3話
2話連続投稿します
早く早く。
日の出前に家に帰らなきゃ。
急く心とは裏腹に、子猫の足はやたらと遅い。普段のあたしの足ならあっという間の距離なのに、ようやく家に辿り着いた時は、日の出とほぼ同時刻だった。
門扉の内側に飛び込むなり、身体中に変な感覚が走る。何と言っていいのか難しいけど、身体の内側がちくちくするような、ぐるぐる目が回るような、そんな感じ。
ハタから見たら、どんな感じに見えるんだろ。
気が付いたときは、あたしはいつもの姿に戻っていた。
実に都合のいいことに、ちゃーんと記憶通りの洋服も着たまま。
そりゃ服着たままの状態から猫になった訳だし、裸になっちゃうのは勘弁して欲しいけど、こんなのってあり? まるでマンガの世界だわよ。
「やたっ! 戻れた!」
んー、やっぱり人間の身体が一番!
あたしは思いっきりガッツポーズをして、ドアベルへ指を伸ばす。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん。
盛大にベルを鳴らしてやった。夜の遅い親父はいつもだったらまだ寝てる時間だけど、そのくらいはしてくれてもいいよね。
「志穂ちゃん、お帰りー」
どたどた足音が聞こえて、相変わらずだらしない格好の親父が顔を出す。
「僕、すごく複雑な気分だな。朝帰りの娘を出迎えるなんて」
あたしが煎れたコーヒーを啜りながら、親父は眉をだらしなく下げて悲しげな顔をしてみせる。
「誰が朝帰りよ、誰が。親父があたしを追い出したくせに!」
スマホで今日の日の入りの時間をチェックしながら、あたしは言い返した。
「う……」
さすがの親父も、これには何も言えないらしい。上目遣いにあたしの顔を窺っている。
ざまぁみろ。
少しはあたしが味わった不幸な気分を味わってればいいのよっ。
「志穂ちゃあん。パパだって、したくてやってるわけじゃないのに」
「パパ言うなっ。それに、いい年こいて泣き真似なんてしないでよっ! 気持ち悪い!」
「あ、ばれた?」
少しも悪びれずに、にかっと笑う親父の顔を見て、あたしは深ーい溜息をついた。
作家という人種って、こんなに変人ばっかりなんだろか。それとも、世間の父親とはみんなこんなものなんだろうか。
「……ところでさ、昨日言ってた『見つけないといけない何か』ってなに」
「うーん……教えてあげたいのはやまやまなんだけどね」
親父はまだ眠たげな目をしぱしぱと瞬きする。
「自分で分かる前に言っちゃったらね、二度と人間に戻れなくなるんだってさ。メグが言ってた」
「なんじゃそりゃ。……じゃあさ、母さんも同じ目にあったわけ?」
「うん。実はさ、後で聞いたら、僕とメグが会ったのってちょうどその時だったんだって」
にわかに親父の目が爛々と輝き出す。
こうなってしまうと……この先の展開は見えてる。
「……これって、運命の出会いってやつだと思わない?」
「あーはいはい……きっとそうですねー」
もうその台詞は聞き飽きたよ、と心の中で呟きながら、あたしもコーヒーを口にする。これだけじゃヒントにも何にもなりゃしない。
「一つだけ……僕に言えることはね、志穂ちゃんが猫の姿になってから、どんな人たちと出会って、どんなことを経験して、そして志穂ちゃんがそれについてどう感じるか、それが一番大事なんだと思うよ」
珍しく生真面目な顔でまともなことを言う親父の顔を見て、あたしはよけいに憂鬱になった。
だって、当たり前。
どんな人たちと出会ってって言うけどさ、よりにもよって、一番苦手なあの男に会ったんだもんね。
「メグが言ってたよ。きっと分かるってさ。その『何か』は」
あたしは溜息をついて立ち上がった。
「もういい。学校に行く準備する」
――こんな風に、あたしの半人半猫の生活が始まったのだった。