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朱鷺の夢  作者: 藤原建武
飼い殺された雛鳥の夢
1/8

(1)

 車窓から、見慣れた景色が過ぎ去っていく。

 春の色づいた、穏やかな山野。

 ずっとここにいると思っていた――そのことに、アンビバレントな感情がこみ上げてくる。

 都会の喧噪を離れたい、初めはそう思っていた。ここで過ごす静かな時間は、洋子の心を慰めた。同時に、きらびやかなものは何もない。このまま埋もれていく、その焦りが、今回の件を受け入れたのかもしれない。

 洋子が地方局に配属されたのは四年前。ずっと東京で育ち、その明も暗も見てきた。アナウンサーという職に就いたのは、“きらびやかさ”への憧憬だったか。

 またあの光を浴びたい。

 一度は人の目を避けた洋子は、あの脚光への憧れを、どこか捨てきれずにいた。この時から、このアンビバレントな感情はあったのかもしれない。

 入社と同時に地方局への配属。それは誰もが通る道なのだが、光から遠ざけられる思いがあった。それと同時に胸を撫で下ろす安堵。

 好奇の目を向けられる日々。そこから抜け出せる。亡霊のように、その目はつきまとってきた。それから逃げられる。

 洋子にとってその後の四年間は、まるで長い間、水中に沈められていたような、息苦しい日々から、ようやく解放された思いだった。

 局にとっても洋子は腫れ物だ。このままずっと、ここにいるのだろう。

 それは喜ばしくもあったが、禁欲の日々だった。物足りなさがつきまとう。ここで終わるのかという、漠然とした不安、焦り。

 そして安穏に慣れた精神は、あの感覚を鈍麻させ、光への憧れを強めていった。

 東京への転勤を受け入れたのは、愚かさだろう。

 電車はトンネルに入る。車窓に、間延びしたオレンジの電灯が走る。鼓膜が圧迫され、洋子の思索は途切れた。



――十年前、秋窪洋子は「佑月カンナ」という記号で、あるアイドルグループに所属していた。

 洋子の母親は、洋子を芸能人にするため、幼い頃からダンス教室に通わせ、食事の管理を行っていた。父親は学生時代はエキストラをやっていたが、今は一介の商社マンであった。残業ばかりで、家庭を顧みることはなかった。

 母親は、自身が平凡な家庭に生まれたことを呪い、自分が叶えられなかった夢を洋子に押しつけた。毎日の稽古と、がんじがらめの日々は、息苦しさを覚える暇もなく、その生活が身に染みついていた。ヒステリーな声を聞くと、体が強張る癖は、まだ残っている。

 洋子は、他の友達が満足に食事をし、学校おわりに遊んでいることを羨ましく思っていた。その羨望がいつしか、軽蔑に変わったのは、中学からだった。

 今までの努力と、才能が認められ、アイドルグループのユニットの一人として、「佑月カンナ」の記号を与えられた。

 周囲の洋子を見る目は変わり、今度は羨望を集める立場となった。それから洋子は、今まで羨んだものを、軽蔑するようになった。

 友達なんて、くだらない――

 自分の周辺にいる人間は凡人、くだらない人間ばかりだ。何も努力しないで、のうのうと生きている。そして“光”を見れば、媚びへつらう。

 もう何も、羨ましく思えなかった。



 久しぶりの東京の空気に、妙に安堵感を覚えた。

 昔は鬱陶しかった人混みも、懐かしく感じる。

 この街にはこんなにも人が溢れている。その中で、光を浴びるのは一握りだ。

 昨日までの不安は、すべて晴れた。

 ただ東京での最初の仕事は、ニュースの原稿を仕上げることだった。

 最初はそんなものだろう。上がってくる原稿に目を通し、編集する。番組のディレクターもいるが、書くのと読むのとでは違う。声で伝えるテレビは、読む人のために書かなければならない。

 そうして雑用を一ヶ月ほどこなした。次に回ってきたのは、隔週での、サブアナウンサーだった。ほんの三十分ほどの番組で、五分顔を出すか、ただ原稿を読むだけだった。

 ただ元アイドルで、顔立ちも発音もよく、局内で重宝がられるようになった。三ヶ月後、新番組のリポーターに指名された。

 その番組のディレクターは藤崎弘海といい、三十代半ば。柔道をやっていたらしく、背はそれほど高くないが、がっしりとした体格だった。

 藤崎は、顎髭に縁取られた顔を崩して、

「さっそく番組の打ち合わせをしましょう」

 趣味は山登りの彼は、動物好きが高じ、今回の新番組では、絶滅寸前の動物を特集することになっていた。

「秋窪さん、動物好きですか?」

「好きですよ。よく意外がられるんですが、爬虫類とか好きなんですよね」

「おお! 実は僕、ヘビ飼ってるんですよ。爬虫類って冷血動物だから、カロリーをそんなに消費しないんですよね。餌やりが楽で助かります」

 藤崎は一通り、ヘビについて熱弁した後、

「今回の番組は、トキを特集しようと思っています」

「えっ」

 思わず間の抜けた声が出てしまった。

「トキって絶滅したんじゃ」

「はい。日本のトキは。今いるのは中国産のトキで、人工繁殖に成功しています。佐渡では野生化させるプロジェクトが行われています」

「佐渡まで行くんですか?」

 それに藤崎は慌てて手を振る。

「いえ。トキの映像は過去のを引っ張ってきて、秋窪さんには、学者さんや協会の人と対談してもらい、それを中心に番組をつくりたいと思ってます」

「すごい、本格的ですね」

「いやぁ」

 藤崎は照れたように頭をかく。

「僕としては、秋窪さんに出演してもらえて、すごく光栄なんですよ」

「そんな、おおげさですよ」

 そこで洋子の頬は強張った。

「まさかあの、“佑月カンナ”と番組がつくれるなんて」

 藤崎は資料をまとめて立ち上がる。

「また後日打ち合わせしましょう。具体的な話をまとめてきます」

 微笑む洋子に、藤崎はお辞儀した。

 張りついた笑顔の仮面の下で、洋子は叫びを上げていた。

 恐怖と絶望の。



――その行為に罪悪感はなかった。誰かがやっているからとか、そういった理由ではない。大したことではない、ということと、自分が強くなった気がするからだった。

 初めは先輩に勧められた。二つ年上で、ユニットのリーダー格だった。

 メンソ-ルのタバコをくわえる姿は格好良く、洋子は憧れた。

「あんたも吸ってみる?」

 好奇心から一本もらう。先輩がライターで火を点けてくれた。

 見よう見まねで煙を吸い込む。

「けほっけほっ」

 むせる。それに先輩は大笑いした。

「私でも肺にいれないで、ふかしてるだけだよ」

 洋子は言われた通りにした。ここで思ったのは、こんなことに意味があるのだろうか、ということだった。タバコはファッションなどというが、臭いだけだった。

 それからしばらく吸うことはなかった。

 高校生になった頃、母親と喧嘩した。母親が洋子の稼いだお金を、好き勝手に使っていることが原因だった。とうの洋子には、月に五千円の小遣いしかなかった。喧嘩の末、家出し、一人暮らしをしている友人の家に転がり込む。

 苛立ちのおさまらない洋子は、衝動的に自販機でタバコを買い、常習するようになった。それで何かが変わるわけではないが、自分の中で、気分を転換するスイッチになった。

 初めはふかす程度だったが、グループ内でのトラブルや、人間関係の摩擦から、苛立ちの深い時は、肺にまで吸い込むようになった。先輩は「やにくら」とか言っていたが、頭がくらくらし、気分が悪くなる。だが目をつぶった時の、体が落下していくような感覚。それが快感になってきた。

 次第に、外でも堂々と吸うようになった。喫茶店やレストランで吸う程度だったが、衆目の面前で、歩きタバコまがいのこともするようになった。

 そしてそこを、警察官に補導され、事務所に発覚することになった。そこまでは良かったが、週刊誌に喫煙している姿を掲載され、洋子は社会的に抹殺された。

 もともと風当たりの強い立場にあった洋子は、謹慎処分の中、脱退を余儀なくされた。



 その後の洋子にも、「佑月カンナ」の記号はつきまとうことになった。

 特にアイドルであることを鼻にかけていた高校や地元では、その落ちぶれたさまに、嘲笑の対象となった。

 大学になると、本名を名乗っていることから、気づかない人もいた。それでもすぐに誰かが気づき、噂は広まった。むしろそれで怖いものがなくなり、開き直ったというのもあるが、周囲の目の奥にある、好奇と嘲りの色は消えなかった。

 地方の四年間は、気づく人がいても、取り立てて話題にならなかった。それは息苦しい日々からの解放であったが、洋子の中の自負心が、それを受け入れることを拒んだ。

 凡人との馴れ合い。笑顔で対等に振る舞うけれど、染みついた軽蔑の意識は消えない。

 そしてこのまま埋もれていくよりかはと、東京に来た。もう一度、脚光を浴びるために。

 それもすぐに、壊れてしまいそうだったが。といっても、週刊誌が騒ぎ立てるのも時間の問題だし、ほとんどの人が気づいているだろう。

 恐れているのは、「佑月カンナ」の記号がつきまとうことだった。

 それからすぐ、藤崎と打ち合わせをすることになる。

 内心の不安と恐怖とは別に、笑顔の仮面をかぶることは容易い。そうして生きてきたのだから。具体的な企画をまとめてきた藤崎と、向かい合って座る。

「お忙しいところすみません。撮影の日を決めたいので、打ち合わせをと」

「よろしくお願いします」

「まずトキの研究者の方と――」

 藤崎はリストの名前を読み上げる。

 大学教授、保護協会職員、それらの人たちの予定に、洋子は合わせる。こちらの番組製作に携わっている間、ニュース番組の方から外れることになっているので、予定を合わせるのは簡単だった。

「実は僕、秋窪さんのファンだったんですよ」

「ありがとうございます」

「本当、引退したのはショックでした。でもこうして一緒に仕事できるのが嬉しいです。いや、秋窪さんにしたら不満かもしれませんが」

「そんなことないですよ」

「今度カラオケ行きません? 是非、秋窪さんの歌声を聞かせて欲しいです」

「いいですよ」

 それで黙ってくれるのなら。


構想はできあがっているのですが、正直恋愛モノから脱線する自信がある。

とりあえず勢いだけで書ききりたいと思います。

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