジでビビる。
でも、その指につままれているのは……通帳?
『五十嵐悦子』
と書かれたその通帳をパラパラと開いて見ると、残額には300万ボンドとある。
うん。けっこうあるな。
大臣の秘書時代からちゃんと毎月貯金してきたんだろう。
これだけあればしばらく冒険を回せるにはちがいないけど……
「これは大事にしまっておきなよ」
そう言って、俺は通帳を五十嵐さんの手へ返した。
「……」
五十嵐さんは不服そうだけど、仲間どおしのおカネの貸し借りはおカネの問題だけじゃすまなくなることがあるからな。
冒険でも、それでケンカ別れしたパーティとかけっこう見てきたし。
で、ガルシアが『自分で貸す』とは言わないのも同じ理由だと思っていたけれど……
「いや。そもそも自分は今すぐ貸せるようなカネって、そんなに持ってねーんス」
「なんだ、だらしねーな。商人だろ?」
「商人だからッスよ。逆に、資産を現金で持ちすぎてる商人はダメな商人ッスからね」
「??」
「でも、お役には立てると思うッス。ちょっと五十嵐さんを借りて行くッスね」
「あ、おい!……」
そう言って、ガルシアは五十嵐さんを連れて行ってしまった。
◇
「カネ、カネ、カネかぁ……」
こうしてひとり船室に残された俺も、俺なりに打開策を考えてみる。
「……」
でも、なさけないことに、俺は自分ひとりではカネの工面についてなんら策を思い浮かばなかった。
勇者パーティ時代はカネのことってティアナに任せっきりになってたもんな。
ティアナが加入する前は、それこそクロスとバイトとかしてたもんだけど……。
バイトかぁ。
でも、俺が1日バイトしても、8000ボンドくらいにしかならねーだろう。
1日の冒険で必要なアイテムの費用は150人ぶんでおおよそ30万ボンド。
バイトなんかやっても、やけ石に水もいいところだ。
ドタドタドタ……
そんなふうに考えていると、船中がバカに騒がしいのに気づく。
酒の飲めない年代の者たちは今日もフツーに元気で、その元気を持て余しているのだ。
ドターン!……バキーン!!
それにしても、やけにうるさいな。
そう思って甲板へあがると、射手の杏子が2、3人の村の男子をボコボコに殴っているではないか。
「おいおい、なにしてるんだ」
「あ、先生!男子が!……」
と、なにか俺へ言いつけに来る杏子。
そんな杏子の後ろへ、今まさに殴られていた村の男子たちがそーっと近寄ったかと思えば、彼女の白いプリーツ・スカートをバサぁ!と捲りあげて、ダーっと走り去っていった。
「あっ!また……!!」
杏子はおさげをカっと怒らせて「コラー!」っと男子たちを追いかけて行く。
はぁ……。
そんな杏子の後ろ姿を見ると俺はまたなさけなくなって、ため息が出た。
今の俺は領民にパンツの一枚も買ってやれないのだ……。
◇
まあダメかもしれないけれど、とりあえず銀行へ行ってお願いだけでもしてみよう。
そう思って、身支度のため、俺は船中の風呂へ入っていた。
ちゃぷん……ジャバーン!
桶にお湯を汲んで頭へ流し、湯けむりで曇った鏡へもバシャっと残りのお湯をかける。
泡泡……泡泡、シャカシャカシャカ……
石鹸を泡立て、頭を洗う俺。
「痛っ」
やべっ!目に入った。
でもまあ、すすぐのは後でイイか。
そう思ってギュッと目を閉じ耐えて、俺は頭を洗い続ける。
ガラガラガラ……
そんなとき。
ふいに背後で、風呂のドアの音がたった気がした。
「五十嵐さん?もう帰ってきたの?」
と尋ねるが返事がない。
ヒタヒタヒタ……
裸足が濡れたタイルを歩く音だけが響く。
五十嵐さんじゃないのか?
俺はあわてて、しょぼしょぼする目を湯ですすぎ、鏡ごしに背後をうかがう。
すると、(湯けむりでぼやけているけれど)女の裸のふくよかなアウトラインに、顔だけは紅色の装束で隠された異様な姿が映っていて、瞬間ギョッとさせられた。
「ええと、西園寺さん?」
「ええ。お背中お流し致しますわ」
覆面の裸女は左手で股間を抑え、右手で意外に大きな乳房を抱え隠していたが、その右手の指先に一枚の白い手ぬぐいを用意している。
「そんなのいいからもう出てけ。それとレディなんだから覆面じゃなくて服を着ろ」
「そ、そんな……。私はただ、こんなことでもお役に立てればと……」
そんなふうに憐れっぽく言われると、『奥賀から来た人の厚意をあまり冷たく拒絶しすぎるのもどうか』とも思われてくる。
「うーん……じゃあ、背中だけでも」
「かしこまりましたわ♪」
西園寺さんはそう答えると腰をなよやかに前へ屈めて、背後から俺の石鹸へと手を伸ばした。
泡泡……泡泡……
手ぬぐいが背中を擦る圧力。
「……」
うーん。
別に悪いことをしているワケじゃないけど、シーンとしているとなんか気マズいなぁ……
そんなふうに思いながらも話題が思い浮かばず黙っていると、西園寺さんの方から声をかけてくる。
「エイガどの?」
「ん?」
「ひょっとして、今おカネに困っていらっしゃるのではありませんの?」
なんだいきなり……。
「そ、そんなワケねーだろ。昨日も言ったけど、俺だって『遠雲』って土地の領主なんだ」
「オホホホ……。エイガどの。私だけには弱いところもお見せくださってかまいませんのに」
うっ。
昨日もちょっと思ったけど、この女にはなんか見透かされているような気がする……。
「私、もしエイガどのがおカネに困っていらしても、そんなことを坂東さまへ報告などいたしませんわ」
「……え?でも、あんた。坂東義太郎の部下なんじゃないのか?」
「オホホホ……。それは名目上のこと。エイガどのだけに申しておきますが……私にはある密命がございますのよ」
「奥賀の領主からの?」
「いいえ」
「ってことはスパイってこと?」
「ありていに申せば、そういうことですわ」
ちっ、面倒くせーな。
汽船のことで意見はちがっても、奥賀の領主とは基本的に友好関係を続けていきたいと思ってるのに。
「で、どこのスパイなの?」
「とある一族……とだけ。でも、我々はエイガどののお味方になれると考えていますのよ」
味方になれるって言われてもねえ。
困るなあ。
「……たとえば、私どもは今日即日。エイガどのへ5000万ボンドの支援が可能ですわ」
「ふーん……って!……5000万ボンド!?」
「これはエイガどのの成功が我々にとって有益に作用すると考えるからこそですの。受け取ってくださいますわよね?」
当然。
俺は「うん」と頷きたくてたまらなかった。
5000万ボンドあれば、遠征が軌道に乗るまで資金に困ることは絶対にないからな。
しかし……
「あのさ。今のところ本当にカネには困っていないんだ」
と、答えておく。
そう。
俺だってそんなウマい話にホイホイついていくほど馬鹿じゃない。
どこの馬の骨か知れない組織に首根っこをつかまれてたまるかよ。
そもそもスパイだって話自体が嘘で、西園寺さんの誘導尋問なのかもしれないのだし。
「……信用してくださいませんのね」
「まあ、そういうことさ。少なくとも覆面して顔も見せてくれない相手を信用できるワケないじゃん」
そう答えると、西園寺カナ子はまたオホホホ……と笑い、桶へ手を伸ばしつつ言った。
「こんな覆面。すぐにでも外してご覧いれましょう。しかしエイガどの。そのためにはまず抱いていただかなければなりませんわ」
「……意味がわかんねーんだけど」
「一族の者以外にこの顔を私のものと知られるわけにはまいりませんの。しかし逆を言うと、一族の契りさえ交わしていただければ、いくらでもこの顔をご覧いただける……ということなのですわ」
「別に一族に加えてくれとまでは言ってねえよ」
「あら?……意外と臆病ですのね」
パシ……!
そこで気づくと俺は半身に振り返り、桶を持つ女の腕を強くつかんでいた。
「っ!」
紅色の布からかすかにのぞく美しい瞳と目元のホクロ。
「今のはあんたが悪いんだからな」
俺はそう吐き捨てて、覆面の下の裸の肩首へ、偽悪的な唇をちゅろっ……と付けてみせる。
「うっ……」
しかし、そんな演技のできない地声で低く呻く女の反応から意外な初心さを発見して、俺はハッとする。
しまった……。
さっきの挑発は経験値のある女の言葉じゃなくって、俺を取り込むための策略だったんだ。
そう気づいたとき。
ガラガラガラ……
再び風呂のドアの開く音がたって、俺は西園寺カナ子の肌から唇を離す正当性を得る。
「……」
で、視線をそちらへやるとタイト・スカートの女がこちらを睨み立っていたのであった。





