第1話【少女と便利屋と遺失物】1
きっと楊貴妃がタイムスリップして来たら、こんな感じなんだろうな。
それが彼女の第一印象である。
「……そろそろ、名前を言ってもらってもいいかな」
彼女の身体から自然と滲み出る上品さとは裏腹に、常識はそこまで無いようだ。
その証拠に、さっきから一言も発しない。もう、彼女と僕が顔を合わせて一時間は経過しようとしているというのに。僕は彼女の名前も住所も年齢も、そして声すら知らない状況に置かれていた。
もう何度、この問いを投げかけただろうか。頭の中で指折り数える。……おそらく、五回は同じ質問をして、四回『無視』という形の返答をいただいている。
「……」
そして今回の回答方式も、例外なく『無視』のようだ。
陶磁器のように滑らかで正気のない肌に、無機質な瞳。汗一つ無い顔の上を、眉上で揃えられた絹のように細く黒い髪は微動だにすることなく流れている。一見、何の感情も持ち合わせていない人形のようだが、その口元には終始、笑みが張り付いている。上品な微笑み、などではない。本当に普通の笑顔なのだ。街中で見かけたなら、なんかいいことあったんだろうな! と思って、こっちまで笑顔になってしまうような笑顔。それが目の前にただ座っている少女の顔に張り付いているのだ。それがより一層、彼女の作られた人形味を引き出していることは、言うまでもないだろう。
一方、僕は晩夏の風に煽られる前髪を左手で抑え、額の汗を右手で拭うという作業を繰り返していた。拭っても拭っても流れ落ちてくる汗。顎から滴り落ちる雫。『水も滴るいい男』という言葉があるが、顔が残念な僕には当てはまらないこと。流れ落ちてくる汗もただ無駄に汚さを増幅させているだけである。
そんな僕の状態を真似るかのように、机の上に水滴を広げているペットボトルを掴む。こいつは既に冷たさとは離別したようだ。だが、乾き切って水分を欲している喉には丁度いいだろう。そんな上から目線で、液体を喉に流し込んだ。
上下する喉仏。一瞬、それに視線が集中したような錯覚に捕らわれる。
そして、すぐにそれが錯覚ではなく、目の前の人形のような少女から発せられているものだということに気づく。その視線は感情は無いものの、何か、熱い思いを感じた。
不釣り合いだ、と口の中で呟く。
それから彼女をじっと見つめる。頬に朱が差したように見えたのは、残暑が見せた幻だろうか。
「……」
「……」
二人の間に、居心地の悪い沈黙が流れる。