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第104話 温泉旅館(3)


 温泉から上がると、俺はフルーツ牛乳(谷村産)を、ガルシアはコーヒー牛乳を飲んだ。



 ごくごくごく……



 腰に手を当てさわやかな喉ごしにビンを傾けていると、ふいに右の肩甲骨の下あたりに丸くもっちりとした塊がくっついてくるのを感じる。


 五十嵐さんだなと思ったのでそのまま飲み続けて、飲み切ってから振り返った。


「……すみません、エイガさま。こちらは済みました」


 女秘書は、髪をおろした浴衣姿に団扇うちわを両手で持って、少し申しわけなさそうにしている。


 俺が個室の湯の方を女性陣に譲ったのを気にしているらしい。


「全然いいよ。ガルシアと一緒だったし、大浴場広かったしさ」


「でも、領主を差し置いて個室を使ってしまうのは……」


「その領主がいいって言ってんだからいいんだよ。それにそっちも楽しそうだったじゃんか」


「……楽し()()?」


 首をかしげてこちらを睨む五十嵐さん。


 ヤベ……


「いや。楽しかったんじゃないかなーって。ほら、早くみんなのところへ戻ろうぜ」


 俺はそうごまかして牛乳ビンをビン置きに入れると三人で部屋へ帰っていった。



 ◇



「……あれ、グリコは?」


 戻ったら落ち着いてクロスたちの話を聞いてみようと思ったのだけれど、部屋にヤツの姿はなかった。


「グリコさんなら卓球場へ行きましたよ」


 とスイカが言う。


 それならそれでこちらから訪ねて行けばいいと思ったのだが、その時にちょうど仲居さんたちが膳を運んで来たのでそうはいかなかった。


「失礼します」


「お食事です」


「わー!」


「おいしそー!!」


 みんなの嬉しそうな顔を見ると、さっきから勇者パーティの心配が頭から離れない自分がちょっと嫌だった。


 せっかくの慰安旅行なのに、そんなんじゃみんなに申しわけない。


「「「いただきまーす!!」」」


 俺は頭をぶんぶんと振ると、目の前のみんなと一緒にごちそうを楽しむことにした。


「んー、ンまいッスねー。旦那」


「ああ。そうだな」


 特にこの白い生魚さしみがウマい。


 さすが漁業の村だ。


 大豆を発酵させて作ったという黒い液体と緑色の薬味(谷村産)が魚によく合う。


 みんなもおいしいおいしい言って食べてた。


「へへへ、ちょっとくらい平気だろ」


 そこでリヴが悪そうな笑みを浮かべて、メイドたちに地酒を飲ませようとする。


「わーい」


「お酒だー!」


「ちょっと、やめときなよ……」


 委員長気質のイコカはそう言って飲まなかったが、スイカとマナカはひと口、ふた口のお酒を飲ませてもらい、「全然酔ってましぇん」「私たちもう大人なんれすよー」などと顔を真っ赤にしていた。


 それは特に問題だとも思わなかったが、そんな様子を見て五十嵐さんがシュピーンと目を光らせていたのは大問題である。


「ちょ、五十嵐さんだけはマジやめときなって!」


 と、リヴが一変して酒ビンを隠すと女秘書はしょんぼりとしていた。


 可哀想だけど、仕方あるまい。


「うー、食べ過ぎたッス~」


「苦しいい……」


「もう食べれないよぉ」


 食後。


 ガルシアとスイカとマナカはお腹をポッコリとさせてひっくり返っていた。


 一方で、同じくらいモリモリ食べていたように見えたリヴが涼しい顔をしているのは不思議だ。


「なんだい。なさけないねえ」


 リヴはそう髪をかき上げるとタバコへ火をつけた。


 浴衣をツナギのように帯のところでめくり垂れて、上半身はいつものかっこいいタンクトップにネックレスなのだが、そのお腹はちっとも膨らんだ様子がない。


 食べたモノはどこへいったのだろう?



 そのあと、この部屋には何組かの来客があった。


 ナツメさん、木村の長、中村の長者、吉岡神社の十蔵……


 遠雲とくもの民はみんな風呂を非常に重要視するので、オープン初日から泊まりに来る者も多く、俺がいるのを知って挨拶に来たという具合らしかった。


 特にナツメさんちは領地の西側だから、領地の東側に位置する磯村まではけっこうな距離があるのに歩いて来たというからやはり驚きの足腰である。


 なんにせよ領民たちの楽しみが増えるのはいいことだよな。


「りょ、領主……」


 で、来客の中にはアキラの姿もあった。


 その後ろには結婚したばかりの彼の奥さんがついてきている。


「おお、アキラ!」


 アキラは温泉の発見者なので、磯村から招待を受けていたのだそうだ。


「お、お、お、温泉。よがったが?」


「うん! ありがとな。お前のおかげでいい湯に入れたよ」


 そう言って肩を叩くとデヘヘと笑ってた。


 仕事に夢中になって働きすぎのきらいがあったコイツも、結婚してからはちょくちょく休みを取るようになったらしい。


 よかったよかった。


「ところで領主。こ、こ……こでは将平とおでが作ったもんだ。受け取ってくで」


「あ? ああ。なんだこれ?」


 と聞くが、アキラは答える前に照れて帰ってしまった。


 渡されたのは巻物のようで、さっそくシュルシュルと広げてみる。


 内容はパッと見、俺にはよくわからなかったのだが、


「……これは地図ですね」


 と五十嵐さんが教えてくれた。


 そう。


 つまりはアキラの地質調査で地質や地形が明らかになっていったのを将平が書き留めていったものらしい。


 まだ例の掘削調査は進んでおらず山の地中の奥深くまでは未解明ではあるものの、露出面の地質や標高を記した表や図面がいくつもあった。


 まあ、専門知識のない俺にはあまり理解ができないものが多かったのだけれど、領地全体の位置関係を記した地図は冒険者時代にも見慣れた形で、以下がそれである。



――――――――――――――――――

←至・帝都        至・奥賀→

                  

▲▲▲▲川▲▲▲▲▲▲▲□□□▲▲▲

▲▲▲▲|▲▲▲▲▲▲□□□□▲▲▲

▲▲▲▲▲\▲▲▲▲▲外村□▲▲▲▲   

▲▲▲▲▲▲|▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

▲▲▲▲▲▲|▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

▲▲▲奥村▲|▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

魔鉱山▲▲▲|▲▲▲▲谷村▲▲▲▲▲

▲□▲▲▲▲▲\▲▲▲▲▲▲▲□▲▲

▲□□▲▲木村□|□▲▲▲▲□□□▲

▲□□▲▲▲□□|□□▲▲▲□磯村□

▲□□□▲▲□□|□□▲▲□□□□ 

  □□□▲□中|村□□□□    

  旧□□▲□□|□□□      

  港□□□□□|□□□      

    □□館□□\□□      

     □□□□|□       

     □港□□|□       

                  

                  

                  

                  

                  

                  

             □    

            □島村□  

              □   

――――――――――――――――――


▲=山地

□=平野部

|=大川




「こうして見ると、東西の交通が不便だな」


「そうですね」


 こうして地図をきっかけに領地経営の話になる。


 領内の交通は、『木村』『中村』『館』『新港』と水路で繋いでいたが、西の『魔鉱山』や東の『磯村』へのアクセスがまだ未整備なのだ。


 俺は黒王丸ですっ飛んで行ってしまえばいいけれど、領民たちの行き来をもっとスムーズにしたいところではある。


「交通インフラが脆弱ぜいじゃくだと新事業も起きないッスからねー」


 とガルシア。


 銀行システムを築いたところから見ても、商人のコイツは領民から事業者が出てくればと思っているんだろうな。


「それじゃあ、魔動鉄道を敷いたらどうだい?」


 そこでリヴがそんなことを言う。


「確かに、全体の地形が明らかなら路線の計画も立てやすいッスね」


 魔動鉄道か。


 確かに、俺の領地にも敷設したいって思ってたけど……


「でも、今は陸上戦の武器を開発している最中だろ? そんな余裕あんのか?」


「大丈夫だよ。一太郎君たちもかなり成長してきているしね」


 と胸を張るが、とは言っても供給力には限界があるものだ。


「五十嵐さんはどう思う?」


「……戦闘のための港がこの旅館を作る技術に寄与したように、鉄道を敷設する技術が戦闘に活きてくるという可能性も考えられます」


 なるほど、一理ある。


「じゃあとりあえず、もしやるとしたらどのラインで敷設するのがいいかな?」


 こうなってくると夢が膨らんだ。


 俺たちは少々興奮気味に、地図を前にさまざまな計画を論じ合うのだった。




 ……で、どれくらい話し込んでいただろうか。


 布団の上でトランプをしていたメイドたちはとっくの前に眠ってしまっていた。


 さらに時が進むとリヴが寝落ちして、いよいよガルシアも寝てしまうと、ようやく議論の興奮も静まってくる。


「ずいぶん話し込んじゃったな」


「ええ……」


 さすがの五十嵐さんも少し疲れたようで、正座していたかかとをずらして膝を『く』の字に重ね、窓の外を見やった。


 その闇の向こうで、


 リリリリリ……


 と鳴く虫も、昨日までと種類が変わり始めている。


「夏もそろそろ終わりですね……」


 そうつぶやくと、鋭い目つきの五十嵐さんが珍しくじゃれるように団扇うちわでこちらを仰いでくれた。


 俺は浴衣美人へ微笑み返して、またアキラからもらった領地の地図へ視線を戻すと、ふと自分の胸のとても満ち足りた感じを自覚する。


 それが同時に、さっきまでモヤモヤとしていた、クロスたちのことを気にすることの後ろめたさを消していった。


 その充足感の正体は、今の仲間と、今の領地と、今の自分への『自信』だと思う。


 今の自分への自信は、それが勇者パーティへの『未練』ではないことを左証してくれる。


 あそこに俺の居場所がなくなったのは仕方のないことだったし、それで今の居場所がここであることを嘘偽りなく肯定できるからだ。


 ……でもさ。


 それでもクロスたちと冒険をしていた日々がなかったことにならないのも確かだ。


 だからアイツらの調子が悪いって聞けば心配になるのは当たり前というか、それで今の仲間たちに申しわけなく思う必要はないんじゃないかって思ったんだ。



「さてと。もう寝ようか」


「……ええ」


 そう言ってたたみを煌々と照らしていた魔法ランプの光を消すと、川の字で眠るみんなを自然に近い暗闇が呑み込んだ。


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