第2話 退職金がわり
チュンチュン……
朝。
宿の木窓から薄い陽がこぼれ、小鳥がせわしなくさえずる。
「さて、行くか」
俺は、タバコの火を灰皿へ押し付けると、鞄をつかんで立ち上がった。
すでにシャワーを浴び、着替えは済ませてある。
そう。
クロスの開く『お別れ会』だなんてクソ恥ずかしいものに巻き込まれてたまるかってんだ。
つーか、そんなん明らかにみんな気まずいだろーが。
まあ、アイツはあれで悪気はねえんだろうけど……
こういうときは、みんながまだ寝ている間にさっさと出発してしまうのが一番だ。
ガチャ……
そう思って部屋のドアを開けたときである。
「……」
「うわ!」
ふいに部屋のドアの真横に女の気配がして、俺はビックリして部屋へ退いてしまった。
「おはよ」
くてんっと金髪の三つ編みを垂れて入口からのぞいてくる女を見ると、パーティで援護魔法を専門とするティアナだった。
「おはよ……じゃねえよ!そんなトコに張り付いてなんなんだよ、こんな朝っぱらに!!」
「エイガこそ、こんなに朝早くどこへいくのかしら?」
「うっ……さ、散歩だよ」
「そんなに大荷物で?」
「……」
なるほど。
俺が『お別れ会』をブッチするなんて、コイツにはお見通しだったってワケか。
「ああ、そうさ。俺はもう出て行こうとしてたさ。でもよ、このまま黙って去って行くのが男の去りぎわってやつだろ。どうか止めないでくれ……」
「止めないわ」
「止めねえのかよ!」
ちょっとくらい引き止めてくれないとカッコつかねーだろうが!
「解雇した仲間の『お別れ会』とか、クロスの頭の方がおかしいのよ」
あ、やっぱ俺じゃなくても思うんだ、そーゆーの。
「じゃあ、なんなの?お前の待ちぶせの意味は」
「パーティの『もちもの』分与のことだわ」
ティアナは、赤い枠の眼鏡を正しながら言った。
「あなた、クロスがいいって言うから装備とかアイテムとか、勝手に持って行こうとしてたでしょ。それじゃ困るのよ。パーティからアナタへ分与する資産のリストを作って来たから、確認の上、捺印してちょうだい」
「お前、そんなことのために朝から人の部屋の前で立ってたの?」
「大切なことだわ」
はぁ……
あいかわらずだ。
クロスのことを頭おかしいって言うけど、ティアナも相当だと俺は思う。
「やれやれ。じゃあ、とりあえず入れよ」
そう言って親指を立てて部屋の方へ向けたのだが、ティアナは入ってこない。
「どうしたの?」
「……だって」
ああ。そうか。
ティアナと俺の部屋でふたりっていうのはちょっと気マズイな。
はぁ……マジめんどくせえ。
「じゃあロビーでいいか?」
「ええ」
と答えたので、俺はあらためて部屋を出てドアに鍵をかけた。
◇
「これがパーティからあなたへ分与する資産のリストよ」
エントランス付近の宿のロビー。
ティアナは俺へ一冊のファイルを渡す。
それにしても、コイツの金髪三つ編みに赤い眼鏡、長い手足にパンツ・ルックといった出で立ちは、いつ見てもスキのない感じがするな。
「そう言えばお前さ。クロスとはどうなの?」
俺はリストを確認しながらそう尋ねた。
「別に。あなたにはもう関係のないことだわ」
「そりゃそっか。こっちはパーティを解雇になった身だしな」
「そうじゃなくて!……あなたから別れるって言い出したんだから、もう私が誰とどうなろうと勝手でしょうって意味よ!!」
「デカイ声出すなよ。他の客、まだ寝てるぜ」
「……」
そう言うと、ティアナはぷいっとそっぽを向いて黙りこんでしまった。
ペラ、ペラ……
沈黙の中、リストを確認してゆく俺。
しかし、
「じゃあ、ここにハンコか……」
と思って印鑑に朱肉をつけたとき。
あれ?
リストにヘンなものが載っているのが目に入る。
「なあ、ティアナ。最後の『領地2500穀』ってなに?」
「……それは私の裁量で、あなたへ譲渡することにした領地よ」
「は?」
「退職金と思ってもらえばいいわ」
いろいろとツッコミどころは多いけど、まず思うのは……
「パーティにこんな資産があったんだな」
「去年の暮れに『ギドラの大蛇』を滅ぼすクエストがあったでしょう?あのときの土地の王がとても喜んでくれて、お礼にって譲りうけていたのよ。でもパーティが領地なんて持っていても仕方ないし、冒険を続けて行くのには手にあまる長物よね。で、このさい去って行くあなたへ押し付けてしまうのが得策だと思ったの」
「正直すぎるだろ!……つーか、領地なんて俺にだって手にあまるって。冒険しながら治めるとか無理だし」
と答えると、ティアナは悩ましげに『はぁ……』とひとつため息をつき、すぐにキっと居住まいを正した。
コイツは本当にビックリするほど美しい姿勢をする。
鳩のような曲線を描く腰に胸は張って、サマー・ニットに包まれた小ぶりな乳房はお行儀よくツンと上を向いていた。
「エイガ、あなた。パーティを出た後、なにをするつもりなの?」
「なにをって。まあ、まずはイチから仲間集めを……」
「私個人の意見としては、あなたはもう冒険者でいるべきではないと思うの」
「あ?」
「あなたの育成スキルはたしかに超一級よ。私たちがこうして集まって、ここまで強くなれたのも、あなたの力のおかげだわ。その点はパーティの一員として本当に感謝してるの。その……あ、ありがとう」
「ティアナ……」
それは俺も自負していることだったけれど、じっさいに仲間からそう感謝されると胸が熱く、耳がピクっとして、ちょっと泣きそうになるほどだった。
「でも、あなたのスキルって、そこまでなのだわ」
!?
「パーティを育成して、強くなると、あなたはパーティにはいられない。そういう運命なのよ。ここを出てまたパーティを育成しても同じことの繰り返しだわ」
「そんなのやってみなきゃ……」
「わからない?」
いや……
それは、ティアナの言うとおりだ。
俺の育成スキルの運命。
他のスキルの才能は頭打ちだし、俺ももう27歳だ。
これからの可能性が云々と言えるほどは若くはない。
そんなことくらいコイツに言われなくても自分で気づいていたさ。
また同じようにパーティを組んだって、同じことの繰り返しだって。
「才能って残酷だわ。有無だけじゃなくて、才能の性質がうまく噛み合わなきゃ幸せにはなれないなんてね」
俺は、ティアナの青い瞳に『憐れみ』が映っているのに気づいて、ちょっとたまらなくなった。
「こういう言い方はヘンだけど、私はあなたに幸せになってほしいの。このパーティをここまで育ててくれた人だもの。たとえ冒険者として成功できなくても、冒険者だけが人生じゃないのだし」
「で、『領主でもやれば?』って言いたいわけか」
「……退職金よ」
ふー……
俺は深い深いため息をついて、もう一度ティアナの青い瞳を見る。
「ありがたく受け取っておくよ」
そして、そのままリストへ捺印した。
ティアナも何故か長いため息をついて、
「これが領地の資料よ」
と言って別のファイルを手渡す。
「……ああ。ギドラの大蛇のクエスト思い出したわ。あの極東の島国か」
「……ええ」
「いいとこだよな」
「領地はそのずっと田舎の方だけれどね」
「そっか。お前のおかげで悪くない第二の人生になりそうだな。ははっ」
「エイガ……」
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。みんな起きてきちまうだろうから」
と言って立ち上がったとき。
俺の上着の袖を、ティアナの指先がつまんだ。
「なに?」
「最後に聞かせて。あのとき『別れよう』って言い出したのは、クロスの気持ちに気づいてたからじゃ……」
俺はすかさず女の指をペシっと払う。
「なわけねーだろ。考えすぎだよ。……クロスと幸せにな」
そう言って俺はつかつかと宿を去った。