6 牙狐
胃の底に残った嫌な重さは、寝ても完全には消えなかった。
目を覚ますたびに、喉の奥が酸っぱくなる。
吐けば楽になるのは分かっている。けれど吐いたところで、昨日飲み込んだものが戻るわけじゃない。むしろ体力が削れる。
……無駄だ。
沢の水を少しずつ飲み、腹の中を冷ましてから、鑑定眼を開いた。
自分
HP 10/10
創生容量(C) 10/12
帯域(B) 余裕:低
状態:軽度疲労(精神)→ 低
“精神”の疲労表示が薄れている。
完全には消えていないが、動ける。
昨日の成果を確認する。
意識を向けると、視界の端に保存枠が浮かんだ。
《複写:牙狐(保存)》
《複写枠:1/1》
枠が一つ。
今はこれしか持てない。入れ替えるには、また完全摂取。
つまりリライトは乱用できない。使うたびに代償がある。
次は検証だ。
リライトは「俺自身」を強くしない。
“生成物”に適用される、と表示されていた。
なら、やることは単純。
牙狐を作る。
俺は《魔物生成》を意識した。
腹の奥に熱が灯る。
形を思い描く。だが今回は、昨日までと違う。俺が決めるのは“骨格と大きさ”だけで、その上に“保存した情報”を載せる感覚がある。
――複写を適用。
短い眩暈。
熱が、いつもより一段深いところから削れる。
影が滲み、土の上に四足の輪郭が立ち上がった。
狐に似た体格。
肩が厚い。牙が長い。目が冷たい。
生々しい。
俺は一歩だけ距離を取って鑑定眼を向けた。
対象:複写牙狐(生成)
HP 14/14
攻 5 防 2 敏 7
特性:牙/跳躍
危険度:中 誤差:低
所属:生成 生成補正:+1(クリエイトLv3)
……同じだ。
少なくとも基礎性能は牙狐と同等。
生成補正が+1。つまり“元より少し良い”。ここはクリエイトLvが効いている。
俺は喉の奥が乾くのを感じた。
槍一本の自分と、敏捷7の牙狐。
戦い方の幅が変わる。明確に。
だが、ここで浮かれるのは危険だ。
生成した瞬間の消費が重い。今の俺の余力を確認する。
自分
創生容量(C) 4/12
帯域(B) 余裕:低
……一体で6消費。
鼠よりはるかに重い。
当然だ。性能が違う。
帯域の負荷も体感で重い。頭の後ろが熱い。視界がわずかに狭まる。
今の帯域“低”で、牙狐を複数運用するのは無理だ。
つまり――
現時点の最適解は「一体を確実に運用して、確実に勝つ」だ。
俺は牙狐に意図を投げた。
――周囲を嗅げ。敵を探せ。見つけたら止まれ。俺を待て。
牙狐は静かに動き出した。
鼠と違う。足音が小さい。動きが滑らかで、森の中に溶ける。
そして、情報が戻ってくる。
匂い。
距離。
小さな輪郭。
鼠の粗い情報とは質が違う。
これは斥候というより、狩人の感覚だ。
……便利すぎる。
便利すぎるものは、必ず代償がある。
代償はもう分かっている。消費と、精神の削れ。
俺は牙狐から意識を切り離すように、強く瞬きをした。
帯域が低いと、繋がっているだけで鈍る。必要なときだけでいい。
牙狐が止まった。
前方、藪の影。
そこに獲物がいる。
俺は息を殺し、ゆっくり近づく。
対象:角兎(小魔)
HP 9/9
攻 3 防 1 敏 8
特性:突進
危険度:中 誤差:低
速い。敏捷8。俺より遥かに上。
でも攻防は低い。単独。狩れる。
……牙狐で。
俺は牙狐に意図を投げた。
――噛め。脚を。
牙狐が跳んだ。
角兎が突進する。速い。
だが牙狐の方が“戦い慣れている”動きだ。真正面に受けない。斜めから入る。
牙が脚に刺さる。
角兎が転ぶ。
そこに俺は槍を作る――と言いたいが、今のCは4。槍一本で1。問題はない。
ただし生成中の一瞬が危険だ。
俺は角兎がもがく間に短槍を生成し、二歩で距離を詰めた。
刺す。
急所を狙わない。動きを止める。終わらせる。
角兎の動きが止まった。
《討伐:経験値 +2》
《魔物生成 熟練 +2》
《魔物複写 熟練 +1》
……リライトにも入るのか。
いや、当然か。
牙狐を使って倒した。なら“複写の運用”にも熟練が入っていい。
俺は角兎の死体から離れた。血は呼ぶ。
食事は必要最低限だけ切り取る。内臓は触らない。
その作業をしながら、俺は改めて理解する。
俺は弱い。
本体は弱いままだ。
だが、弱いままでも勝ちを作れる。
作れるだけの数――創生容量。
扱えるだけの幅――帯域。
そして、作る質を変える――リライト。
全部が揃えば、俺はこの森で“狩る側”に立てる。
……問題は。
この先も、同じ難易度で続くわけじゃないことだ。
奥には、あの腐蝕する霧がある。
その向こうには、鑑定が埋まる“致命”がいる。
そこへ行くかどうかは、今決めない。
決める材料が足りない。
俺は牙狐に戻れと命じ、繋がった意識を切った。
頭が少しだけ軽くなる。
今日の狩りは、まだできる。
だが欲張らない。




