第164話 そうみたいだな
「き、記憶喪失って……どういうことですか!!」
館の居間に少女の怒声が鳴り響いた。
栗毛のポニテの彼女は、かすかに涙を浮かべてギリギリと俺を睨んでいる。
「しかも結婚って……そんな!」
「やめなさい」
金髪三つ編みのメガネの女が、それを止める。
「だって……だって、エイガ先輩とティアナ先輩は……」
「やめて!」
三つ編みの女はさっと左手を抑え、何かを隠した。
「いいのよ……エマ」
「先輩……」
少女を制し、美しい姿勢で赤いメガネを正す女。
ニットにぴっちり映る乳房の形に、どこか所在なさげで憐れな感じがある。
「よくわからないけど、キミたちは俺の昔の冒険者仲間なんだろ?」
「……そうです」
長身長髪の男が答える。
「俺は育成スキルでパーティを成長させた。しかし、俺だけはキミらの成長についていけずに、仕舞いには解雇された……そう聞いたけど、本当か?」
「それは……はい……」
「だったら今さらなんの用だよ。パーティに不要だから解雇したんだろ」
自分で思ったよりも冷たい声が響いた。
居間は静まり返る。
「……だったら放っておいてくれよ。俺としてはそんな悲しい過去は忘れて、今の仲間と第二の人生を歩んでいこうとしているんだ。ちょうどいいといったらナンだが、記憶喪失で思い出せないことだしな」
「お師匠……」
ショートヘアーの可愛い少女がこちらをうるうると見つめる。
「本当にボクたちのこと忘れちゃったの? 一緒に行った冒険も、全部?」
「うッ……」
……か、可愛い。
ちょっと罪悪感が生まれる。
「ごめん。ちょっと言い過ぎたかもしれない。でも、今の俺はこうなんだ。悪いけど、帰ってくれ」
「エイガ……」
そこで、金髪三つ編みの女が一歩前に出た。
「あなたの今の幸せを理解するし、尊重するわ。でも、これだけは伝えさせて。クロスのことよ」
「クロス……!」
女は俺がその名だけ記憶していることを知ってか知らぬか、こう続けた。
「勇者クロスは行方不明になっている。おそらく地獄へ行ったのだわ。それで記憶を失う前のあなたは、この領地にある地獄門の存在を明かしてくれた。あの、雪降る艦橋の上で……」
黄金の髪を耳にかけながら伏せる女の瞳は、何か想い出しているようだった。
「クロスの心を救えるのは、あなたしかいない。私たちはそう思ってここに来たのだわ」
「……」
「気が変わったら、教えてちょうだい」
女はそう言って背を向けた。
◇
「くそッ……」
四人が館を去った後、俺は頭を抱えていた。
少し冷たく当たってしまったかもしれない。
正直、俺には彼らに解雇された恨みみたいなものは、まったくなかったんだ。
だって覚えていないんだもん。
でも、あの四人の前では何故かソワソワとして、忘れていた記憶がずるずると引き出されてしまうような気がしたんだ。
クロス……
その男のことも気になる。
夢の中で、俺を助けてくれた銀鎧の男。
今度は俺が彼を助けてあげられるのなら、助けに行ってやりたい。
でも……
俺は怖かった。
冒険へ出て、記憶が戻ってしまうこと。
今の幸せが泡のように消えていってしまうことが……
「……エイガさま」
頭を抱えていると、嫁が俺の腕にそっと触れた。
「行ってきてください。冒険へ……」
「……!?」
俺は驚いて彼女の鋭い目を見つめる。
「な、何を……?」
「わかっています。行きたいのでしょう?」
首を振る俺。
「……さっきも言ったけど、ちょうど記憶喪失になったんだ。このまま昔のことは忘れて、今の暮らしを大事にできればそれでいい」
「嘘です」
鋭い目が、俺をジトっと見つめる。
「エイガさまは、ずっとクロスさんのことを気にしています。名前を憶えている以上の気持ちが残っているんじゃないですか?」
「う……」
何も言い返せなかった。
「今のためにも、過去は必要なものです。たとえ忘れてしまっても、人との関係は消えません」
まいったな……
うちの嫁は俺以上に俺を理解しているらしい。
「でも俺、怖いんだ」
「大丈夫です。エイガさまはエイガさまです。今のあなたの気持ちだって、決して消えたりなんかしません」
「そうかな……」
「はい」
数秒、彼女の目を見つめた。
そして一つ息をつくと、ソファから立ちあがる。
「やはりあなたは私の好きなエイガさまです。エイガさまは……夢を追って冒険へ行くんです」
「……そうみたいだな」
嫁は美しき古王の勾玉を俺の首にかけると、そっと抱きしめてくれた。





