プロローグ 2
「セリアさん、ありがとうございます。……学園までの裏道を教えてくれるだけじゃなく、連れてきてくれるなんて……本当感謝してもしきれませんよ」
目の前には、巨大な門。
普段は閉まっているらしいのだが、今日は入試当日だからだろう。完全に開門され、中にたくさんの学生たちが入り始めている。
ここに来るまで、セリアさんの教えてくれた裏道が功を奏したのか、兵士に追われるどころか、見つかることすらなく、学園にたどり着くことができた。
……まあ、入試の時間の二時間も前に家を出たから、早く着きすぎて、物凄く時間余っちゃったんだけど。
「いえいえ、この程度。私が昔、ユウキ様の母君であるエリシア様によくしてもらっていたことを考えれば、当然のことですので……」
「そう、ですか……」
セリアさんの悲しそうな顔に、俺はただ返事をすることしかできなかった。
彼女は俺の母さん、エリシア・フォーサイスが処刑されるところをその目で見届けたのだ。
それが彼女にとってどれだけ辛いことだったかは、想像に難くない。
……かける言葉が見つからなかった。
「兄様、大丈夫ですか?」
心配そうな声を上げながら、慰めるようにズボンを小さく摘んでくる少女の頭を撫でる。
その少女は、シーラ。セリアさんの娘だ。ここまで来る間に随分懐かれてしまったらしい。
「大丈夫だ。シーラは優しいなー」
「えへへー!母様!ユウキ兄様に褒められちゃいましたっ!」
「よかったわねぇ、シーラ」
優しげに微笑むセリアさんと、活発な笑顔で撫でられるシーラ。
その二人の雰囲気は紛れもなく『親子』そのもので、――そしてそれはもう俺がこれから先、感じることのないものだった。
――イカンイカン、入試前だ。感傷に浸っている場合ではない。
……しっかし、セリアさんももうすっかり母親だな。メイド服を着ている彼女しか見たことがなかったから、普通の服を着ている今の彼女は、なんか新鮮だ。
それにしても、あの光景を見るとどうしても昔、よく母さんに頭を撫でられたことを思い出してしまう。
ふとセリアさんの顔を見ると。
彼女の顔はとても優しげな、そして子供をあやす笑顔で――。
――!?
「?……どうかされましたか?」
「い、いえ!……何でもありませんよ」
一瞬、セリアさんの笑顔が母さんの笑顔と重なって……見えてしまった。
「……じゃあ、俺はそろそろ行きますね。早めに行って、入試の準備をしたいですから。本当にありがとうございました」
やや早口になってしまったのを誤魔化すように、お辞儀をする。
『早めに行って入試の準備をしたい』なんていうのは、もちろん建前だ。――本当は、これ以上母さんを思い出すと泣いてしまいそうだから……。
「えー!?兄様もう行っちゃうの?やだやだ!もっとお話ししたい!」
「こら、シーラ。我が儘言わないの。ユウキ様が困ってるでしょう?」
涙目になりつつあるシーラにゆっくりと言い聞かせるセリアさん。彼女はとてもいい母親のようだ。頭ごなしに怒ったり、暴力を振るったりしない。
……シーラが王宮で生まれなくて本当に良かった。
ふとシーラの方に目を向けると、彼女はその小さな手を胸の前でギュッと握って、母親より少し明るめの緑眼を潤ませて、こちらを見ていた。
それが可愛らしくて、つい頬が綻んでしまう。
「兄様……」
行かないで、と。
そう言うシーラにセリアさんは「仕方ないわね……」なんて言いながら、俺に全部任せる気らしい。
チラリと見るともう今日の献立を考え始めて、うーうーと唸っていた。
……えー。あの人も師匠と同じで丸投げ属性持ち……?
微妙な顔をしているだろう俺。
とうとうシーラが何も言わない俺に痺れを切らしたのか、ズボンにしがみついてきた。
上目遣いで懇願してくるシーラを、彼女の願いを叶えてやりたいという気持ちを抑えに抑えて、しゃがみ込み目線を合わせ、
「シーラは可愛いな。正直俺もまだシーラとお話ししてたいよ。……でもな?お兄ちゃんこれから、大事な用事があるんだ。だから、ごめん」
「……」
俯くシーラ。
表情は……見えない。
「シーラ。俺、シーラのこと今日で好きになったよ。可愛いし、素直だし……また会いたいって思った」
「え……!?」
「だから、もう会えないなんてことはない。また次会った時に、たくさん遊ぶから。今日はお兄ちゃんの頼み、聞いてくれないか?」
「……」
シーラは少し黙った後、おもむろに顔を上げた。その顔には……笑み。少し涙目なのは、まだ完全に納得はできてないってことだろう。
「……うん、わかった。シーラ、いい子にして待ってる。だから……約束だよ?ユウキ兄様。次はいっぱいお話ししようね!」
「おう。約束だ。必ずまた会いに行く」
「……!!――兄様!私も兄様のこと大好きだよ!だから私が大きくなったら、けっこんしようね!」
うんうん、よかったよかった。シーラはなんとか納得してくれたみたいだ。大きくなったら、結婚かー。
……。
……ん?結婚?
「ユウキ様、今シーラが大きくなったら、ユウキ様と結婚すると言っていたんですが……本当ですか?」
「はい……?あっ、え?」
「もし本当なら――」
顔を伏せて、フルフルと震えているセリアさん。どうやらかなり怒っているらしい。
あれ?これまさか怒られるの?まだ、俺も理解が追いつかないんだが……。
「――ぜひ!よろしく!お願い!しますね!」
…………まさか。
まさかの母親公認!?
「いや!ちょっ、セリアさん!?……あの、シーラはまだ結婚についてどころか、恋愛についても理解してないと思うんですけど!?」
「それらについては心配いりません!私が責任を持って教えますので!……それにしても、いやーユウキ様とシーラが婚約ですか……感慨深いものです。昔、仕えていた方のご子息と、メイドである私の娘が婚約を結ぶなんて……」
ダメだ……セリアさん完全にトリップしてる……。この人昔からトリップすること多かったよな……。
それなら、シーラは……!
「えへへ……ユウキ兄様……好き……けっこん……えへへ」
こ、こっちもトリップしてるぅ!?
顔も真っ赤で頬を両手で挟んでるのは、とても可愛らしいのだが……何せ、その理由が俺との婚約……複雑すぎる。
「あ、あの……セリアさん?」
「……ユウキ様?どうかなさいましたか?――はっ!もしかしてすでに想いを寄せる相手がいらっしゃるとか……!?」
「いや、そんなことは……」
「あっ!でも、この国では一夫多妻オーケーですし……大丈夫です……!シーラは必ず説得しますから!」
「いやいやいやいや!ちょっ、話聞いてくださいよ!」
――十分後。
「すみません。取り乱しました」
「ほんとですよ……親子二人共トリップするなんて。……シーラはまだですか」
「兄様が好きって……きゃー!」
……もう何も言うまい。
「あんなにユウキ様のことを……どうしましょう。今日初めてあった男の人をこんなにも気にいるなんて。もう夫よりも好かれているのではないでしょうか。……いつもは、人見知りの激しい子なのに」
「え?そうなんですか?全くそうは見えませんでしたけど……」
「あの子、お店のおじさんとも話したことないんですよ。話しかけられても、私の後ろに隠れるばかりで……」
そう話すセリアさんは、子供を心配する母親そのものだった。
背中まである青い髪はとても綺麗で、それを耳にかける仕草を見ると、まだ現役って感じなのに……。
「そうなんですか。それなら、俺はラッキーなんですかね?」
「いえ、ユウキ様の人柄でしょう。大人びていて、とても優しい印象を受けます。エリシア様が今のユウキ様を見たらどう思われるか……――あっ、すみません!」
「いえいえ、気にしないでください。それにしても、シーラはセリアさんと同じで綺麗な青髪ですね」
ふと目に入った青。
娘であるシーラもそれと同じ青を持っている。
決して母さんの話題になりそうだったのを、無理矢理捻じ曲げたわけではない。
「あら、ユウキ様。もしかして、今私口説かれてしまいましたか?」
「いやいや、ちがいますよ?」
「私はユウキ様なら構いませんけど」
「……そういう発言は控えてください。ほら、シーラが反応した」
セリアさんを涙目で見つめるシーラに、思わず笑いが出てしまった。セリアさんもクスクスと笑う。
「ユウキ様、そろそろお時間なのでは?」
「あっ……そうでした。それでは俺はこれで。シーラまたな」
「はい!兄様、大好きです!」
二人に軽く手を振って、背を向ける。さっきよりも人が増えてきていた。あれが全員ライバルたち……。
――向かうは決戦の場だ。
「……ユウキ様!」
妙に真剣さのこもった声に足を止め、振り返る。
「セリアさん?どうかしました?」
セリアさんは一度深呼吸をして、キリッとしたメイドの頃のような表情で口を開いた。
「……次お会いした時は、大事なお話があります」
「シーラのことですか?」
結婚やらなんやらのやり取りのせいで、そう思ってしまったが、どうやら違うらしい。
セリアさんは、その長い髪を揺らしながら首を横に振った。
何だろう?何か一段と真剣味が増したような……。
「いえ……――ユウキ様の母君、エリシア様の処刑の日……あの日の真実についてです」
「っ!?」
あの日、母さんは処刑された……と、聞かされている。
しかし、まだ遺体を目で見ていない俺はどうしても信じられず、師匠から言われたこともあり、母さんの手がかりを探そうとしていた。
それが、こんな形で……。
セリアさんはあの日、処刑上にいた。
お腹もだいぶ大きくなっていたので、それが幸か不幸か出産前最後の出勤日だったのだ。……いや、彼女からしたら、不幸でしかなかっただろう。
恩人の処刑を目の前で見せられたのだから――。
しかし、実際に現場にいた人が語る……真実だ。
「真実、ですか……」
「入試前で申し訳なく思っています。……ですが、どうしても――どうしても、それだけは伝えておきたくて……!」
セリアさんは、真剣な顔を崩さない。
余程重大な何かが、あの日にはあった……おそらくそういうことだろう。
それを聞いて、俺はどう反応していいかわからなかった。
「……正直、とても気になります。あの日、何があったのか。でも……今は入試に集中したいと思います。それがたとえとても重大なことだとしても」
「……はい。それでこそユウキ様です。入試が終わって少し落ち着きましたら、手紙をくださいませんか?入試の結果も気になりますし、シーラも喜ぶと思いますので」
「わかりました、必ず。それでは、また」
セリアの家の住所が書かれた紙を受け取り、親子に背を向け、とうとう巨大な門をくぐるユウキ。
そんなユウキの背中をセリアは、とても優しげな顔で見つめていた。
――まるで、本当の母親のように。
そして、
「どうか、ユウキ様に神様のご加護があらんことを」
静かに祈りを捧げる。
隣にいるシーラも一緒になってその小さな手をあわせた。
ゆっくりとそんなシーラの頭を撫で、
(エリシア様……)
セリアが次に目を開けた時には、五年の月日を経て成長した少年の大きな背中は、もう見えなくなっていた。