女悪魔ナーヴァス
「エイガ・ジャニエス……さすが私の見込んだ男だ」
上空の凄風に銀髪をなびかせているのは世界一の女グリコ・フォンタニエ。
ビシューン……!
第七魔王デストラーデの核が地獄門へ向かって飛んでいく。
勝ったのはエイガの領地。
いや、ただ勝ったというだけではない。
その戦いぶりは斬新で、見る者を惹きつける魅力があった。
魔法を融合した砲撃。
情報戦と150騎の集団戦法で圧倒した陸戦。
そして、育成した国力を領主一点に集中させる決定力。
世界一位の冒険者でありながら名うてのクエスト・ウォッチャーでもあるグリコ・フォンタニエすらウンウンと唸らせる戦い様である。
「むっ、ヤツは!?」
そんな時。
ふと知った男の姿が崖の上に独り立っているのがうかがえた。
(……ヤツも観戦好きなのか)
そう思って飛行魔法の高度をゆっくり落とし、同じ崖の上に降り立つ。
「おい! キサマ!」
「……?」
声をかけると男は振り向いた。
中性的ながら凛々しい顔つき、金盞花のような黄金の髪、たくましくもしなやかな肢体。
勇者クロス・アンドリューである。
「ここで見ていたのか? エイガ・ジャニエスの戦いを」
勇者は黙って頷くと、こちらを鋭く睨んで言った。
「……世界一位。お前はどう見た?」
「うん! 私は元々ヤツの力を評価しているつもりでいた。だがな、今のはその想像をはるかに超えるものだったぞ。キサマもそう思うだろう?」
「さあな……」
クロスは目線を遠く海へそらすと続けた。
「エイガにはあれくらいやってもらわなければ困る。それでなければ……」
「む?」
「それでなければ……このオレが全力で戦うことはできない」
消え入るような声が潮騒へ溶け、黄金の髪がかすかになびく。
(……前に見た時とずいぶんと印象が違うな)
とグリコは思った。
勇者パーティで活躍する勇者クロスは、前向きな行動力で仲間を引っ張る太陽のような男。
そんな印象だった。
しかし今はまるで三日月のようだ。
孤高で、鋭く、儚げで……
「そういえばキサマ。ザハルベルトでは行方不明だと騒ぎになっていたな」
「……」
「モリエたちが心配しているぞ。帰ってやれ」
「お前には関係ないことだ」
確かに、それはそう。
モリエやエイガとの特別な友情と、彼らのパーティの事情とは切り分けて考えねばなるまい。
しかし……
「しかしな、苦しいものだぞ。大切な人が目の前からいなくなってしまうというのは」
「ッ……そういえば。お前が生き別れた弟を探しているという話を聞いたことがある」
クロスは再び振り向き、こちらに歩を進めて来た。
先ほどとは違って瞳にかすかな優しさを宿している。
「む、なんだ?」
「お、お前の弟……ユウリは」
「何!?」
その時だ。
クロスはふいに何かに気付いたように目を見開くと、俊敏な動作で飛び上がり、空高く去ってしまった。
「お、おい。待て! ユウリは……」
「ほーほほほッ」
クロスを追おうとするが、背後から幼い高笑いが響いて反射的に振り返る。
するとそこには一柱の女悪魔が立っていた。
「な、ナーヴァス……!?」
「ほっほっほ、久しいのじゃ。グリコ」
女悪魔は第三魔王ナーヴァス。
一見すると11、12才の童女のようにも見えるが、れっきとした大悪魔である。
頭上には二本のツノ。
ぷりっとした褐色のお尻からは悪魔のしっぽが可愛らしく伸びていた。
「ナーヴァスめ! 死ね!!」
「わッ! わわわッ……なのじゃ!?」
即座、グリコは魔力を込めた斬撃を放った。
その威力はエイガの艦の主砲一発に匹敵する。(しかも連撃が可能)
そんな規格外の攻撃力の高さこそグリコ・フォンタニエが世界一位の女である最大の所以なのだが……
「ふー、やれやれ。びっくりするのじゃ」
女悪魔ナーヴァスは身体右半分を吹き飛ばされながらも、残った左腕で額の冷や汗を拭いている。
そして、やがてその欠損した右半身から幾万もの触手が伸びみるみるうちに元の姿へと回復してしまうのだった。
「ひどいのじゃ! そなたと妾は同じビキニアーマー愛好家なのじゃ!」
「ふんッ……キサマのように筋肉に不真面目なヤツがビキニアーマーをまとってどうしようというのだ!」
たしかにナーヴァスは邪悪で色っぽいビキニアーマーから褐色の肌をおしげもなく晒しているが、その腹筋には一筋の割れ目も見られない。
極東の少女たちが水練で召すとかいうスクール水着のセパレート版のようなものである。
「そうツンケンせずともよいのじゃ。この妾のボディはデストラーデの戦いを観戦するためにしつらえた幻影。実際に戦う力はないのじゃ。それよりもええのか? 勇者は遥か先へ行ってしまったようじゃけれど?」
「あ! そうだ……キサマなんぞにかまっているヒマはなかったんだ!」
そう。
勇者がユウリのことについて何か言いかけたのだった。
キーン……!!
見上げると勇者はさらに遠く海原の上空を飛び、地獄門へ向かっている。
デストラーデの核が還っていくために出現した地獄門だ。
「いけない! あのままでは地獄門へ突っ込んでしまうぞ……!?」
思わず叫ぶ。
そう、そもそも……
上の世界(地獄)から下の世界(現世)へ次元転移するのは比較的容易なことである。
弟のユウリと共に上の世界の故郷アンデルセンから『ステュクスの川』を渡り下の世界へやってきたのはまだ十代の頃のことだ。
つまり子供でもその気になれば川を渡るだけで転移できるのであり、事実アンデルセンで年間数件は家出少年たちが下の世界へ逃れてくることがあるのだそうな。
しかし……逆に下の世界(現世)から上の世界(地獄)へ戻るのは並大抵のことではない。
下の世界から上の世界へ戻るには『地獄門』をくぐらなければならないからだ。
そう。
あの門をくぐれば、人間はその闇の力によって消滅してしまう。
「よせ! クロス・アンドリュー!!」
そう叫んだ時である。
勇者の身体から闇の雲のようなものがモクモクと湧き、瞬間、鐵の刃のような全身鎧が身を包んだのだった。
「なっ、アレは……?」
「ほっほっほ! あれは勇者の心の闇が具現化した最強の鎧【マルム・アーマー】なのじゃ。究極の闇の属性を帯びたアーマーによってヤツは無傷で地獄門を越えてゆくのじゃ」
ナーヴァスがそうこう解説するうちに勇者は消え、地獄門は閉じてしまった。
(くっ。せっかくユウリの手がかりが得られると思ったのに……)
悔しくて地団駄を踏む。
「……それにしても闇魔法など勇者に扱えるものではないだろう。誰か闇魔法の使い手が協力者にいるのか?」
「さあのう? 妾も知らぬ」
女悪魔ナーヴァスは愉快そうに笑って続けた。
「が、あの男はおもしろいのじゃ。数百年ぶりに興味がそそられるのじゃ。それから、エイガ・ジャニエスとかいう人間も……」
「キサマ!」
思わずまた魔力を込めた斬撃を繰り出すが、今度はヤツの身体そのものが透明化し、攻撃がすり抜けてしまう。
「ほっほっほ、申しておろう。このボディは観戦用の幻影。じきに消えるのじゃ」
「ま……待て、ナーヴァス!」
そうヤツへつかみかかるが、すでに残っていたのは悪魔の笑い声だけだった。





