第17話 となりの領地
「新しい遠雲の領主様は、領民を鍛え、自分たちで悶星を倒していると聞き及んでござる」
と、坂東義太郎は言った。
「よく知ってるな」
「このあたりでは噂になってござる」
「まあ。弱いのしか倒してないけどね」
「そこでお願いがござる」
「はぁ」
彼が言うにはこうだ。
奥賀の領地では【大猿】というモンスターが山で幅を利かせ、人を襲うようにもなっている。
ギルドに冒険者を要請しているけれど奥賀はスカハマからもかなり遠方で、なかなか強い冒険者がやって来ない。
そこで、最近『領民でモンスター退治をやっている』と噂の遠雲の力を借りられないだろうか……という話になったのだそうだ。
「なにとぞ、なにとぞ助太刀を」
「うーん。大猿かぁ……」
と、俺は頭を悩ませた。
大猿は一応初級モンスターではあるが、初級では上の方の戦闘力がある。
まだ、あの75名の実力じゃあ倒せる相手ではない。
「助太刀いただければ相応のお礼は申すと、我が殿は申してござる」
「うーん。可哀想な話だとは思うけれど、俺も領民たちを無理なモンスターと戦わせるわけにはいかないからなぁ」
「そこをなんとか、でござるよ」
「まあ、どちらにせよ2、3日考えてみるからさ。返事は手紙でお知らせするよ」
「かたじけのうござる」
坂東義太郎は帰った。
そのあと、まずガルシアの意見を聞いてみる。
「奥賀とは懇意にしておいた方がイイっスよ」
「へえ。なにか売りがあんの?」
「あそこは造船が強いんス」
「……なるほど」
船。重要だ。
とりわけ、この先ギルドに登録して、クエストをこなしに行くには船がなければ話にならない。
「じゃあ、本当は今すぐにでも行くべきなんだろうけど……残念ながら実力がなあ」
「キビシそーなんッスか?」
「うん。みんな頑張ってはいるんだけどな。もうちょっと『領地の西側』で力を蓄えてからじゃないと」
「どれくらいの間ッスかね?」
「大猿だと、あと半年か1年か……」
「あんまりぐずぐずしていると、他の冒険者がやってきて倒しちゃうってことないッスか?」
「あるかもな。極東には初級ながらけっこう冒険者も来ているから」
でも、実力不足の領民でそのまま行くわけにもいかないし……うーん。
「エイガ様」
そこへ五十嵐さん。
「それはエイガ様が倒してしまえばよいのでは?」
「は?」
「ですから。その大猿はエイガ様が倒してしまえばいいのです」
「キミねぇ。そんなことできるわけ……ん?……あるな」
そう。
いくら勇者パーティ最弱の俺でも、中級の実力くらいはあるのだ。
大猿くらいなら俺ひとりでも倒せる。
領民を育成して強くすることばかり考えていたから、『自分が戦う』という概念をケロっと忘れていたぜ。
「そうでしょう」
そう言って詰め寄る五十嵐さんの通った鼻が、俺のほっぺに軽くぶつかる。
……なんか最近この人のこういうところに少し慣らされ始めてる自分が怖い。
「あ……ああ。でも。大猿は一応ボス扱いだから『経験値ボーナス』があるんだよな。俺が倒しちゃうとボーナスは俺が獲得することになっちゃうから、できれば領民に倒させたいんだけど」
それに……。
この先、俺だっていつまでも領民たちより強いってワケにもいかねーだろうしな。
むしろ領民全体で俺よりずっと強くなってもらわなくっちゃ困るのだし。
「でも、今回は旦那が倒すでイイんじゃねーっスか?船のこともあるし、今あるものは最大限に活用したほうがイイっスよ」
「うーん」
ガルシアの言うことも、もっともか。
「五十嵐さん。奥賀の領主様へお手紙をお願い。近日中に助けに行くよーってさ」
「はい」
そう言うと五十嵐さんは姿勢を正してポニー・テールを結び直し、タイト・スカートの膝の前へくすんだ紙を広げた。
インクのような黒い液体を、木の柄の先に植えられた細い毛に付けて、『~候』などと書かれていく文字を、俺はまったく理解できないし、いつか書けるようになるとも思えない。
なにはともあれ。
これで初の遠征が決定したわけだ。
まあ、隣の領地だけどね。
◇
大猿は一応ボスなので【中猿】という子分をたくさん率いているものである。
75名には今回この中猿を狩ってもらうことにした。
実戦経験にもなるしね。
ガヤガヤガヤ……
まあ、あんまり統率も取れてねーけどな。
みんな初めての遠征というので気持ちがハイになっていやがるのだ。
冒険に関係のないモノは持ってくるなと言っても雑誌は持ってくるし、おやつの制限をかければ屁理屈を言ってケタケタ笑うガキもいる。
てめーら領主様をナメんじゃねーぞ!……と怒鳴り散らしてやりたい気持ちは山々だけど、そんなふうに威嚇して言うことを聞かせても、それじゃあ長期的に見るときっと強くはならないからなぁ。
だいたい、『あの人が怖いから言うこと聞く』で本当に強くなったヤツなんて見たことねーし。
まあ、怒鳴るのが必要な場面というのも時にはあるけど、普段はなるべくビビらせ過ぎないように言うことを聞かせなくっちゃいけない。
ガヤガヤガヤ……
でも、こんなんでよそ様に迷惑をかけないものかと心配にはなるなぁ。
ただでさえ蒸し暑いのに、マジ参るぜ。
さて、俺は黒王丸に跨がり、75名とガルシアと五十嵐さんを率いて谷を越えてゆく。
「エイガ殿!かたじけのうござる」
妹山の北『外村』に着くと、坂東義太郎が迎えに来てくれていた。
「さぁ。我が領地は、こちらにござる」
坂東義太郎は、黒王丸の脇へサっと付き、俊敏な動きで手綱を引き始める。
この暑さに汗ひとつかいていない。
その姿を見て、俺はちょっと彼に興味が湧いた。
派手ではないが清潔そうな着物、目の覚めるような黒い長髪に、若々しい歯、変わった形の刃物の鞘を大小二本腰にぶらさげ、軽妙な調子で馬を引く姿は並みの感じがしない。
「坂東くん。キミ今いくつ?」
「19にござる」
「奥賀ではどんなポジションについているの?」
「拙者、奥賀ではサムライ大将を務めてござるよ」
これもよくわからないけど『大将』が付いてるので、それなりのポジションなのだろう。
まあ、よその領地の人のことだから、そこまで詳しく知る必要もないとは思うけどね。
◇
奥賀の領地は人口5万。
位置は遠雲の北東。
土地も広いし、産業は発達していて、造船に限らず遠雲とは比べものにならないくらい栄えている。
「よくぞいらっしゃった。エイガ殿」
しかし、奥賀の領主は、俺のような20分の1の規模の領主に対しても威張ることのない、感じのよい人だった。
「それにしても、すばらしいお城ですね」
と褒めてみると、「ほっほっほ」と嬉しそうに扇をあおぐ奥賀領主。
じっさい、ここの城は男心をくすぐる感動的なものだった。
少し独特だけど、石と、木と、土を緻密に組み合わせた、壮麗華美で、しかも『実戦的』な建造様式である。
これを見物できたというだけでも、ここまできた甲斐があるというもの。
しかし……
「ん?なんですかな」
そのヘアー・スタイルだけは、ちょっと理解できないぜ。
奥賀の領主は、頭の前面を剃って頭頂部に束ねた髪をぴょろっと立てるという奇抜な髪型をしていたのだ……。
コレ、よかれと思ってやってるんだろうか?
でもイイ人ではあったんだぜ。
マジで。
さて、大猿を倒したあかつきにはこうした褒賞を……という話は、ガルシアと五十嵐さんに任せてある。
あちらの財務の人とガルシアが交渉をして、五十嵐さんが契約書類を作成する手はずになっていた。
一方。
俺は別の部屋へ案内され、変なヘアー・スタイルの領主からの歓待を受けていた。
食事と酒を喰いつつ、いろいろな話をする。
「ほっほっほ。あっぱれ、あっぱれ。エイガ殿の話は面白いな」
この領主は、特に『育成スキル』の話を熱心に聞きたがり、面白がってくれた。
帝都の大臣にせよ、この領主にせよ、地位の高い人は『育成』というワードにより関心があるのかもな。
「今日は城に泊まっていきなさい」
と言うので、お言葉に甘えさせていただくことにする。
彼は、城の最上階の部屋に俺を泊めてくれた。
この部屋は小さいけれど、奥賀の地を一望できるスゲー部屋である。
「すごい見晴らしですね!」
とりわけ、海沿いの『ドック』に建造中の船がずらりと並ぶ姿は圧巻だ。
造船に強いというガルシアの言は間違っていないようだな。
「……」
ただ、そのどれもが木船で、帆船のようであった。
「汽船は造ってないんですか?」
「うむ。造りたいとは思うが、我が地には魔鉱石が無いでの」
魔鉱石。
魔力の宿る鉱石で、汽車や汽船の動力とされている石である。
「なるほど」
これだけの造船技術があるのに、少しもったいない気はした。
◇
次の日。
俺はさっそく75名を引き連れて【大猿】のナワバリである『姉山』の奥へ向かった。
ザッザッザッザ……
ところで。
今回、改めて確信したのは武闘家のふんどし娘チヨの存在のデカさである。
彼女がいたからこそ、75名分の回復薬や食料を運び、遠くまでやってくることができたのだ。
今日も、ナワバリまで万全な状態でやってくることができたのは、この輸送能力のおかげだった。
「よし!これから戦闘になるぞ!!」
俺は馬上でそう叫んだ。
「先に言ったとおり、【大猿】が出ても戦うんじゃない。俺に知らせろ。でも、【中猿】ならどんどん倒してイイからな!」
キイイイ!!
しかし、俺のそんな大声に先に反応したのは、モンスターたちの方だった。
バサバサバサ……
次々と木の上から躍りかかってくる。
どれも成人男性の2倍程度の大きさ……【中猿】だ。
「ひいいい!!」
「たすけてぇ!」
急な襲撃にパニック状態になる領民たち。
湿気の強い暑さに鬱屈とした汗が、一気に弾け飛ぶような恐れようであった。
「逃げるんじゃない!お前たちはもう【中猿】くらいなら倒せる実力を持っているんだぜ!」
しかし、その『逃げた』のがむしろよかったようだ。
みんな散り散りに広がって逃げて行ったので、どうやら【中猿】が全部で10匹ちょっとしかいないことがすぐにわかったのである。
中猿の方も、一匹一匹分散していってしまうことにもなる。
すると75名の方は、数にずいぶんと余裕のある闘いだということもわかり、気持ちが前向きになったらしい。
キーン!キーン!
ボッ!!……
37名の剣士が剣を振るい、30名の魔法使いがキラを唱える。
援護系魔導士が全体の防御力を高め、射手は要所で矢を射た。
マジで。
コイツらはちゃんと闘えばこれくらいはもうできるのだ。
もう中猿は彼らに任せておいて大丈夫だろう。
さて、今回はボスの【大猿】を俺が倒さなければならなかったのだった。
勇者パーティにいたときに『ボス戦で俺が頼り』だなんてクエスト、ずいぶん昔のことだったなぁ……。
いやいや、いけない。
よけいなことを考えているときじゃない。
ヒヒーン!
俺は黒王丸を翻し、崖へと走った。
パカラッ、パカラッ、パカラッ……
大猿はどこだ?
そう高台から見下ろすと、領民たちが【中猿】たちと闘っている全体が見渡せる。
おお!やってる、やってる!
特に、武闘家チヨの活躍がめざましい。
ボフっ!ビシ!……
娘の踊る拳に、跳ね上がる膝。
それにしても育成スキル【憑依】で重点的に鍛えていると、憑依していないときでもまるでその人が自分であるかのように思われるときがある。
チヨのふんどしの尻筋や、琥珀色の肢体、土にまみれる素足が、まるで『俺』であるかのような錯覚……。
でも、それはあくまで錯覚だった。
そういえば。
俺は遠雲に来て、それがあんまりに綺麗だったから、俺自身もその綺麗な輝きの一部になれると知らず知らずのうちに錯覚していた気がする。
堤防を作る領民。
木を運ぶチヨ。
そういう煌いて、言葉の世界が素朴で、土と共に恋をするような人々の一部に、俺もなれるような気がしてた。
でも、そーはなれねーんだなって、チヨを知れば知るほどわかってきた。
俺はもう『複雑な言葉の世界』に生きてるし、言葉にしてしまったものはもう後戻りはできないのである。
だから俺は、土と共に恋することはできないし、土地の人間組織に埋め込まれることもできない。
俺ができるのは、領民たちの煌きを一歩引いたところから眺めることだけだった。
そして、悪くない方向へ統治するというやり方でだけ、俺は彼らと接触することを許される。
まあ、それが【領主】ってもんなんだろーな。
ビシ!!……
遠くで【中猿】へ蹴りを喰らわせたばかりのチヨが俺の姿に気づいたようで、健康的な小麦色の頬を笑顔に咲かせた。
太陽と親しみのある、美しい頬……。
俺は、自分の返す微笑みに寂しさが映っていないか心配だった。
◇
ガウウウウ……
さて。
尋常じゃない唸り声が聞こえて振り向くと【大猿】が俺の後ろに立ちはだかっていた。
成人男性5人分のサイズ。
獰猛な牙。
赤い瞳。
はぁ……。
馬上の俺は、ため息をついて【銅の剣】を振りかざした!
 





