性悪勇者御一行
世界が白く弾けた。
次に目を開けたとき、俺は巨大な謁見の間の中央に立っていた。磨き抜かれた床、赤い絨毯、左右に並ぶ甲冑の兵士たち。そして玉座には、金糸のローブをまとった王が座していた。
「ようこそ、異界の勇者よ」
王の声は、よく響いた。
俺は何が起きたのか理解できず、ただ立ち尽くした。だが、その場の誰もが俺を見ていた。畏れと期待の入り混じった視線。まるで、映画の主人公にでもなった気分だった。
「魔王はこの世界を脅かしている。どうか力を貸してほしい」
王が言い終えるより早く、左右に控えていた者たちが一斉に膝をついた。
「勇者様、あなた様こそ我らの希望です」
「そのお姿、まさに伝承そのもの……」
「きっとあなたなら成し遂げられる」
「私たちは全力でお支えします」
美しい女魔術師、寡黙そうな剣士、快活な弓手、神官風の少女。皆が皆、眩しいものを見るような目で俺を見上げていた。
胸が熱くなった。
昨日まで、俺はどこにでもいる平凡な学生だった。誰からも特別扱いされず、何かを期待されることもなかった。なのに今、この世界では違う。俺は勇者で、選ばれた存在で、皆に必要とされている。
それは、あまりにも甘美だった。
最初は遠慮していた。けれど旅が始まり、魔物をいくつか退け、村人たちから礼賛を浴びるたびに、その甘さは俺の中に深く沈んでいった。
「勇者様が先にお休みください」
「食事は一番良いところをどうぞ」
「あなたが決めてくだされば、それで」
誰も逆らわない。誰も咎めない。少し強い言い方をしても、皆は笑って許した。
だから、俺は勘違いした。
これは俺の力なのだと。
俺が偉いから、皆が従うのだと。
「遅いんだよ、支度が」
「おい剣士、前衛なんだからもっとちゃんと守れ」
「神官、お前回復遅かっただろ。あやうく死ぬところだったぞ」
「弓手、黙って言う通りにしてろ」
苛立てば怒鳴った。疲れれば荷物を押し付けた。宿では一番広い部屋を要求し、食事に文句を言い、村人の礼が足りないと鼻で笑った。
それでも仲間たちは俺を持ち上げた。
「勇者様はお強いですから」
「大役を背負っておられるのです、当然です」
「私たちはあなたのためにいます」
その言葉を聞くたび、俺はますます傲慢になった。
だが旅は、称賛だけでは終わらなかった。
北の渓谷で、俺たちは飛竜の群れに襲われた。最初の一撃で馬車が砕け、荷は谷へ落ちた。剣士が翼を斬り払い、弓手が目を射抜き、魔術師が焼き払い、神官が血を吐きながら癒やした。俺は勇者の剣を握っていたが、足がすくみ、まともに動けなかった。
それでも皆は俺を守った。
「勇者様、下がって!」
「今は生き延びることを!」
「あなたを失うわけにはいきません!」
俺をかばって、剣士は肩を裂かれた。
神官は魔力切れで倒れた。
弓手は矢を受けて膝をついた。
その夜、洞窟で焚き火を囲みながら、俺は初めて何も言えなかった。
彼らがいなければ、俺はとっくに死んでいた。
しかも、これまで散々見下してきた連中に助けられたのだ。
剣士の肩に包帯を巻く神官の手が震えているのを見て、胸の奥に重い石のようなものが落ちた。
「……悪かった」
ぽつりと漏れた声に、誰も反応しなかった。
聞こえなかったのか、聞こえないふりをしたのかは分からない。
それから少しずつ、俺は変わった。
まず、命令口調をやめた。
荷物を自分でも持った。
野営の準備を手伝い、見張りも交代した。
怪我をした剣士に礼を言い、神官に回復のたび頭を下げ、弓手の忠告を素直に聞いた。魔術師の作戦に口を挟まず、失敗したときは自分の非を認めた。
最初、仲間たちは戸惑っていた。
「どうかなさいましたか、勇者様」
「……別に」
「熱でもあるのか?」
剣士のその一言に、思わず笑ってしまった。皆が怪訝な顔をし、少しして弓手が吹き出した。
それが、旅で初めての自然な笑いだった気がする。
苦難は続いた。雪山では食料が尽き、古城では呪いに侵され、森では道に迷った。けれど今度は、俺も皆のために剣を振るった。仲間の癖や強みを覚え、誰が何を苦手としているか知った。戦いの前には声をかけ、終われば無事を確かめた。
不思議なことに、その頃になると、以前よりも皆の表情が柔らかく見える瞬間が増えた気がした。
俺は勝手に、そう思っていた。
自分はようやく本当の仲間になれたのだと。
そしてついに、魔王城へ辿り着いた。
死闘だった。
黒炎に焼かれ、魔獣に裂かれ、何度も倒れかけた。剣士の鎧は砕け、弓手の指は血にまみれ、魔術師の唇は青白く、神官の祈りは嗄れていた。それでも最後、俺は勇者の剣を魔王の胸に突き立てた。
世界を覆っていた瘴気が晴れ、朝日のような光が城を貫いた。
勝ったのだ。
帰還の道中、各地で歓待を受けた。王都では鐘が鳴り、花びらが舞った。王は涙を浮かべ、民衆は勇者の名を叫んだ。
その夜、王城では盛大な祝宴が開かれた。
「今宵は勇者殿の勝利を祝う宴だ」
金の杯が配られ、料理が並び、音楽が流れる。俺は仲間たちの顔を見回した。旅の始まりとは違う、疲労と達成感を刻んだ顔。俺は胸が熱くなった。
「みんな」
少し酔った勢いもあって、俺は席を立った。
「……今まで、本当にありがとう」
ざわめきが静まる。
「最初の俺は、どうしようもなく最低だった。お前たちに偉そうにして、見下して、何も分かってなかった。でも、ここまで来られたのは……俺一人の力じゃない。お前たちがいたからだ。本当に感謝してる」
言葉にすると、胸の奥がじんと痛んだ。
もっと早く言うべきだった。
もっとちゃんと謝るべきだった。
それでも、今なら届く気がした。
仲間たちは俺を見ていた。
だが誰も笑わなかった。
剣士は無表情で、弓手は頬杖をつき、魔術師は冷えた目をしていた。神官だけが、わずかにまぶたを伏せた。
違和感が走った。
「……どうした?」
王が杯を掲げたまま、ゆっくり口角を上げた。
「ようやく、少しは人らしくなったか」
喉が、ひどく熱い。
いや、違う。熱いのではない。焼けるように痛いのだ。息を吸おうとしても、肺にうまく空気が入らない。手から杯が落ち、銀の音を立てて床を転がった。
「な……」
膝が折れた。
周囲がどよめくかと思った。しかし、誰も立たない。兵士も、給仕も、王も、ただ静かにこちらを見下ろしていた。
「勇者様」
魔術師がそう呼んだ。
旅のあいだ、何度も聞いた呼び名だった。
けれどその声音には、一片の敬意もなかった。
「最初から、そうしていれば少しは迷いもあったかもしれませんね」
「どう、いう……」
喉から血が込み上げる。
王は椅子にもたれ、退屈そうに言った。
「異界より召喚された勇者は、往々にして扱いが難しい。故郷を失った不安、選ばれた優越感、力を手にした万能感……それらを上手く満たしてやれば、実によく働く」
理解が追いつかない。
いや、本当は言葉の意味は分かっていた。ただ、理解したくなかった。
「仲間たちには命じておいた。お前を気分良くさせろ、従え、讃えろ、欲しいものは与えろ、と」
王の指が、軽く鳴った。
「お前が仲間に執着し、仲間のためなら戦うようになればなお良い。もっとも、当初は自分のためにしか動かぬ俗物に見えたのでな。扱いやすくて助かった」
弓手が鼻で笑った。
「実際、ちょろかったよ。少し褒めればすぐその気になるし」
「命令に従うだけで偉くなった気分になってたものね」と魔術師。
「途中で殊勝になったのは意外だったがな」と剣士。
「……」神官は何も言わなかった。
俺は這うようにして顔を上げた。
「でも……お前たち……一緒に……」
「一緒に戦った?」剣士が冷たく言った。「ああ、戦ったさ。王命だからな」
「助けたのも、本当に死なれたら困るから」と弓手。
「魔王を倒すまでは、勇者を機嫌よく生かしておく必要がありましたもの」と魔術師。
胃が裏返るようだった。
旅の記憶が、次々と別の意味に変わっていく。
優しさも、賞賛も、笑顔も。
全部、作り物だったのか。
俺が感謝を覚えたあの夜も、
仲間になれたと思ったあの瞬間も、
全部、俺一人の勘違いだったのか。
神官がようやく口を開いた。
「……あなたが最後の頃、本当に変わったのは分かっていました」
希望の欠片みたいなものが、胸に灯った。
だが次の言葉で、それも消えた。
「でも、遅すぎました」
王が立ち上がる。
「魔王は討たれた。民衆には英雄譚が残る。そして勇者は、祝宴の最中に急死する。激戦の傷がたたった、あるいは異界の身体がこの世界に耐えられなかった。実に美しい結末ではないか」
誰かが笑った。
誰の声か分からなかった。
視界が暗く狭まっていく。
床にこぼれた赤黒い液体が、自分のものだと気づくのに時間がかかった。
仲間たちを見る。
剣士は腕を組み、弓手はつまらなそうに視線を逸らし、魔術師は冷え切った目でこちらを見ていた。神官だけが、ほんのわずかに唇を噛んでいた。
けれど、誰も手を差し伸べなかった。
最後に俺は、あの旅の始まりを思い出した。
玉座の前で膝をつかれ、希望だと持ち上げられた、あの瞬間。
あれが間違いだったのか。
それとも、調子に乗って見下した俺が全部悪かったのか。
たぶん、そのどちらもなのだろう。
もっと早く気づいていれば。
もっと早く、感謝を伝えていれば。
もっと早く、本当の仲間になれていれば。
そんなもの、今さら何の意味もない。
冷たい床に頬が触れる。
遠くで、楽団の音が続いていた。
祝宴はまだ終わらないらしい。
霞む視界の中で見えたのは、仲間たちの冷めた瞳だった。
その目には、憎しみすらなかった。
ただ、役目を終えた道具を見るような、静かな無関心だけがあった。
俺は誰にも看取られず、
英雄として称えられた夜、
ひどくみじめに死んだ。




