第3章 出航
宿を出ると、このマリンレーベルの街はもう動き出していた。
港町の朝は早いのだ。
俺は埠頭近くの喫茶店でコーヒーとモーニングを頼み、ティアナからもらった【領地】の資料へ目を通し始める。
ペラ……
しかし、紙の上の情報だけじゃよくわからないな。
まあ、もっとも『ギドラの大蛇』のクエストで一応行ったことはあるはずなんだが。
でもそのときはまさかこんなことになるだなんて思ってもみなかったから、深く記憶に留めてなどいなかったのである。
……なにはともあれ、現地へ行ってみるか。
冒険をやるんじゃなかったら他にやることもないし。
それでやっぱり『こんな土地の領主なんて嫌だ』って思ったら、王に直接返却するのが一番だろう。
「じゃあとにかく、極東へ向かう船に乗らねーとな」
俺は喫茶店で朝食を済ませると、『発券所』へ行って船の便を確認する。
「極東への便は……一番早いもので今日の午後1時出発というものがありますが」
「じゃあそれで。席は二等でお願いします」
「極東行きの二等席で。ええと、しめて7万ボンドになります」
俺はお金を払って券を手に入れると、1時まではまだ時間があるので『銀行』へ向かった。
「エイガ様の預金の残り残高は、2205万3450ボンドです」
これはパーティのではなく、俺個人の預金である。
「そのうちの1500万ボンドおろします」
「……ええと。申し訳ございません。窓口での即日お引き出しの限度額は1000万ボンドとなっておりますが」
「そっか。じゃあ1000万ボンドで」
「かしこまりました」
こうして一応まとまったお金を所持しておく。
なにせ銀行がどこにでもあるとは限らないからな。
ザッザッザ……
それから今度は、『武器屋』へ向かった。
ガチャ、チャリン♪チャリン♪
「いらっしゃい!」
武器屋の威勢のよい声。
店へ入ると何百万ボンドもする剣や、1000万ボンド超えの鎧などの光沢に瞳を奪われるが、残念ながら俺には装備ができないものばかりだ。
俺もせめて上級の装備ができればなあ……
と思うが、こればかりは才能なのでそんなことを言っても仕方がない。
とにかく俺でも装備できる中級武具を、予備として買っておいた。
特に剣やナイフは磨耗するし、向こうに鍛冶屋があるとも限らないしな。
まあ、これからはもうあまり戦闘はないのかもしれないけれど、自分の身くらいは自分で守らねーとだしね。
さて、その武器屋の隣には『道具屋』があって、むしろ多く買物をしたのはこっちだった。
色々な等級の回復薬はもちろん、毒・麻痺の解消薬、聖水、お札、アウトドア・セット、お香、食器などなど思いつく限りを買い込む。
「あ、すいません。これ全部郵送で」
「ではこちらにご住所を」
「住所、確定したら連絡するんで。保管しておいてもらえませんか?先払いするんで」
「はあ。先払いでしたらけっこうでございますが」
というわけで、俺は武器や道具で今買物したぶんはあとから現地へ送ってもらうという手配にしておいたのだった。
ドン!! ドン!!
店を出ると、青空に空砲が響きわたる。
ちょうど12時になったらしい。
「そろそろ埠頭へ戻るか」
そう思って踵を返したときだった。
「あれ?あれ、あれぇ?エイガ先輩じゃないですか?」
聞き覚えのある声が耳に入る。
「うっ、エマ……」
そう。
ウチのパーティの回復担当、白魔道師のエマだ。
コイツは一番最後にパーティへ入ってきたのだったが、そのハイレベルな回復スキルで今やパーティになくてはならない存在になっている。
「……」
それから、エマの後ろに立っているのは前衛の剣士デリー。
コイツは打撃力は超絶的にあるくせに、普段はエマの後ろにくっついているばかりの無口な男だ。
今も、口を開く様子はない。
「クロス先輩がすごく探していたけれど……いいんですか?こんなところにいて。ふふふ」
だから、こうやっておちょくるように喋りかけてくるのは、いつもエマの方だった。
「お前、クロス呼ぶなよ」
「あはははっ!クロス先輩『お別れ会』とか頭沸騰したことおっしゃっていましたからね(笑)」
「あんま笑ってやるな。アイツはあれでマジなんだから」
「ははっ……たしかに笑えないです」
エマの口調が少し低く変わった。
「そもそも弱い人をクビにするなんて当然のことじゃないですかぁ。クロス先輩も、ティアナ先輩も、エイガ先輩に気を使いすぎなんですよ」
「っ……」
「先輩がこれまで居座ってきたぶん、パーティがどれだけ足踏みしてきたか。考えたことあります?」
「それは……」
俺がなにも答えられないでいると、エマはイラだったようにこう続ける。
「ふん……。と言うかエイガ先輩。クロス先輩やティアナ先輩が『クビだ』って言い出せなかったってこと、わかってたんでしょ?わかってて、それに付け込んでパーティに居座ってたんですよね?」
「……エマ」
そこで珍しく後ろのデリーが口を開いた。
「それ以上は、よせ」
「デリー……」
すると興奮ぎみだったエマもふうと一息つく。
「……まあ、いいです。どちらにしろ今日からは自分より弱い人に先輩ヅラされることもなくなるんですしね。ふふふ。じゃあ、さようなら、先輩♪」
こうしてエマとデリーは俺の前から去っていったのだった。
◇
「極東行きの船は1時出航でーす!乗り場の方へおまわりくださーい!」
埠頭へは、余裕をもってたどり着いた。
俺は係員の声に応じて、鞄を持ち、立ち上がる。
しかし、客船は2隻並んで着いていた。
あきらかに一方へ人が集まっていたので、1時発の船が右側のそれであることはすぐにわかったけれども、左側のがどうしても気になって、ヒマそうにしていた警備員に尋ねてみる。
「あっちの船はどこへ行くんでしょう?」
「ああ、あれは西へ行く船だ」
「西、と言うと?」
「ザハルベルトまでさ。今日の6時だったかな」
やっぱり。
クロスたちはみんなで、今日あれに乗ってゆくんだ。
より高いレベルで冒険を続けるために……。
ガヤガヤガヤ……
大勢の乗客と共にタラップを登ると、俺は甲板の上からもう一方の船をマスト越しにジッと見つめていた。
今はこんなに近いのに、あの船は西へ行き、この船は東へ行く。
それが不思議でたまらなかった。
ちゃぷ……
カモメが翔んだ。
船が、船着きから離れる。
この船が進むたびに、あのザハルベルトへ行く船との距離はだんだんと離れてゆく。
もう小さい。
ボー……ボー……ボー……
出航の汽笛の三つ鳴るのが、まるで人の泣く音のように聞こえた。