【挿話】 砂漠街モスクアード
巨大な太陽。
すべてを焼き尽くすような灼熱がギラギラと砂漠へ降り注いでいる。
「もう、飲んでしまおう……」
ラクダの上の老人が、白いカバンから銀の水筒を取り出した。
ゴクゴク……
大丈夫、もうひと時行けば井戸があるはず。
空っぽになった水筒をしまい、またぼんやりと砂漠を見つめる。
そんな時だった。
真珠いろの砂丘とコバルトブルーの空色とのはざまで立ちのぼる陽炎の向こうに、美しく輝くエメラルドグリーンの傘をさした女性がひとり歩いてくる。
幻覚か?
最初はそう思った。
しかしさらに距離が縮まると、老人は熱に腫れた目をカッと見開き「おーい!」とラクダを走らせた。
「もし! あなたはティアナ様では?」
「……?」
女は首をかしげて三つ編みをゆらす。
老人はハッとして日よけにかぶっていた白頭巾で顔が完全に隠れているのに気づいた。
彼はあわててそれを取って顔を晒す。
「あなた……リヒャド?」
「お久しぶりでございます! 今日はエイガ様たちは?」
「……今日はひとりなの」
青い瞳が、瞬間沈んだように見えた。
「そうですか……で、今日はどちらへ?」
「モスクアードへゆくのだわ」
「ちょうどよい! このラクダでともに参りましょう。ワシもモスクワードへ行くのです」
「……そう」
女は短く答えると、持っていた傘を軽く掲げた。
すると瞬間その傘の輝きが増し、大きさが2倍ほどに広がる。
「は……涼しい?」
「支援魔法よ。この傘の下にいればUVカット100%、空調も思いのままなの」
「むむう、すばらしい。この能力があればデスデザートを越えた時もさぞ楽でしたでしょうな」
「うふふ、そうね」
女はそう言ってラクダの後ろへ横向きに腰かけるよう乗った。
老人は「ぜひあれからのエイガ様たちのことをお聞かせください」と言って、ラクダへ鞭を入れた。
◇
三年前。
リヒャドのところに6人組の冒険パーティがあらわれた。
「勇者パーティというのに育成者がリーダーというのも変わっていますな」
彼らはB級ライセンス持ちで、アカバンの港町を占拠したメタル・オーガの群れを討伐しにきたという。
しかし、これが簡単なクエストではなかった。
メタル・オーガの群れは強力な大砲を築いて港を要塞化していたので、湾側からこれを攻めることができない。
B級クエストが、実質A級の難易度に跳ね上がっていた。
だがリーダーの育成者は、遠くから見たところ大砲は湾へ向けて固定されている、陸から攻めれば一網打尽にできる……というのだ。
「アカバンを陸路から!? それが何を意味しているかわかっているのですか!」
リヒャドは悲鳴を上げた。
「陸路でアカバンへ向かおうとすればデスデザートを越えなければならないのですぞ。広大な砂漠に井戸のひとつもない過酷な地帯です。砂漠には慣れている地元の人々も決して立ち入ったりしない。誰も死にたくはないですからな!」
だからあんたに頼んでいるんだよ、とパーティのリーダーが言った。
何度ムチャだと言い返しても聞かない。
独善的な男だと思った。
しかし、大きな港のあるアカバンが占領されたままではアラビラ文化圏の人々は困るのは事実だし、冒険者ギルドの斡旋であるから簡単には断れない。
まあ、確かに。
リヒャドは若い頃、一度だけデスデザートを越えたことがあった。
「人数分のよいラクダと優秀な砂漠航海士がいれば、あるいは……」
と考えていたら条件はそろってしまった。
結局、リヒャドは勇者パーティのリーダーに押し切られる形でデスデザート越えにかかることとなる。
ラクダは8匹。
先頭に砂漠航海士の男、次に明るい勇者、背の高い剣士、生意気な回復魔術師、可愛らしい攻撃的魔法使い、赤い眼鏡の支援系魔術師、育成者……そして最後に経験のあるリヒャドが続く。
最初の三日は順調だった。
パーティの6人はみな尋常ならざる体力の持ち主であり、リヒャドの指導をよく聞いた。
しかし、最善を尽くしても牙を剥くのが自然である。
デスデザートの昼は気温で40度以上に達する。
対して夜は0度近く……なんなら氷点下にまで下がることもあった。
加えて、夕方から夜にかけては砂漠のモンスターが活発化する時間帯でもあり、特にサソリデスという猛毒の針を持った魔物が非常に危険である。
毒針がかすりでもしたら一巻の終わりだ。
よって、夜に眠ることができず、睡眠は魔物が活動しない日中に取り、夕方から朝まで進行するというサイクルにせざるを得ない。
猛暑と極寒の寒暖差、昼夜逆転、加えて流砂や砂嵐などのトラブルが日一日と一行の体力を奪っていった。
そして10日が過ぎた時のこと。
その日も、夜の砂漠の暗闇の中を一行はうつらうつらとしつつ進んでいた。
「眠ってはなりませんぞ。落ラクダして一人砂漠に取り残されたらおしまいです。後で気づいて助けに引き返すことなどできませんのでな」
強靭な体力を持つ6人の冒険者たちもさすがに憔悴している。
自分がしっかりしなければ……
そんなふうに連日気を張っていたからか、あるいはすでに老体の身となっているからか、リヒャド自身がふと眠ってしまったのだ。
彼の身はラクダからずり落ちた。
それは一行の最後尾のことであったから、誰も気づかず、リヒャドの身体は砂漠の真ん中に取り残され月明かりに照らされるのみであった。
「なんてことだ……」
次に気付いた時は、太陽は昇っていた。
死んだ……という確信。
だが、勇者パーティ一行はあと三日もすればアカバンに着くだろう。
メタル・オーガの群れは駆逐されるはず。
自分はずいぶん長く生きたのだし、これを最後の善行と考えよう。
……そうは思ったが歩くだけは歩いた。
過酷な環境であればあるほど、自殺などはしようと思えなくなるものだから。
しかし、また日が沈み始めた頃。
銀色の月の下で、魔物に睨まれた時特有の悪寒が背を走る。
そう。
サソリデスがあらわれた。
8つの灰色の目、薄紅の装甲に、人の身長をはるかに超える体長。
その鋭く尖ったハサミはすでにリヒャドを狙っていた。
「ちょうどよい。お迎えか……」
そう思って目を閉じた時。
……ちゅどーん!!!
不思議な爆発音の後、甲殻系の甲高い音と、重いものが砂へ落ちる音が鳴り響いた。
なんの音だ?
いつまでたってもサソリデスの攻撃が来ない。
おそるおそる目を開けると……
そこには日焼けして憔悴しきった顔の育成者が、倒したばかりのモンスターを見下していたのだった。
◇
「あなたは本当にエイガが大好きなのね」
リヒャドがエイガの話ばかり聞くので、ラクダの後ろで傘をさすティアナは少々あきれ気味に言った。
「命の恩人だから?」
「いえ、そうではありませぬ。取り残された者を拾いに砂漠を引き返すなど、ワシにはできませんからな。勇敢で、英雄的だった……その後、実力でついていけず勇者パーティを解雇されたらしいですが、ワシにとっては彼こそ勇者なのです」
「……そう」
「おや、見えてきましたぞ。モスクアードです」
砂漠地帯からもう少しで海に達する地点で、アラビア文化圏の寺院が盛んに建つ街の姿が見えて来る。
オアシスに建設された聖なる都市である。
「して、今回はどのような御用で?」
「実は……クロスが行方不明になってしまったの」
「クロス様が?」
「みんなも世界中に散らばってクロスの行方を追っているわ。これまでパーティが旅した地域を端から回っているのだけれど……」
なるほど、話は深刻そうだ。
勇者パーティに勇者がいなければ話にならないだろう。
「モスクアードに着いたらお手伝い致しましょう。せめてもの恩返しでございます」
「……ありがとう。悪いけれどお願いするわ」
ティアナはギルドや冒険者界隈から聞き込みをするという。
ので、リヒャドは地元の人間としてできることをしようと思った。
土地の商人やキャラバン隊、はたまた市場の婦人などからまで、彼の人脈の限りを尽くして聞き込みをしていく。
しかし……
「残念ながらクロス様を見たという情報は得られませんでした」
「そう……」
「すみません。お力になれず……」
「いいえ、あなたが謝ることはないのよ。クロスがこの街に来ていないのなら仕方ないもの」
赤い眼鏡をそっと直すしぐさの中に、悲しげな瞳がかいま見えた。
リヒャドはたまらない気持ちになる。
なんとか元気を出してもらいたい。
「それにしても今市中の話題は黒龍ナルシスのことでいっぱいですな。あのアカバンに今度は魔王が出現すると大騒ぎになっておりますぞ」
世間話で気をまぎらわしていただこうと適当に出した話であったが、ちょうどその時……遠い海に、ひとつの黒い船影が望まれた。
「ウワサによると今度の魔王級討伐はあの船で戦うらしいですな。いやはや、変わった戦い方をする冒険者がいたものです」
「あれにはエイガが……」
「はい?」
「あの船にはエイガが乗っているのだわ。今度の黒龍とは彼が戦うの」
「ほう!」
これにはリヒャドはあらためて感心した。
「実にエイガ様らしいですな。勇者パーティを戦力外になっても、別の戦い方で夢を叶えようとする。気持ちよいほどあきらめが悪い! わっはっはっはっは!」
「ふふ、うふふ」
沈みがちだったティアナの表情が老人の豪快な笑いにつられて弛んだ。
リヒャドは心中ほっと胸をなで下ろすと、ふいに笑うのをヤメ、真面目な目でこう続けた。
「……しかしティアナ様。クロス様のことはエイガ様を頼る他ないのではありませんか?」
「いいえ。あの人はもう、あの人自身の道を行っているのよ。今さら勇者パーティの問題を持ち出すべきではないわ」
「そのお気持ちもわかりますが、エイガ様とクロス様には同じパーティの仲間以上の友情があったように思います。クロス様の行方について何か手がかりをご存じであれば、お知らせせねばむしろエイガ様から恨まれることになりませぬか?」
「それは……」
「エイガ様をお頼りなさい。あのお方はティアナ様がひとり抱えこんで苦しむのもお喜びでないでしょう。ああ見えて、おやさしい方なのですから」
ノースリーヴの女の肩がぴくんと跳ねた。
美しい背筋が弓なりに反り、胸がツンと張り詰めているのは、不意に湧いた涙が瞳から零れてしまわぬようにしているのである。
「ずるいわ。リヒャド」
「それも年の功でございますので」
風がティアナの黄金の髪をうち流す。
その乾いた風に誘われるように魔法の傘が咲き、彼女はひらりと海へ飛び立っていった。
☆評価、ブックマークいただけたら嬉しいです。
次回もお楽しみに!





