第114話 プールサイド
「話があるの」
と、水面のティアナが言うので、俺たちは梯子からプールサイドへと上がった。
濡れた足でひたひたと歩き、近くのベンチへ腰かけると、女もその横に水着の尻を乗せる。
「……」
しばらくの沈黙の後、ティアナは競泳帽を取り、濡れた金髪を豊かな肩へすべらせながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「そうか、クロスとそんなことが……」
ティアナは、俺がパーティを解雇されてからのクロスとティアナの関係と、今日、ティアナが正直な気持ちを告白したことなどを一気に話してくれた。
なるほど、さっきあんなに気が立っていたのはそういうワケか。
「バカだなあ」
「え……?」
「お前のことだから、それで俺とクロスの仲が悪くなったらどうしようとか心配して長い間答えづらくなってたんだろうけど……」
俺はタバコへ火をつけてから続ける。
「クロスはそんな逆恨みをするようなヤツじゃないよ」
「……ええ、そうね。そうだったわ」
ティアナはそう強く答えた。
両手は太ももの上へ三角に折り重ねられ、姿勢のよい背筋と競泳水着の縫い目が女体の立体性を強調している。
「でも、私にとってもクロスは大切な仲間なのよ。だから傷ついてほしくなかったのだけれど……時間がかかったことでかえってより傷つけてしまったのではないかと思うと胸が苦しいの」
「それでもちゃんと正直に答えることができたんだ。クロスの中にも悪い気持ちはないだろうぜ」
俺はティアナを元気づけるためと言うよりは、むしろクロスの名誉のために言った。
「もちろん、落ち込んだりはするけどさ。アイツには思いどおりいかなかった時に普通の人間が持つ『悪い心』っていうのがないんだ」
「……どういう意味かしら?」
「うーん。普通、人は落ち込むと嫉妬とかくだらない復讐心とかに囚われて、自分自身を見失ったりするもんだろ。だから常人が落ち込んだときは心をよく点検して自分の嫉妬やくだらない復讐心と戦わなきゃいけないけど……まあ、打ち勝てる時もあれば自己欺瞞に陥って自分にウソをついちまうこともあるよな。だけどクロスはそこらへん普通と違う」
俺はタバコの煙をひとつ吐いてから続ける。
「アイツは魔法大学校時代は落ちこぼれの部類だった。でも、それでも誰かに嫉妬したり、バカにしてきたヤツに後からマウントを取りに行ったり、そんなことは発想にも上らないらしかった。そういう『悪い心』がそもそも無いんだな。だからクロスは仮に勇者じゃなくてもスゲーヤツなんだよ。決して嫉妬やくだらない復讐に囚われないってことは、ナチュラルに自分に正直でいられるってことだから」
少し長くなってしまった俺のクロス評を、ティアナは黙って聞いていた。
だが、俺がしゃべり終わって数秒すると、
「そうかしら……」
と言って目をふせる。
「私……あの人はもっと人間らしい人だと思うのよ」
「なに?」
「クロスはずっと言っていたの。『エイガと対等になりたい』って。それは嫉妬と呼ばないかもしれないけれど、常に遠く離れたあなたの目を意識し続けていたことは確かだわ。たとえ魔王級クエストの最中でも」
なんだそりゃ。
それはまったくの逆の話じゃないか。
あれからの俺はクロスと対等の冒険者になるためにザハルベルトを目指してきたんだ。
「あなたにはわからないかもしれないわね」
ティアナはひとつため息をついて続ける。
「あなたがクエストについて来られず解雇になってからも、私たちはあなたがパーティを率い、育ててくれた日々のことを忘れられないのだわ。だから、たとえ遠く離れていてもあなたに認められたい……そう思ってしまうの。それは私だけじゃなくて、エマやデリーも、もちろんモリエも同じだと思うのだけれど、とりわけクロスのあなたに対する感情は計り知れないものがあるわ」
そんなことを言われて俺はなんと答えていいかわからず、
「話が逸れたな」
と言ってタバコの火を消した。
「でも、言いたいことは言えたわ。クロスにも、あなたにも」
「そうか」
そう答えると、ティアナはそれまで太ももの上にあった手で、俺の腕をかすかに掴んで言った。
「好きよ、エイガ」
「ティアナ……」
「ザハルベルトまで来てくれてありがとう。でも……少し妬くわ。あなたはクロスのことを思ってザハルベルトを目指したのかもしれないけど、私はただあなたに会いたかった。そればかりだったのに……」
そう唇を噛むティアナを見て、俺はかつて彼女のために買った指輪のことを思った。
再び勇者パーティの冒険についていけるようになったらティアナへ渡そうと買った婚約指輪……
結局パーティは解雇されてしまったけれど、もし冒険者としてもクロスと対等になれたら、これを渡す資格があるんじゃないかって勝手に考えていた。
まだ対等とまではいかないかもしれないけど、ザハルベルトに来た今それくらいの自信が備わってもいる。
「ティアナ、近いうちまた会おう」
と言って、俺は女の頬へそっと触れる。
「渡したいものがあるから」
「渡したいもの?」
ティアナは目をぱちくりさせて首をかしげた。
今は水着で手元にないけれど、指輪は『もちもの』の中にいつもある。
今度会うとき持っていこう。
「領地のおみやげかしら?」
「ふふ、似たようなもんだよ」
俺は笑いながらベンチを立つが……
後から思えば、渡そうと決意したものはその日すぐに渡すべきだったのかもしれない。





