第30話 ケルムト文化圏
俺の領民150名を乗せた3隻の船は、極東を離れ、大陸づたいに【ケルムト文化圏】の海へと入った。
ケルムト文化圏は、昔取った杵柄というか、俺とクロスが初級~中級の2人パーティとして活動していた地域で、ある程度勝手がわかるのだ。
この文化圏は、特に『森』が海のように広く、ダンジョン、塔などのクエスト区域もいろいろなレベルで発生している。
こうしたモンスターの頻出する区域を避けて縫うように王侯貴族の領地、町、村などが点在しており、多くの冒険者や冒険にたずさわる商人なども盛んに行き来するような地域なのだ。
で、俺たちはケルムト文化圏の海へ入ると、まずは商業都市『ハーフェン・フェルト』へ向うのだった。
トントントン……
船室で『育成の理論と実際』という魔導書を読んでいると、ドアがノックされて硬質な音の立つのを聞く。
「はーい。どうぞ」
俺は『育成の理論と実際』へ栞をはさむと、イスを回転させてドアの方を向いた。
「エイガ殿」
船室を訪ねて来たのは坂東義太郎である。
「もう半刻ほどで商業都市『派亜府円・府江瑠斗』へ着きましてござる」
「……そうか。夜露死苦な」
そう答えると、坂東義太郎は中腰ぎみに一礼して踵を返した。
「あ、ちょい待ち。坂東くん」
「は」
「ハーフェン・フェルトからは陸路を取るけど、今日は船中泊して明日出発しようと思う。みんなにそう伝えておいて」
「かしこまってござる」
「それから港へ着いたらキミの部下3人を連れておいでよ。『歓迎会』ってことでさ。メシでも行こうぜ」
「ははぁー、ありがたき幸せ」
坂東義太郎が去ると、俺はまた『育成の理論と実際』を開いた。
ぺら、ぺら……
「それにしてもハーフェン・フェルトか……」
魔導書の文字列を眺めながらも、そんなふうにひとりごちる俺。
ハーフェン・フェルトといえば……
俺とクロスがようやくバイトしないで冒険に専念できるようになったのも、その近くのC級クエスト区域【ル・モンドの森】でアイテムを獲得して、それを【商業都市ハーフェン・フェルト】で売りさばく……って勝利の方程式を編み出してからだった。
冒険者として『宿』に泊まるようになったのもその時期だったな。
スゲーちっぽけな宿屋でも『ちゃんと宿屋に泊まれる』ということが当時の俺たちには大事件だった。
なんか自分達の足でこの世界に立ってるって感じがしたものである。
それで、もう大冒険者にでもなったかのような気分になっちゃって、いきなり無理なクエストへ挑戦してボロボロの死にかけになったりしたっけな。
「ははは……」
つーか、あと半刻で着くと思うと魔導書の内容もぜんぜん頭へ入って行かねーわ。
パタン……
俺はやはり本を閉じた。
そしてイスの上で伸びをして、ただ船室の壁と天井の境目をボンヤリと見つめ始める。
ざっぷーん!……ざぷーん……
海水の滴る音に、間断なく浮き沈みする感覚。
天井付近の小さな丸窓を通して陽がちゃぷちゃぷと海水を斑に映すから、まるで母胎の中で揺らめいているかのようだった。
◇
ハーフェン・フェルトの港は、中小の船でごった返している。
戦士たちのかかげる槍や旗のように乱立するマスト。
そのうちの3つに、俺たちの船もなった。
ガヤガヤガヤ……
俺は、埠頭に降り立った領民150名を前に指示を出す。
「よーし!これから夕方まで自由行動な。長い航海で疲れたろうから、のんびり街をめぐってくるとイイ。だが、ちゃんと班ごとに行動しろよ」
そう言って、一人1000ボンドずつおこづかいをやると、5人ずつの班で街へ散っていく。
キャッキャ♪……キャッキャ♪
みんな初めて来る海外らしく、地に足が着いていない感じで、遠くから見ると修学旅行で初めて都会へ出た田舎の子どもみたいな感じに見える。
「エイガ殿。部下を連れてまいったでござる」
そんな時、坂東義太郎が部下3名を連れてやってきた。
「おお。ご苦労さん。じゃあ行こうか」
俺も、ガルシア、五十嵐さん、坂東義太郎とその部下たちを引き連れて、ハーフェン・フェルトの街へと出るのだった。
ザッザッザ……
うーん。
こうして6人ぞろぞろ街中を歩いていると、俺たちってちょっと異様な集団だな。
冒険者も目につく街だから変な格好の連中も多いのだけれど、その中でも俺たちは特に異様な雰囲気を醸し出していた。
怪しい商人のガルシア。レディ・スーツの五十嵐さん。異国の着物に大小の刀を差して歩く坂東義太郎とその部下3名。
たまに『あ!俺たちよりも変なヤツらがいる』と発見したりもするけど、そのふんどしの女をよぉく見るとチヨだったりして、ただ苦笑するばかりであった。
まあ、それはそうと。
商業都市『ハーフェン・フェルト』は赤い煉瓦造りの建築がびっしりと建ち並ぶ美しい街である。
街の中心にそびえる時計台。
広場を彩る噴水。
天まで響く大聖堂の鐘。
整備された石造りの道は、ハーフェン・フェルトの街を縦横無尽に走っている。
「……綺麗」
美人だがいつも不機嫌そうに見える五十嵐さんの唇からも、そんな可憐な言葉が零れた。
◇
さて、俺は若い時によく行っていたウィンナー屋さんへみんなを連れてくる。
「ウィンナーとポテトを6人前。それから……ビール欲しい人は?」
「ビールとは何でごわすか?」
と、坂東義太郎の部下の一人が尋ねる。
彫りの深い顔をした男で、歳は40ほどだろうか。
「ビールは大麦のお酒だよ」
「酒♪ふふ、おいはいただくでごわす!」
「でも……まだ外も明るいですわ」
そんなふうに苦言を呈す女も坂東義太郎の部下だ。
声から察するとそれなりに若い女だが、全身を鈍い紅色の装束で纏って顔も半分は隠されている。
格好から言えばこの人が一番怪しいよな。
「アルコール薄いから大丈夫だって。ガルシアは?」
「自分もいただくっス」
「坂東くんは?」
「拙者とこちらの一太郎は下戸なもので……」
「そっかぁ。じゃあビールは3つ」
まだ陽も高いので、店内にはそれほど客は入っていない。
注文はすぐに来て、俺とガルシア以外はウィンナーの姿形に驚いたりなどしていた。
ワイワイ……ガヤガヤ……
さて、メシを食いながら板東組の面々が自己紹介など始め、場は和気あいあいとし始めるが、そんな様子を俺は一歩引いて眺めている。
坂東義太郎の3人の部下たちへ向かって、育成スキル【女神の瞳】を開いていたのだ。
酒好きの40男、山本ゴン吉さんの職性は【大工】である。
全身装束の怪しい女は西園寺カナ子さんと言って職性は【女忍者】。
最後の一人、一番若い男は田中一太郎くんと言って職性は【鍛冶屋】だった。
うーん。
とりあえずダイレクトに冒険に向いた職性ではない、か。
奥賀の領主には悪いけど、戦闘よりもそのサポートに向いた人たちなんだろうな。
そんなふうに思って【女神の瞳】を閉じると、隣の席のレディ・スーツの肩が俺の腕へフニフニ触れているのを感じた。
横へ振り向くと、鋭い目をした女が恐る恐るウィンナーへ舌を付けたり離したりしているのを見る。
「五十嵐さん。食べないの?」
「……」
どうやらウィンナーが怖いらしい。
「大丈夫だって。おいしいから。……ほら、みんな食ってるだろ」
五十嵐さんは真面目な顔でコクリと頷き黒髪のポニーテールを揺らすと、目をギュっと閉じてウィンナーをちゅぽっと咥えた。
「っ……っ」
しかし、噛む勇気がないらしい。
しばらくは哺乳瓶を咥えた赤ん坊のような唇をしていたが、残念ながらちゅぽんっと吐き出されると、ウィンナーは彼女の上唇を軽く弾き、鋭い目つきの前でぶるんっ!と肉々しく揺れていた。
「はぁ……。しょうがねえな。俺のポテトの方を食べなよ」
そう言って俺のポテトをあげると、五十嵐さんは申し訳なさそうに俺へウィンナーを手渡した。
え……それ、俺が食べんの?





