第144話 家紋
港で見たトッティという男はさる大商会の会長で、ガルシアをベルルちゃんの夫として婿養子に迎えようとしているらしい。
息子たちが商才に欠けているがゆえに、ゆくゆくはベルルちゃんとガルシアを跡取りとして考えているそうだ。
「へえ、悪くねえ話じゃんか」
「勘弁してくださいッスよ~。自分、結婚なんて柄じゃねーんスから」
「そう言うなよ。ベルルちゃんはあんなにおまえのことを慕ってくれてんじゃん」
「……あの子はそーゆうんじゃねえんスよ。まだ子供だし、純粋に商人としての尊敬っつーか、そういう感じなんス」
そんなもんかなあ。
「それに、自分はまだまだこの領地で仕事がしてーんスよ。旦那や五十嵐さんと一緒に……」
「そっか」
そこまで言うのなら、俺にはもう言うコトはなかった。
そーいえば五十嵐さんもおんなじようなことを言っていたよな。
俺と婚約しているフリまでしてせっかくのイイ縁談を退けたのは、まだ俺達といっしょに仕事してたいって理由だった。
まあ、そーゆう気持ちってわからなくもないよ。
領地の経営はうまくいったり、いかなかったりだけど、俺たちみんなで熱中してやってる。
それぞれが自分の特性を活かし、誰一人欠けても成り立たない感じ。
こういう言い方はちょっと恥ずかしいけど一種の青春だ。
そんな青春をまだ終わらせたくない、めいいっぱいやり切るまでは完全に大人になってしまいたくない。
そう言う話だ。
でもさ……
領地経営に『めいいっぱいやり切る』なんてゴールはねーんだよなあ。
……そんなことを考えていると、中村に着いた。
農閑期の水田は水が引いていて、こげ茶いろの土と短く刈り残った稲のしなだれた黄土いろが織り交ざり、土地一面に冬のわびしさが広がっている
「そうか。まだわかんないかー」
あぜ道で合流した五十嵐さんがコクリとうなずく。
「……石板の文字は、解読可能な文字と不可能な文字が併記されていました。その一部だけが欠けていただけだったので、すぐに解読することができたのだそうです」
「たしかに、宝物庫の記録はぜんぶ解読不可能な超古代文字だったもんな」
「ベルルちゃんから連絡がきたらお知らせいたします……」
話しながら歩いていると、向こう側から村の子供らが「わー」っとわめきながら走り抜けていった。
五十嵐さんは走り抜けて行く子供たちをちょっぴり切なそうに見つめると、北風になびく髪を分け直しながらまたヒールの先を前へ進める。
「子供ってなんで『わー』って言って走ってくんだろうな」
「……ふふっ」
さて、五十嵐家へ着くと二人で品種改良の進行具合を確認していった。
冬でもイサオさん特製の温室の中はぽかぽかと暖かい。
「綿花の改良がだいぶ進んでいるなー」
「ええ。綿ができれば糸が作れ、綿布が織れます。もちろん綿のお布団も……」
そう言いながら、女秘書は品種改良の記録を記していった。
そのほか麻、タバコ、ソバ、大豆なんかも生産可能になっているようである。
どれをどれだけ生産奨励するかも考えていかねばならない。
「お姉ちゃ~ん」
そんな時、五十嵐家の母屋から童女が一人走ってやって来た。
童女はけっこうな勢いのままタックルするようにレディスーツの腰のあたりへどーんっと抱き着いていったので、隣の俺はマジ大丈夫かとビビる。
「……どうしたの?」
しかし、体幹がじょうぶな五十嵐さんはびくともせずに、何事もなかったように童女のおかっぱ頭をやさしくなでていた。
「お母さんが領主さまにお会いしたいって」
「そう……」
たしかに帰還後の五十嵐家の人々への挨拶がまだだったな。
俺たちは品種改良の確認を後回しにし、道場へ連れられ母屋の方へ向かった。
ちなみに。
こちらの童女は五十嵐さんの一番下の妹で琴音ちゃんといい、職性はイサオさんと同じ『生産者』である。
ゆくゆくはこの子が五十嵐家の種籾を扱っていくだろう。
「魔王の討伐、おめでとうございます」
フミエさんはベージュのスカートにツヤのある膝をそろえて祝辞した。
俺は今年の豊作を改めて祝い、中村の近況についてニ、三問うたりする。
「ところで領主さま……」
世間話がひと段落すると、フミエさんは隙のある若々しい太ももと年増めいた小豆いろのパンティで座布団から立ち上がった。
そして、衣紋掛けにかけてあった黒い羽織を手にすると戻ってくる。
「領主さまのお家には家紋などございますか?」
「家紋?」
唐突な問いでちょっとびっくりする。
「そりゃ俺は生え抜きの領主じゃないからな。貴族や大名のような家のシンボルなんて持ち合わせていないよ」
「ではこちら五十嵐家の家紋でよろしゅうございますか?」
「なにが?」
「あらヤダ。なにって……婚姻の儀でお召しになる羽織ですわ」
機嫌よさげに答えるフミエさん。
「年明けに挙式できますよう、万事準備は進めておりますからね!」
「あ……ああ、そっか……」
収穫祭の時、そう言えば拍子でそんな話になってたな。
これまで五十嵐さんがお嫁に貰われていかないようになんとかゴマかしてきたけど……
事ここに至ってはもうダメだ。
婚約が偽装だったことをフミエさんにも打ち明けないと、五十嵐さんにとって取り返しのつかないことになる。
「申し訳ない! 婚約のことなんだけど……!」
「領主さま」
その時、誰かが後ろから俺の服を引っ張った。
振り返ると角刈りからまたロン毛になりかけている老人が立っている。
「イサオさん?」
「領主さま、ちょっとこちらへお越しくだされ」
そう耳打ちするので、俺はイサオさんに連れられて縁側へ出た。
「……この件についてはワシにお任せあれと申しましたでしょう?」
「で、でもさ! フミエさんもう結婚式の準備しちゃってんじゃんか」
「大丈夫ですじゃ。これも計算どおり」
キラーン☆っという様子のイサオさん。
「どういうことだ?」
「何も心配はないということですじゃ。それよりも、かようなことに気を煩って領地経営に支障がきたされては事ですぞ」
「うーん、そうかなあ」
「フミエさんの言うことには適当に話を合わせておいて、領主さまは早く仕事へお戻りくださいませ。後のことはワシがなんとか致しますじゃ。決して悪いようには致しませぬゆえ……」
まあ、イサオさんがそこまで言うなら大丈夫か。
俺は部屋へ戻ると、「家紋についてはフミエさんにお任せするよ」とだけ伝え、そそくさと母屋を離れたのだった。
◇ ◆ ◇
「お義父さん、領主さま帰りましたよ」
フミエさんの声がしたので、ワシは『ひゅー』とひと息ついて部屋へ戻った。
「領主さま、どうでしたか?」
「問題なさそうじゃよ。このまま結婚式当日までなんとかゴマかせるじゃろう」
ワシはお茶をすすりながらそう答える。
「それにしても悦子と領主さまの婚約が偽りだったなんて……」
「フミエさん。そんなことはもうよいじゃろうに」
「……でも」
「終わりよければすべてよし、じゃ。フミエさんは婚約が偽りだったことなど知らぬフリをして、粛々と結婚式の準備を進めていけばよい。なあに、先にウソをついたのは悦ちゃんたちなのじゃからのう。ほっほっほっほ……!」
ふと庭を見ると、悦ちゃんが琴ちゃんに縄跳びを教えてやっておった。
美しい孫娘たちの姿に心が満ちていく。
これでワシが死んでも五十嵐家は100年安泰じゃのう……
次回もお楽しみに!
黒おーじ





