第123話 インセプション
ティアナはあまりのことにその場に立ち尽くし、エマの出て行った扉を見つめていた。
着替えの途中だったことも忘れ、ブラジャーとパンティ姿でお尻をぷりっとさせている。
「ティアナさま。裸のままではお風邪を召しますニャ」
見かねたネコ耳職員がかいがいしくも女へ服を着せていった。
子ぎつねのような手でひとつづつ服の袖を通してあげ、胸の前のボタンを閉じ、スカートのホックを留めてニャンニャンと鳴くと女はようやく我に返る。
「はっ……ごめんなさい、ラナ」
「にゃん」
ラナがしっぽをひるがえしてスタスタとデスクへ戻っていくのを見て、ティアナも踵を返し自分の席へ足を向けた。
そう、先ほどした予言を書き留めていかなくてはならない。
世界人類の平和のため。
仕事に生きると決めたのだから。
「ッ……」
しかし、その仕事に手がつかないのだ。
さっきまでは頭を『処理能力』へ動員して、思考をマヒさせることができていたのに。
――好きって気持ちは世界で一番エライんです。――
――女のアタシたちが『好き』にワガママでいなくてどうするんですか!――
エマの言葉が頭にリフレインする。
思わずエイガからもらったあの小さな箱を取り出していた。
指先でそっとフタを開くとささやかな指輪が小さな輝きを放つ。
……胸の奥が、カッと熱くなった。
「エイガ……」
婚約指輪、もちろんそんなものは文化的な慣習の産物にすぎない……
そう。
男らしさ、女らしさが偏見ならば、恋愛もまた『恋愛らしさ』という偏見に形づくられた幻想。
そんな幻想は捨てて“理性ある者”の命とカネを最大多数化させる仕事に従事することこそ、男女かかわらず『社会人』が参画すべき合理的な大人の行動原理なのだ。
「エマ……」
しかし、エマの檄はそんな大人の理屈とはなんの関係のないものだった。
それはいわば少女の思想。
拙く、前時代的で、野蛮でさえあるが、それがかつての少女であるティアナの心を強く打ったのも確かだった。
――このままあなたの領地へ連れて行って!――
素直にそんなことを言う勇気をもらった気さえした。
そう。
男には男のふるさとがあり、女には女のふるさとがあるのかもしれないのだ。
ガタン……!
ティアナは、急にその場で立ち上がる。
「ニャニャ!? ティアナさま?」
「ごめんなさい、ラナ。……留守番をおねがい!」
そう言って部屋を飛び出ると、女は急ぎ港へと走ったのだった。
◇ ◆ ◇
人は起きている時でも潜在的には夢を見ていると言う。
モノを食べている時、道を走っている時、友人とおしゃべりをしている時。
気づかないだけで、実はいつでも夢は上演中なのである。
ただし目を覚ましている時には夢を認識はしていないので、日中の生活へ集中できるというわけだ。
しかし。
起きているはずなのに、ふとした拍子に夢の方へ意識がとらわれてしまうことがある。
それが白昼夢と呼ばれるもの。
古来より人はこの不思議な夢を、妖魔やモノノ怪のしわざと考えて恐れたり、神の啓示としてありがたがったりしてきたわけだが……
(エイ、ガ……エイガ……来るな……)
勇者クロスは今、そんな白昼夢の混沌たる意識の中にいた。
(来るなエイガ……どうして……お前なんか……)
眠っているわけでもない、気を失っているわけでもない。
確かに起きているのだが、確かに夢を見ている。
(お前なんか……お前なんかパーティのお荷物のくせに……どうせ卑怯な手でティアナを……)
それも漂うような意識の中でおそろしい呪いの悪夢。
嫉妬、侮り、憎しみ、恨み……
人が誰しも心の底には持つ闇の感情のみが前面にあふれる、地獄のような。
「wk〇▽※◇!……!」
親友が何か言っている。
しかし、何を言っているのかわからずいら立つばかりだ。
(エイガ……ッ)
クロスは我慢ならなくなって剣を抜く。
そして、目の前の男の胸へその切っ先を突き入れた……
「ゆうしゃ……ま。…さま」
だがその時。
遠くで誰かの声がするのに気づく。
「勇者さま。勇者さま? いかがなさって?」
それが自分を呼ぶ声だとわかった時には、白昼夢は去っていた。
(ここは……?)
あたりを見渡すと、眼前には白いテーブルに食事。
豪奢なシャンデリアが室内を外よりも明るく照らしている。
(また意識が飛んでいたのか。ザハルベルトでも有名なあの三ツ星レストランのようだが……)
そこまで考えて席の向こうを見やると、女性がひとりこちらを見つめているのが目にはいる。
「勇者さま。どこかお加減がすぐれませんの? 何度も声をおかけいたしましたのに」
「あ……」
女性はゲーテブルク王家のナターシャ姫であった。
(……いけない。そういえば姫と食事に来ていたのだのだっけ)
第6魔王アニムス討伐の時から親交を深めてきた関係ではあるものの相手は一国の王室。
油断して付き合ってよい階級の相手ではない。
クロスは失態に頬が熱くなるのを感じながら答える。
「いえ、その、冒険のことで少し考え事を……」
「そうですの」
「す、すみません。ぼうっとしてしまって」
「……いいえ。戦いに生きる殿方はいつも心休まる時がないものですのね」
そうおっしゃり椅子に座って目を伏せる姫の姿は牡丹のようである。
音に聞こえしその美貌。
幾万の市井の人々からは憧れの眼差しを受け、社交界でも数十の貴公子から求婚されているそうな。
クロスは今そんな姫との縁談をゲーテブルク王家から持ちかけられているわけだが、その関係で姫はこうして度々ザハルベルトを訪問なされるのである。
故にこんなお忍びの会食などもセッティングされたりするわけだが……
「本日はたいへん失礼しました。なんと申し上げてよいか」
別れぎわに重ねて非礼を詫びるクロス。
「どうかお気になさらず」
「しかし……」
「クロスさまは勇者。世界を平和へと導くお方ですわ。今は冒険を最優先にする時ですもの」
姫はそうおっしゃると馬車へお乗りになるが、車の小窓を少しだけ開けて、今度は聞こえぬほど小さく仰せになる。
「その、ナターシャは勇者さまをお慕いしております……ぽっ」
「はい?」
しかし、姫の小鳥のさえずるような求愛は、都会の交通的喧騒にかき消えて彼の耳にまで届かなかった。
「今なんと?」
「い、いいえ。なにも(汗)……それではごめんあそばせ」
そうおっしゃると姫を乗せた馬車は走り出した。
深々と礼をして顔をあげると馬車はもう街の道の向こうで小さくなっている。
(姫という身分を差し引いてもすばらしい女性だ。が、可哀想にな)
交差点にひとり残ったクロスは心でつぶやく。
(姫は王家のために自らを押し殺してオレとの縁談を受け入れようとしておられるのだろう。恋愛に憧れるお年であろうに)
しかしそのニブさは天性のもの。
彼に少しでも女性の好意を察知する能力があれば、あるいはその愛が心の闇を晴らし、前向きな明日へと向かう足がかりになったのかもしれない。
それから。
彼はそのまま冒険者ギルド前の広場へ足を向ける。
目的地は古代勇者の像だ。
ザハルベルトに来てからのクロスは、心が迷った時ここに来ることにしていた。
銅像の威容は、幼い頃に聞いた『勇者』の強く正しいイメージを思い出させてくれるから。
「最近のオレはどうかしてる……」
クロスは古代勇者の像を見上げ、つぶやいた。
そう、あの日。
街でエイガとティアナが肩を並べているのを見た日。
ティアナは、決して自分には見せない『女の顔』をアイツへ向けていた……
その女の顔を見た時だ。
クロスの胸に常に黒い靄が漂うようになったのは。
以来、その靄には呪いの夢が巣食い、昼夜を問わずに彼の心を蝕むのであった。
「バカ……オレのバカ!」
クロスは首をぶんぶんと振る。
「アイツのことを呪うだなんて」
「どうしたの、クロスさん。深刻そうな顔をしちゃってさ」
その時、誰かが背後から囁く。
声の主は肩に顎を乗せていて、その少年の銀の鬢が頬にサラサラとそよいだ。
「自分を責める必要なんてないよ」
「ユウリ……」
目線だけで近距離の少年の顔を見る。
「なにもおかしくない。普通のことさ。あなたはあの男――エイガを憎んでいる。そうでしょう?」
「よ……よせ!」
クロスはユウリを突き飛ばすと、頭を抱えた。
「そんなはずはない! オレがアイツを憎むだなんて」
「えー? そう?」
少年はゾッとするような笑みを湛えて続ける。
「でもキミ、さっきまでさんざんアイツを罵っていたじゃないか。パーティをクビになった落ちこぼれのクセにってさ」
「そ、それは……」
冷静になればなぜ夢の中のことをこの少年が知っているのか疑問に思うところであるが、今のクロスにはその冷静さがない。
「あ、あれは何かの間違いだ」
「間違い?」
「ああ、そうさ。エイガは魔法大学校でオレの方が落ちこぼれだった時から仲良くしてくれた親友だ。アイツの育成スキルのおかげでオレはここまで強くなれたし、なにより冒険が一番楽しかったあの時期を共に過ごした戦友でもある」
クロスの顔に少し自信が戻り、古代勇者の像をはっきり見上げながら言う。
「夢なんてものは妖魔に操られることがあると聞く。そうさ。あの昼夜の呪わしい夢はきっと妖魔のせいだ。教会へ行って祓ってもらわなければ……」
「ぷっ……どんな強大な妖魔にだって、本人が思っていないことを夢にみさせることなどできやしないさ。サキュバス、インキュバス、ナイトメア――ああいう連中がすることってのは、人間の心の奥底にある気持ちを夢の階層へ引っ張りあげてくることなんだ。夢は起きている人間よりも正直になるものだからね」
妙に説得力のある論で、クロスの顔に再び影が射す。
「正直……に?」
「そうさ。人間の本性ってのは他者への嫉妬、侮り、憎しみ、恨みにある。みんなそうさ。その他者をうちのめして浄化させることこそ、人生唯一の果実。スッキリするでしょ?……うふふふふ」
少年は死神のように笑いながらツイっと後ろを指さした。
「それに同じ釜のメシを食った仲ほど憎しみがつのるということもあるんだぜ。ほら、振り返ってごらん」
銀髪の少年はそう残して煙のように姿を消してしまう。
(ユウリ、どこへ……?)
そう思ったと同時に背後から自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、クロスはゆっくりと振り返った。
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