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猫なあたしと苦手なあいつ  作者: はるき
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1話

 すっかり日も暮れて暗くなった空。

 あたしは煌々と明るく輝くショーウィンドウを覗き込んだ。そこに映っているのは、ショートヘアでちょっと背が高いだけのごく普通の女の子、じゃなくって――一匹の痩せこけた子猫。


 そう、どーしてあたしが猫にならなくちゃなんないわけ?

 しかも、可愛いならともかく、めちゃぶっさいくだし!


 このやり場のない怒りをどうしてくれよう。と、ガラスに映った可愛いげのない猫が、毛を逆立てて威嚇しているのが見えた。


 ……あー、萎える。

 てか、寒いし。

 おなか空いたし。


 だいたいね、こんなに人がいっぱいいるのに、誰も可哀想な子猫に餌もくれないってどーいうことよ。それどころか、指さして笑う人までいるし。そりゃ確かに、グレーというより鼠色といった方がお似合いな煤けた色のちっとも可愛くない外見だけどさ。


 笑うヤツなんか引っ掻いてやりたいのはやまやまなんだけど、それをやって保健所に連れてかれるのだけはゴメンこうむりたい。

 花の女子高生17歳、こんなところで終わってたまるもんか!

 突き出す腕もないことに気がついて、はぁぁ、とあたしは深い溜息をついた。ひげが一緒にふるふると震える。


 虚しい。


 人通りの多いところを狙ってここに来たのがかえって失敗だったかな、と人の流れを眺めながら思う。

 天然の毛皮は思ったほど役には立ってくれなくて、そろそろ本格的に寒くなってきたこの季節、ここにいたらまじで凍死するかも。死んだときには人間に戻っちゃったりしてさ。んで、『女子高生、全裸で謎の凍死!』なーんて見出しがテレビに出たら、絶対に親父を恨んでやるんだから。


 そう、親父と言えば。

 また新たな怒りが、むくむくと湧きあがってきた。


 こんな訳の分からない不幸に見舞われた愛娘を家から放り出すなんて薄情なこと、どーして出来るのよっ。絶対に化け猫になって呪ってやる! 


 え? あたしは誰だって?

 自己紹介なんかやってる気分じゃないけど、しかたない。

 あたしは成瀬志穂。

 内申書ふうに言えば明朗活発な──というよりはエネルギーが無駄にありあまりすぎ、と失礼なことを言う友達もいるけど──ごく普通のいわゆる女子高生の、はずだった。

 ついさっきまでは。




 ことの起こりは、こう。

 家に帰り着いたとたんに急に眠くなったあたしは、ソファで一眠りすることにした。寝る子は育つ。この世で一番嫌いな格言が頭に浮かんだけど、やっぱり眠気には勝てなくて。

 次に目が覚めたときにはもう部屋の照明がついていて、親父が書斎から出てきていた。


 あたしが父のことを『親父』と呼ぶと、親父は決まって泣き真似をしてみせる。「志穂ちゃん、どうして僕のことパパって言ってくれないの。ちっちゃい頃はそう呼んでくれたのに」って。


 ええ、そりゃあ言いたくありませんとも。


 あたしが中学生くらいになった頃から、親父のことをパパと外で呼ぼうものなら、かなりの確率で周囲の人が妙な目であたしたちを見るようになった。その意味を知ってから、あたしは絶対に親父をパパとは呼ばなくなった。

 だってね、あたしは17歳。そして親父はまだ36歳で、しかもどっちかというとぱっちりした二重瞼の童顔。実年齢よりだいぶ若く見える。

 このご時世、そんな二人連れをアヤしい関係と思われても仕方ないよね。


 その親父、世間一般に言ういわゆる作家って職業をしている。

 うちによく顔を出す某出版社の担当さんに言わせると、『女性の心に訴えるドラマティックな展開の恋愛小説を書かせたら、とびっきり』で、『若い世代から熟年層まで、幅広く人気のある甘いマスクのイケメン作家』なんだそうだ。でも、あたしに言わせたら『お涙頂戴の、読んでると身体が痒くなるような甘ったるいおとぎ話』を書いてる、ただの見栄っ張りナルシストってとこが関の山。


 だってよ、家じゃ長めの髪はぼさぼさ、膝がだらしなく伸びたスエット着用。そして、極めつけは超ド近眼の瓶底メガネ。どっから見ても、生活にくたびれたおっさん。

 それが一歩外に出るときは、それが例え近くのコンビニだろうが、「……アナタはどこのどなたですか」と突っ込みたくなる別人ぶり。近所のおばちゃん相手に、詐欺師も裸足な笑顔を披露しまくる始末。親父に言わせりゃ、女性の夢を壊したら申し訳ないからってことらしいんだけどさ。


 こんなヤツの、どこが『甘いマスク』よ。

 どこが『美形作家』よ。

 親父のファンだとか言ってる女の人たちに、このだらしない姿を見せてやりたい!


 ……ああ、いけない。つい力が入っちゃう。

 まぁ、言い出したらきりがないから、親父のことはこれくらいにして。


 んで、そのナルシスト親父は何故か困ったような顔をしてあたしを見下ろしていた。あたしは半分寝ぼけ頭で、「また原稿、つまってんの?」と聞くつもりだった、のに。


「にゃあ?」


 …………え?


「にゃ……ぎゃあああぁぁぁっ!」


 最後ばかりは、いつもと同じ絶叫だった。ちょっとそこ、色気がないなんて言わない。


 あたしはこの時、ようやく異変に気付いたのだ。

 慌てて身体中を眺めると、目に入ったのは艶の足りないパサパサの毛並み。使用済みモップのような濁った灰色。

 みすぼらしく痩せた、肉球つきの手足。

 そして……ああ、言いたかないけど、見るも無惨な短い『かぎ尻尾』!


 長くてつやつやな尻尾じゃあないの。

 分かる?

 ぶちっと千切れたような、アレ。それがさらにご丁寧に、かぎ尻尾になってんのよ!!


 誰がどこから見ても、間違っても「可愛い~!」などとはお世辞にも言えない、それどころか「あらまぁ……」と言葉を濁してしまうこと確実な、残念な感じの子猫。

 それが今のあたし。

 後から思うに、『子』猫なだけまだましかもしれなかった。

 これで成猫だったりしたら、保護されて連れていかれる先は――分かるよね。


「……もしかして……志穂、ちゃん?」


 あたしのパニックをよそに、親父は何故かそう言った。

 そう! そうなんだけど、どう返事すればいいわけ?

 にゃあにゃあ騒ぐあたしを抱き上げ、親父はずりおちそうなメガネを押さえながら、しげしげと眺める。


「志穂ちゃん……。どうして、僕の大切な志穂ちゃんが、こんな……」


 親父はうっと息を詰まらせた。こころなしか、レンズ越しの目に涙まで溜まっているように見える。


 ああ、やっぱり腐っても親は親。

 自分の娘くらい見分けがつくのね。

 ごめん、親父。いつもナルシスト呼ばわりしてるあたしが悪かったし。


 あたしも思わずしゅんとなって、もらい鳴き、もとい、もらい泣きしようとしたら。


「こんな……ぶ……ぶさいくなんて……」


 前言撤回。

 あたしは速攻で猫パンチをかましてやった。


「あいたっ。志穂ちゃん、僕の顔になんてこと!」


 ふん、ナルシストめ。いつまでも勝手に騒いでろっての。


 あたしは親父の手の間からすり抜け、部屋の隅っこに丸くなって座った。どうしてこうなったか、考えようと思ったから。


 今日は何も変なモノを食べてないし、別に体調が悪いってこともなかった。ただ、昼寝をしただけで。

 昼寝が原因ってのなら、もうとっくの昔に猫になってるはず。

 ていうか、あたし、元に戻れるのかな。このまま戻れなかったらどうしよう。


 ……前向きになろうとしてるのに、どんどん気分は落ち込む一方。


「実はね、『何か』を見つけられないと、だんだん猫から人に戻れなくなっていくらしいんだ」


 いつの間にか、顔に絆創膏を貼り付けた親父が、目の前にしゃがみこんでいた。


 ふぅん。で、その何かって何よ。……てか、親父、今なんて言った!?


 あたしはがばっと身体を起こした。

 親父はあたしの心の叫びが通じたように、また喋りだす。


「志穂ちゃん、どうも母さんの血を引いちゃったみたいだね」


 何それ。そんなの聞いたことないし!


「あれ、言ったことなかったっけ?」


 ないない。聞いたことなんてない!

 あたしは首をぶんぶんと振る。

 だって親父ったら、いっつもお母さんのことになったら「ああ、愛しのメグ、どうして僕と志穂ちゃんをおいて死んでしまったんだい」なーんて、写真に向かって今どき芝居にも使わないような台詞ばかり。


 て……え?


 そこでハタとあたしは気づいた。


 母さんの血を引いてるってことは、母さんもそうだったってこと? それってつまり、母さんもあたしも、普通の人間じゃないってこと?

 写真でしか見たことないお母さんは、そりゃ日本人ではないけど、ふつーにふつーの女の人だったような……。


「母さん……メグはね、ヨーロッパの何とかっていう小さな国の出身で、その国にはいまだにそんな血を引く人がいるんだってさ。メグの父さん……つまり志穂ちゃんのお祖父さんがそのハーフなんだって。だから、メグはその血が四分の一、んで、志穂ちゃんには八分の一入ってることになるらしいんだ。八分の一だから、その特徴が出る可能性はすごく低いって思って今まで忘れてたんだけど……」


 しっかり出ちゃったね、と親父は無責任に笑う。


 とどのつまり。それって、怪しげなオカルト映画に出てくる狼男みたいなやつ? 狼じゃないあたしは、さしずめ猫女?

 ……なんか妖怪みたいでヤだ。


「さて、そうと分かったら!」


 親父はあたしを抱き上げた。


「言ったよね。『何か』を見つけなくちゃいけないって」


 掌に無造作にあたしを載せて、親父は玄関向かって歩き出す。何だか非常に、いやーな予感がするんですけど。


「悪いけど、家にいても見つからないものらしいからね」


 ちょっと待て。それって、もしかしてもしかすると……。


「じゃ、行ってらっしゃい。頑張ってねー!」


 親父はにっこりと人の良さそうな笑み──あたしに言わせりゃ詐欺師の笑み──を浮かべた。抵抗するまもなく、ぽい、と寒空の下に放り出されてしまう。


「あ、も一つ追加。最初のうちは、朝になったらとりあえず元に戻るらしいから。人の姿の間は、家に帰ってきてもいいからね」


 ガチャリと冷たい音をたてて、無情にも玄関のドアが閉まるのを、あたしはただ呆然と眺めていた。冷たい風がひげを震わせて、ようやく我に返る。

 何かを見つけろって、この姿のあたしにどうしろって言うのよ!

 かりかりと何度かドアに爪をたてても、中からは物音一つ聞こえない。その時ばかりは、親父が使い古した台詞を使い回ししたくなった。


 母さん、どーしてあたしをおいて死んじゃったのよ。せめて遺言ていうかヒントくらい残していってよね!


 いくら自前の毛皮があるとは言っても、冬の初めの夕方の風はひどく冷たい。あたしはぶるりと身震いを一つして立ち上がった。


 とにかく、人通りの多い場所に行ってみよう。親切な人が何か食べ物くれるかも。

 お腹がすいては戦はできぬっていうし。


 そして、あたしはとぼとぼと歩き出した。

 それがここ、駅前に来るまでの事情。



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