予言庁
――半年前。
花の都、大ザハルベルトの中心部には、12階だてのビルがそびえている。
これは人間の手で建てられたものとしては世界最高層である。
その10階~12階を利用しているのは【予言庁】という冒険者ギルド本部の顧問機関であった。
予言庁は、魔王級や準魔王級など、放っておけば1%以上の確率で世界を滅ぼすしうる危険度Sの魔物の発生を予言する。
冒険者ギルドはその予言を元にS級冒険者たちにクエストを割り振っているのだ。
そして、そんな予言庁のオフィス11階の一室には『予言の間』という重要な部屋がある。
予言の間には大きな水晶カプセルが設置されており、カプセルの中では金髪の女がひとり目を閉じて予言を呼び起こそうとしていた。
コポコポコポ……
大きな魔鉱石をくりぬいて作られた正十二面体のカプセルの中には魔樹液という黄金色の液体が満たされている。
一見、女の呼吸が心配されるが、スポーティな競泳水着にぴっちり映る肋骨の陰影は一定のリズムでかすかな隆起を見せており、魔樹液の中でも肺は正常に機能しているようだった。
……コポ、コポコポ
やがて、中の魔樹液の水位は引いていき、女は青い瞳を開いた。
(……戻って来たのね)
魔樹液が引いた後の視界は、全方位を取り囲む水晶カプセルによってエメラルドグリーンの光彩に染められていた。
意識はかすかに朦朧としていたが、クリスタルの内面へ手を伸ばし、少し魔力を込める。
すると、正十二面体の一面が開かれ、女は刃のように尖った裸の脚を伸ばしてその隙間からカプセルの外へ出た。
「ティアナさま。お疲れ様ですニャ」
すると、予言庁のネコ耳職員がタオルを手渡してくれる。
女は受けとるとニッコリと微笑んだ。
「ありがとう、ラナ。でも……ティアナさまはやめて」
「どうしてですニャ?」
「だって、変だわ」
「ニャあ?」
ちょうど職員がネコ耳をぴょこんとさせて首をかしげた時、背後で部屋の魔動ドアがキュイイイン……と開く音がする。
「やあ、ティアナ君」
「エル……」
振り返ると、スマートな男性エルフが爽やかな笑顔を浮かべて入って来た。
予言庁のトップ、大賢者エルである。
女はとっさに置いてあった赤いメガネをかけると、タイトな競泳水着で乳房の形がはっきりとしてしまっている胸をタオルで隠した。
「どうだい? 予言はうまく行きそうかい?」
「……ええ」
女は近寄るエルフから視線をはずして答える。
「後でレポートにまとめるわ」
「さすがだな。僕が見込んだだけある」
そう言って、大賢者エルは女の濡れた肩へ手を置いた。
「ねえ、エル」
「む、なんだ?」
「私、来週は少し遠くへ行きたいの」
「遠くへ? クエストかい?」
「いいえ、そうではないのだけれど、その……」
赤いメガネの内で青い瞳が惑う。
「エイガ・ジャニエスの領地か?」
「っ……」
黙っていると、エルは肩から手をはずして言った。
「キミの好きにするといいよ」
「ほ、本当!?」
女の笑顔がパッと花のように咲く。
「……しかし、今はキミの大事な時期だ。それはわかっているんだろうね?」
「大事な時期?」
「ああ。ギルド本部の重鎮たちにキミの力を認めてもらうためのな」
「わ、私は別に……」
そう言われても、彼女にはそもそも出世欲というものがなかった。
ので、自分のパーティの力を認めてもらう必要はあったが、自分自身の力を認めてもらうことなど興味はないのである。
「そんな意識では困るな。いいかい? キミの力は世界中の人々の平和を守るのに必要なものなんだ。でも、その力を十全に使うためにはギルド本部で出世しなければならない。たとえキミ自身がギルド本部での出世を必要としなくても、世界の平和を守るためにはキミの出世が必要なのだよ」
「……」
「その点よく理解した上で行くというならばどこへでも行けばいい。キミの自由だ」
女は『自由』という言葉に心が凍りつくのを感じた。
仕組まれた自由ほど狡猾に人を縛りつけるものはないのだから。
「ティアナさま……」
ネコ耳職員がタジタジとこちらを見ており、大賢者エルフのエルは耳を尖らせてフフっと笑っていた。
「ところでどうだい。気晴らしにこれから夕飯でも……」
「遠慮するわ」
女は背を向けて言った。
競泳水着のぷりっとしたお尻と太ももの境の肉づきを魔樹液がツツーと滴ってゆく。
「……着替えたいの。出て行ってちょうだい」
そう言うと、大賢者エルは肩をすくめて部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇
大賢者エルは『予言の間』から出ると自室へ戻ろうと廊下を歩いていった。
彼の自室はこの11階のさらに上、ビルの最上階にある。
カツーン、カツーン……
石畳に革靴の足音が鳴る。
魔法灯はともっていたが、廊下はいやに薄暗く感じた。
「あはははは、あはははは……」
しかしそんな時、ふいに背後から不気味な笑い声が聞こえてくる。
振り返るとそこには大きな鎌を持った銀髪の少年が立っていた。
「あいかわらずの偽善者だよね。キミは。あはははは!」
立っていた……と言っても廊下には足をつけていない。
天井へ足を着け、さかさまに立っているのだ。
おちょくっているのだろう。
「死神か」
エルは尖った耳にしわを寄せて吐き捨てるように言う。
「エルさん。ああいうふうに言えばティアナ・ファン・レールは行けない。わかってて言っているんだろ?」
「チッ……盗み聞きしていたのか」
エルは顔をしかめながら、少年のゾッとするような透明な瞳を見て答える。
「しかし、本当のことでもある。彼女の能力は本物だ。ギルドへの彼女の影響力が高まれば、より平和な世界が実現するだろう。これを偽善というなら言えばいい」
「そんなことは別にどうでもいいんだよ。ものは言いよう……理屈ならどうとだって言えるんだから」
死神は鎌をかつぎ直して続ける。
「重要なのはさ、エルさん。キミがティアナ・ファンレールを好きってところさ」
その瞬間、スマートなエルフの瞳がハ虫類のようにすぼまって、銀髪の少年を威嚇した。
「……去れ。死神!」
「アハハ、そうツンケンするなよ。たしかに僕とキミは仲のいい間柄じゃない。でもさ、よく言うだろ? 共通の敵がいれば、昨日の敵は今日の友ってさ」
「共通の敵?」
「エイガ・ジャニエスのことさ」
エルが耳をピクっとさせると、死神はさかさまになっていた銀髪をひるがえし廊下へ着地した。
「そんな名前は知らないな」
「またまたぁ。とぼけたってダメだよ。キミだってアイツのことが嫌いだろ?」
死神はそうにじり寄って来る。
「やれやれ、やっぱり僕はそんなヤツのことは知らんがね。死神……ユウリ君。キミはなぜそのエイガなんたらというヤツのことが嫌いなんだ?」
「人を嫌うのに理由なんて必要ないとは思うけれど、強いて言えばアイツが僕とそっくりだからだよ」
「そっくり?」
エイガ・ジャニエスのことはエルも調べていたが、少なくともこの死神との共通点は見いだせなかった。
「そう。僕とそっくりなクセに、まるでこの世界に価値があるかのようにしているのがとても気に食わないんだ」
エルからすれば、少年が世界に価値があるとかないとか言っている時点でひどく子供に見えた。
価値なんて、『カネと命』に集約されるに決まっている。
諦めてそれを承知することが『大人になる』ということなのだから……
「でも、この世界に価値があると思って生きている者などみんなじゃないか? 僕だって、この世界をより平和な場所にしていきたいと思っているぞ」
「へえ、エルさんはずいぶん長く生きている物知りなエルフだって聞くけど、自分のことはわかってないんだね」
死神はクククと笑って続ける。
「エルさん。キミは世界に価値があるだなんて思っちゃいないだろ? 自分自身の価値のために『世界の平和』に価値があることにしているだけさ。実際、世界の裏側の人がどうなろうと痛くも痒くもないクセにね」
「……」
エルは非常に不愉快だったが、死神が何を言いに来たかを聞くために何も返さなかった。
「でも、『育成』なんてことに一生懸命になるヤツは危険さ」
「危険?」
「そう。世界に価値がないなら育成に価値はないだろ。逆に言えば、育成に価値のあるようにしているヤツは、世界に価値があるかのような誤解をみんなに与える。それはよろしくないよね」
「結局なにが言いたい?」
「ごめんごめん。ちょっと迂遠だったかな。つまり、エイガ・ジャニエスをS級に上げないようにして欲しいんだ。アイツが世の中で『いい』ってことになったら僕は大変不愉快だ。みんなが真実から遠ざかってしまうから。『この世界に価値がない』って真実からね」
エルは死神が嫌いだった。
だが、エイガ・ジャニエスをS級に上げたくないという部分で望みは一致している。
ヤツがS級に上がればティアナ・ファン・レールは喜ぶだろうが、その喜びはエルの喜ぶところではなかった。
しかし……
「悪いが、僕は冒険者の差配については権限を持っていない。予言庁の者だからな。誰をS級に上げるだとか、上げないだとかという話はギルド本部の連中が決めることだ」
「だからさ。昨日の敵は今日の友って言っているだろ? 協力するぜ」
「……」
「また来るから考えておいてよ。……まあ、どーせキミは僕と手を組むことになるだろうけれどね。アハハハ」
死神はそう笑うと、ひときわ魔法灯の届かない廊下の闇へ吸い込まれるようにして消えた。
14章『ザハルベルトより』はこんな感じで進んでいきます。
ところで先日9月12日、本作の3巻が発売されました。
3巻まで出せましたのも、みなさんのおかげと思っております。
ぜひ、今のうち本屋さんで表紙だけでもご覧いただけたら幸いに存じます。
それから小説家になろうでは新作も始めていこうと思います。
黒おーじの作者ページからご覧いただけたら嬉しいです。