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猫なあたしと苦手なあいつ  作者: はるき
2/9

2話

 せめて、あとちょっとだけでもいいから可愛げのある子猫だったらなぁ、とあたしはしみじみ思う。


 もし真っ白でふわふわしてたりとか、尻尾が長くて真っ直ぐで、しかも気品があったりとかしたら、ほら、人情的に「やーん、可愛いー」って速攻でお持ち帰りしたくなるじゃない?

 それが、これじゃねぇ。


 自分の胴体を振り返ってみて、がっくりと肩を落とす。

 言いたかないけど、自分でもないなぁと思う。


 本当にこれからどうしようとあたしは途方に暮れた。『何か』を見つけろって言われたって、それがモノなのか人なのか、それともそれ以外の何かなのかも、まったく分からない。

 そんなことを考えながら、何気なく一歩踏み出した時だった。


 キキーッと耳に突き刺さる金属音。

 はっとして横を見ると、黒と銀の何か巨大な物体がぐんぐん迫ってくる。


 あたしは吃驚して、その場に立ちすくんだ。猫って自分から道路に飛び出してくるくせに、車の前でピタッと固まってしまうでしょ? まさにあの状態。動きたくっても、動けない。

 もうダメ。死ぬ。

 それもこれも、ぜーんぶあの親父のせいだーっと心の中で絶叫した時。


 ガッシャアァン。


 鼻先10センチで、派手な音をたててそれが倒れた。カラカラと回る巨大な黒い輪っか。

 あぁ、これって自転車だったのかぁ。

 あたしは自分の身体の小ささを実感した。巨人の国に迷い込んだガリバーって、こんな気分だったんだろうか。


「ってぇ……くそっ」


 自転車に乗ってたらしい人が、こっちを凄い目つきで睨んでいる。


 ご、ごめんなさい。誰かの通行を邪魔するつもりなんてなく……て、あれ?


 あたしは自分の目を疑った。

 見慣れた紺のブレザー。

 だらしなく弛んだネクタイ。

 そして、きわめつけは――目つきの悪い、この顔。

 同じクラスで剣道部の秋山一志! どーしてここに、こいつがいるのよ!


 何を隠そう、この男はあたしの天敵だ。

 どうしてかって?

 だってよ、いきなり初対面の女の子に向かって「ガイジンさん? 目の色がちょっと違うし、背ぇでかいよな」なーんてコト言う失礼な男が、許せると思う? それも、あたしよりさらに身長高いからって上から目線で人を見下ろして。


 ちなみに、あたしは確かに身長がでかい。170センチある。これは親父の血。んで、外国人だった母さんの血のせいで、目の色も髪の色もちょっと薄い。

 そして、それを指摘されるのが一番嫌い。

 「どうしてよ、別にいいじゃん」と言われたって、嫌いなものは嫌い。小さい頃に近所のガキ大将から「ガイジーン」なんて苛められては、きっちり仕返しして泣かせてたくらいに嫌い。

 え? そういうのは苛められてるとは言わない?


 とにかくそんな訳で、それ以来、この男とはしょっちゅう口喧嘩をしてしまう。会わなけりゃいいんだけど、同じクラスだからそういう訳にもいかないし。

 確かに、並の男に較べりゃ身長高いし、顔立ちはそこそこ整ってるかも知れないけどね。周囲の女子たちが「志穂! あれはね、目つきが悪いって言うんじゃなくて切れ長の目っていうのよ! 剣道やってる時の鋭い視線がたまんないのよう」ときゃあきゃあ言ってるのがあたしにはあんまり理解できない。

 部活やってる姿見たことないし見ようとも思わないけど、それって、単に睨んでるだけじゃん。

 だいたいさ、剣道やってる人って、もっとこう清潔感があってストイックな雰囲気を持ってるもんじゃないの? なのに、この男ときたらいっつも制服だらしなく着くずしてるし、口は悪いし、なんかこう軽薄な感じ。


 そんなことはどうでもいい。

 とりあえず、ここは逃げるべし。


 相手には猫のあたしが成瀬志穂だってこと分かるはずないんだけど、焦りまくったあたしにはそんなこと気づく余裕もない。くるりと回れ右して、軽やかに走って逃げる……つもりだったのに。

 さっきの恐怖で半分腰を抜かしてたみたいで、ぎくしゃくしか歩けない。


「待てコラ」


 おかげで、あっさりとそいつの手に捕まってしまったのだった。

 うう、成瀬志穂、大ピンチ!

 あたしは首根っこを掴まれた。ダラリと宙づりにされる。


 ちょっと! 首の皮が伸びたらどーしてくれんのよっ。

 これ以上不細工になったら、あたし困るんだからね!


 なす術もなくじたじたと暴れるあたしを眺めていたこの男、こともあろうかぷっと吹き出した。


「おまえ……見れば見るほど貧相な猫だなぁ」


 なんですってぇ!

 あたしは更に激しく暴れてやった。

 このあたしをつかまえて、ひ、貧相とはどーいうことよっ! やっぱり許すまじ、秋山一志!


 秋山はさらに大きく笑いだした。


「おもしれー。ブスって言われたこと、分かってんのか、もしかして」


 ……ぶす。

 不細工よりひどい。

 女の子に向かって、ぶすってよくも言ったな!


 あたしは自分の今の姿も忘れて怒り狂った。なのに、あいつはニヤニヤ笑いながら言ったのだ。


「お前、首輪ないのな。捨て猫か……うちに来るか?」


 それだけはイヤ。絶対かんべん。

 ああ、そう言いたいのに、言葉が喋れないって本当に不便。有無を言わさず、制服のポケットに突っ込まれてしまった。


 ポケットの中は、埃っぽくて狭っ苦しい。ちゃんとクリーニングくらいしろよ、と毒づきながら何とかそこから頭を出した頃には、とっくに自転車は走り出していた。下を見ると、地面がとんでもないスピードで流れている。


 く、くらくらする。こんな所から飛び降りたら、絶対死ぬ。

 ああ、神サマ。

 あたしがどうしてこんな目に遭わなくちゃいけないのですか。

 世の中ってとっても不公平です。

 友達の机の中にサプライズを仕込んだりとか、ジュース飲んでる友達の目の前で、女子にあるまじき変な顔作ってみせたりとか、あ、もちろん、吹き出したってかからない程度の距離を置いてね。

 そんな可愛らしい悪戯しか、したことないのに。


 そういえばこの男、あたしが学食でその変な顔してるとき、たまたま向こう側のテーブルにいたことあったっけ。

 視線が合うこと、数秒間。もちろんあたしはその間中、顔はそのまま。

 結果。

 秋山は口の中に入れていたカレーを、盛大に吹きだしたのだった。周りの友達から「お前、きたねー」とか非難されながら、お腹を押さえて笑い死にしていた。カレーまみれになったのはざまぁみろと思ったけど、この男に笑われるとなんか腹立つんだよね。


 そんなことをぼんやり考えながら、あたしは流れる風景を、ただ眺めていた。






 やがて、自転車が派手なブレーキの軋みをたてて止まる。放心状態に陥っていたあたしは、その音で我に返った。

 どうやらあたしの家からそんなに遠くはないみたいで、見覚えのある場所だった。

 この隙に何とか逃げ出そうと足に力を入れたあたしは、またもやがっくり。情けないことに、お腹がすきすぎて身体に力が入らない。

 その間にも、秋山はマンションに入り反対のポケットから鍵を取り出している。


 あたしって、とことん神サマに見放されてんのね。

 もうどうにでもなれな気分だった。


 ドアが開くと、中は真っ暗。

 どうやら誰もいないらしい。

 パチパチと電気を一通りつけて回った秋山は、やにわにブレザーを脱いで……なんてこったい! あたしはそれと一緒に放り投げられたのだ。


 頼りない浮遊感。

 続く、自由落下。

 身体に力を入れても、踏ん張るところもない。


「みぎゃあっ」


 ぼすっという音とともに、柔らかいものの上に落ちる。


「あ! ……悪ぃ。お前がいんのすっかり忘れてた」


 って、それだけ?

 ねぇ、言うことはそれだけ?

 当たり所が悪かったら、あたし死んでたかもしれないってのに?


 あたしはよろよろとポケットの中から這い出す。そこはソファの上だった。

 精根尽き果てるとは、まさにこのこと。幾らジェットコースターが大好きでも、今のはワケが違う。


「大丈夫か?」


 さすがのアホ野郎も、ちょっぴり心配そうな声だったけど、あたしは反応する気にもなれない。


「ちょっと待てよ。確か……」


 あたしは空腹と目が回ってしまったのとで、ぐったりしていた。

 秋山はそんなあたしを掌ですくい上げて、テーブルの上に乗せる。そして、冷蔵庫の中をごそごそと探っている。


「お、あったあった」


 少しして、お皿に入れた牛乳が出てきた。いくら馬鹿でも、この程度の気配りはできるらしい。


 え? 嫌な奴から貰ったものでも平気で食べるのかって?

 当たり前。だって牛乳には罪はないじゃない。


 お腹ぺこぺこのあたしは、もう、目の前の牛乳のことしか頭になかった。皿に頭を突っ込むようにして舐める。これがまた、ちょっとずつしか口に入らなくて、すごく飲みにくい。

 ああもう、まどろっこしいったら。やっぱり牛乳は一気飲みに限るのに!

 しばらくして、ようやく満足してきたあたし、ふと視線を感じて顔をあげた。秋山は頬杖をついて、またニヤニヤ笑いながらあたしを眺めてるじゃないの。


「ぷっ、そんなに焦って飲まなくても、取りやしねぇよ。お前、顔中牛乳だらけ」


 指が伸びてきて、あたしの顔を拭う。


 う、うるさいっ。女の子の食事をじろじろ観察するもんじゃないわよ!


 なんだか、一気に食欲がなくなってしまった。

 あたしはようやく周囲を見まわす。


 ここ、何部屋あるか知らないけど、ずいぶんと広いマンションだった。完全に家族向けの広々した間取り。なのに、生活感が薄いというか、人気が感じられないというか。食器棚が妙に綺麗に整頓されてるし、調味料を入れる棚なんか、うっすら埃をかぶってたりする。

 秋山の家族構成なんて知らないけど、もしかしたらお父さんの転勤とかでここには一人で住んでるのかもしれない。


「さて、と。俺も食うか……」


 案の定、あいつがバッグから引っ張り出したコンビニの袋の中から出てきたのは、お約束の弁当。

  ……いくら男でも、ちょっとくらい料理しろよ。

 あんな栄養の偏ったもの食べて、よくその図体がもつよなぁ、と思って見ていたら、秋山は何を勘違いしたのか、箸を動かしながらあたしの方をちらりと見た。


「物欲しそうに見たって、これはやれんな」


 誰がいるかいっ!


 あたしは思いっきりぷいっとそっぽを向いてやった。テレビの雑音に混じってくすくす笑いが聞こえてくる。

 なんだか悔しくなって、あたしはテーブルから飛び降りた。秋山の視界から外れたところに座布団を発見して、身体を丸める。


 ああ、お腹いっぱい。部屋は暖かいし。

 考えなくちゃいけないことは山のようにあるけど、とりあえず、今、この瞬間はとっても幸せ……。


 また何か秋山が言っているのが聞こえたけど、その声はどこか遠い。だんだんと瞼が重くなってくる。






 いつのまにか、あたしは眠気に引きずられてしまっていたらしかった。

 はっと目を開けると、薄暗い部屋の中。

 見慣れない壁、見慣れない家具、見慣れない部屋。


 ここ、どこ!?

 ……あたし何やってるんだっけ?


 一瞬頭の中が真っ白になったけど、見上げたベッドのうえに黒い頭が乗っかってるのを見て、昨夜のことを一気に思い出した。


 ええっ、もしかして、あたしいつの間にか眠っちゃった?


 慌てて自分の身体を見下ろすと、とりあえずはまだ猫のまんまだった。ほっとしたのも束の間、『最初のうちは、朝になったらとりあえず元に戻るらしいから』という親父の言葉を思い出す。


 朝になったら人間に戻るってことは、日が昇ったらアウトってこと?

 ど、どうしよう。


 ここはどうやら秋山の部屋らしかった。ぐるぐる部屋を見回しても、どこにも開いた窓なんてないし、他の部屋に行くにもドアが閉まっている。

 あうう、やばい。マジでやばい。こんなとこで人間に戻ったら……。


「何やってんだ、朝っぱらから」


 あたしは、みっともなくギャッと叫んでしまった。

 寝ぼけ眼でボサボサ頭の秋山が、身体を起こしてじっとこっちを見てたのだ。寝起きの腫れぼったい目のせいか、少しだけ目つきが柔らかく見える。


 寝ぼけてる方がましに見えるなんて、変なヤツ。


 ちらっとそんな事が頭に浮かんだけれど、今はそんな暢気なことを考えてる場合じゃない。


 そうだ。何とか秋山に訴えて、ここから出して貰えばいい!


 あたしは慌てて近くのドアに駆け寄り、傷を付けない程度にかりかりと引っ掻いた。

 こんな時にもちゃんと気を遣うなんて、偉いと思わない?

 なのに、秋山の方を振り返ると───あたしの必死の訴えを無視して、またごそごそと布団に潜り込もうとしていたのだ。


「にゃあっ!」


 あたしは精一杯の声を張り上げる。


 起きろ!

 ……いえ、お願いです起きてください。あたしがとっても困ります。


「何だよ……」


 何度も同じ動作を繰り返していると、ようやくこの男の鈍い頭でもあたしが何をしたがっているのか理解したようだった。


「お前、外に出たいのか?」


 そうよ! そうなんだから、早くしてよ!

 ていうか、あんた、寝起き悪すぎ。日が昇ったらどうしてくれんのよ!


 大あくびをしながら、秋山はあたしを抱き上げて玄関のドアを開けてくれた。

 もう東の空はうっすらと明るくなってきていたけど、夜明けまであと少し時間がある。あたしはほっとして、家に向かってダッシュしようとした、のだけれど。

 秋山の無駄にでかい身体を見上げる。


「……ん? 何だ、まだ何かあるのか」


 しゃがみこんであたしの頭を突きまわす寝ぼけ男の顔をしばらく見ながら、あたしは少し悩んでいた。

 いくら苦手な相手といっても、とりあえず一夜のお礼はした方がいい? でも、あたしは猫だし。もちろん言葉も喋れないし。


 どうしよう。

 ……ええい。


 あたしは覚悟を決めた。

 女は度胸! 受けた恩は仇で返せ……じゃなくて、礼儀は大事よね!

 そして、その……ああっ、言いたかないけど、あたしは、秋山の指先をぺろりと舐めたのだった。

 まるで、まんま猫じゃん! いや、猫だろと言われたら、その通りなんだけど。

 なんだか急に恥ずかしくなって、あたしはそのまま後ろも振り返らずにダッシュで走り出した。


「車にひかれるなよ」


 ちょっと可笑しそうな声が聞こえたのは、きっと気のせい。あのアホ男に、そんな気遣い出来るわけないし。




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