第113話 ナイト・プール
エマの勧めで俺はホテル1階のプールへと来ていた。
プールと言うと遊びっぽく聞こえるかもしれないが、水中での訓練は非常に合理的なトレーニングとなる。
効率的に筋力や心肺機能を高めることができるし、おまけに膝、腰、肘などの関節にやさしい。
まあ、遠雲の領民部隊は地元の川や海でそこらへんナチュラルに鍛えられている者が多いのだけれども、勇者パーティの育成では回復の泉などでの水中トレーニングをよく取り入れたものだった。
クロスとエマはちっとも泳げなかったから、水練での育成は一部不評を買ったけどな。
でもまあ、エマはそのへん頑張って、【憑依】など駆使して丁寧に教えてやったら25ヤードルは泳げるようになったのだった。(※この世界の25ヤードルは現代の25メートル)
そういう記憶もあって、エマは俺へプールを勧めたのかもしれない。
「いちに、さんし……」
さて、そんなことを考えながら準備運動を済ますと俺はプールへ入る。
水温は適温だった。
もう日は落ちているが、ところどころに魔法ライトが置かれて、その赤、青、黄色の灯りが水面に反射しつつプール全体で一定の明るさを保っている。
そんな中、俺はまず歩くことから始めた。
歩くだけと言って侮ることはできなくて、水中では知らず知らずのうちかなりの負荷がかかっているのだ。
あんまり楽しくはないけどね。
ざぶざぶざぶ……
こうしてかなり真剣にトレーニングを続けていたのだが、しばらくして俺はふと立ち止まる。
「……なんか、場違いじゃね?」
そう。
ここはホテルのナイト・プール。
プールサイドではVIPな紳士淑女がバカンスしているが、水中はカップルやグループ交際的な男女がほとんどで、一同ウフフ、キャハハ、ウェーイウェーイ……とパリピを謳歌しているのである。
そんな中、ひとり水中ウォーキングにいそしむ冒険者が俺だ。
これはちょっと浮いているかもしれない。
ザパーン!!
あ、でも俺以外にもそんなのがもう一人いた。
さっきからずーっと泳ぎ続けている向こうの客。
ぴっちりとした競泳水着を身に着けた女性で、バタフライでガチ泳ぎするその様子は周りの空気からは完全に逸脱している。
まあ、ああいうお堅い女性もいるんだし、冒険者がトレーニングしてちゃいけないってことはないよな。
俺は再び水中ウォーキングを続けた。
「なにあのおっさん、ヤバー」
「ずっと真顔で歩いてんの、超ウケんだけどww」
「くく、よせって、聞こえるぜ(笑)」
泡の水鉄砲で遊んでいる男女の集団が、筋肉やおっぱいを弾けさせながらヤジを飛ばしてくる。
「おっさんじゃねえよ……」
とだけはつぶやくが、俺は気にせずトレーニングを続ける。
ウォーキングが終わったらモモ上げ、それから泳ぎもやっておくか。
そう思った時。
あちらでガチ泳ぎしていたバタフライの女がやっと顔をあげたのが目に入った。
俺が来る前からずっとらしかったので、何千ヤードル泳いでいたのか知れない。
ちょっと気になる。
女はプール端の取手に手を着き、競泳帽にゴーグルの顔でハアハアと肩で息をしていた。
白く美しい肩には水か汗かわからぬ粒が大量に滴り、ぴっちりとした水着に映る女性的なボディ・ラインをてらてらと滑り落ちていく。
やがて呼吸が落ち着いたのかそのゴーグルを額へ上げると、青い瞳に若々しいハイライトが走り、それだけのことでナイト・プールに可憐な蝶のような存在感を放った。
「あっ……」
俺は彼女の素顔を一目見て赤い実の弾けるような鼓動を覚えて、まるで初恋でもしてしまったかのような感覚に陥った。
しかし、なんということはない。
数秒たってふとその顔の見知っていることに気づく。
「ふう……」
女はティアナだった。
競泳帽をかぶっていたから一瞬別人のように見えたのである。
「ウェーイ! おねえさんひとり?」
「オレたちの部屋で飲もうぜ」
そんな中、反射的にティアナをナンパしに行ったのは、さっきヤジを飛ばしてきたグループの男たちだ。
一方そのグループの女たちは、一緒にいた男たちがこぞってナンパに行って、放って置かれる格好となっている。
「なにあれ……」
「マジありえんくない?」
などと言って乳房を並べるさまは、いかに口の悪い娘たちと言えどさすがにちょっと可哀想だった。
「ねーねー、いいじゃん。行こうぜ、ノリで」
「そんな時間とらせないからさ」
「そうそう。2、3時間で終わるかな。ギャハハハ」
「……」
相変わらずナンパへ執心する男たちと、その一切を無視するティアナ。
しかし、あんまりしつこいからか、その花のような唇からようやく一言こぼれる。
「……消えて」
「は?」
「今、あまり機嫌がよくないの。3秒以内に視界から消えてちょうだい」
ティアナは刺すような目付きでそう言う。
「なにコイツ。超ウケんだけど」
「……ったく。やさしくしてる間についてくれば怖い目に合わずにすんだのにな」
「ギャハハハ!」
男たちはそう言ってティアナを囲んだ。
「バカな人たち……」
と、ため息をつくティアナ。
あ、まずい。
そう感じた俺は、急ぎ泳いでそちらへ向かった。
ジャバジャバジャバジャバ……
ちなみに杏子への憑依で海女の特性が移っている俺の泳ぎはすさまじく速い。
俺が一瞬でトラブルの現場にたどり着くと、男のひとりが今にもティアナの腕へ掴みかかろうとするところだった。
「美人だからっていつもやさしくしてもらえると思うなよ!」
ヤバイと思ったので、俺はとっさにその男の腕を掴んで「おい、やめとけ」と制した。
「は? なんだおっさん」
「しゃしゃってくんじゃねーよ」
「カッコつけてもいいことねえぞ」
色めき立つ男ら。
俺はため息をついて返す。
「勘違いしてんじゃねえよ。女の右手を見てみろって」
「あ?」
男たちはそう言われて、ティアナの右手に蓄えられた青い魔力エネルギーに気づく。
「な、なんだこの光……」
「支援系特殊魔法【エンカウント・キャンセラー】だよ。冒険中にザコ敵との戦闘を回避するための魔法さ。そいつが彼女の肩を掴んでいたら、今ごろお前ら仲良く別大陸へすっ飛ばされているところだったんだぜ」
「「「う……」」」
「騒ぎが続くとホテルの警備員が来る。お互いのためにならねーと思うけど」
そう言うと、男たちは「チッ、なんかシラケたわ」「つまんねー」とふてくされながらも去っていった。
やれやれ。
俺は一息つくと、ティアナへ向き直って言う。
「お前らしくないな。一般人に魔法を使おうとするなんて」
「エイガ……」
俺は照れ隠しに苦言を呈するけど、ティアナは構わずにジッとこちらを見つめた。
瞳は少し潤んでいる。
競泳帽にほとんどの髪が収納され、形のよい耳や顎部がむき出しになった顔は、その爛とした瞳をより際立たせていた。
「エイガ、来たのね。このザハルベルトに」
「ティアナ……」
女の胸が俺の胸にしなだれるので、俺は競泳水着の肩をそっと抱いた。





