第9章 ベリスティアの攻防Ⅷ ~ 赤い魔眼と赤い複眼
焦土の陰で、薄い笑い声が響いた。
蜘蛛の魔人にして、赤の宰相直属部隊ヴァラル旅団団長メルケス。
複眼は毒のような光を宿し、自分の分身である蜘蛛の魔蟲の目を通して覗いていた魔人は、胸郭の奥から響く“軋むような甘さ”を帯びた息を漏らした。
「ふふ……英雄種のお二人さん。よく戦ってくれたわね。こんなに“仕留めやすく”仕上げてくれるなんて……最高じゃない」
~本文より
森を裂いた轟音が、ようやく風の奥に溶けていった。
焦げた樹皮は剥がれ、地面は雷の刃で抉られ、蒸気のような炎の余韻が焦土を漂う。
その中心に、守護剣聖オルクス・フルミニスは静かに立っていた。
魔剣アシュラムは地に突き立ち、老兵の手は震えている。
勝利の気配はそこにあった。
だが、その顔を覆う影は、敗北よりも深い重さを宿していた。
対するもう一人の英雄――王狼ロド・グリムは、胸を抉られて深手を負い、片膝をついていた。自らの血を滴らせて、辺りを朱に染めていた。
荒い息を吐く獣王の、その獣眼の奥には、なお燃える闘志が残っているが、その身体は、もう限界をとうに過ぎていた。
「……見事だ……オルクス殿……私は……ここまで、か……」
「ロド殿。何も申すな。其方が背負ってきた思いは知っておるつもりじゃ」
オルクスは静かに言った。
だがロドは、弱い笑みを浮かべて首を振った。
「守るべきものが……あるのだ……裏切り者と罵られようとも……構わぬ……だが……未来だけは……獣人の子らの未来だけは……守らねば……オルクス殿……生ける者の……務めを……私は……」
その言葉は、風に散るように途切れた。
オルクスは周囲の気配を警戒しつつ、ロドのもとへ歩み寄る。
だが、そのやり取りさえ、すでに別の影に観測されていた。
焦土の陰で、薄い笑い声が響いた。
蜘蛛の魔人にして、赤の宰相直属部隊ヴァラル旅団団長メルケス。
複眼は毒のような光を宿し、自分の分身である蜘蛛の魔蟲の目を通して覗いていた魔人は、胸郭の奥から響く“軋むような甘さ”を帯びた息を漏らした。
「ふふ……英雄種のお二人さん。よく戦ってくれたわね。こんなに“仕留めやすく”仕上げてくれるなんて……最高じゃない」
メルケスの下半身—— 巨大な蜘蛛の脚から伸びる魔導機械が、色彩を帯びて震え、各部隊へ命令を送り込んでいく。
「ヴァラル旅団、展開開始。攻撃に移るわよ。『リミナ・マキナ』の実戦試験を始めましょう。イザベラ様も……アラン卿もお喜びになるわ」
猫なで声の奥には、露骨な殺意がこびりついていた。
その号令とともに、機械化獣人兵が赤い複眼を輝かせて前進を始める。
行軍は、静かでありながら森を圧迫する異様な重さを帯びていた。
魔眼部隊隊長ゼイロスは赤眼を輝かせながら、メルケスの動向を見据えていた。
進軍を正確に捉えて、その内容を確認すべく喉輪で問い合わせる。
「ヴァルタ、状況は?」
(……蜘蛛型魔人ヴァラル旅団。前衛六十、随伴の機械化兵百以上……予定経路を無視し、こちらへ直進中。隊長……これは)
「約束を破ったか。……やはり“使い魔の類”には誇りも契約も通じぬらしい」
(怒気反応の上昇を感知。抑制を行いましょうか?)
「不要だ。むしろ“怒り”は都合がいい。ロド閣下の戦いを汚す者は、きっちり排除してやる」
ゼイロスは立ち上がり、夜の闇で赤眼を光らせた。
「ヴァルタ。 アルーザを開放だ。『蟲』を駆逐する。全開で正面突破だ」
森の奥から、鉄の脚音を波のように響かせ、機械化獣人兵の群れが進軍してくる。
ゼイロスが、全身から殺気を立ち昇らせ、その群れの行く手を遮り立ちはだかった。
普段冷静なゼイロスからは見られない、強い殺気であった。
機械化獣人兵の群れの中心――蜘蛛の魔人メルケスが、ゼイロスに気づいて、自分の乗る魔導機指揮車の上で四脚を踏み鳴らした。
「ゼイロスさん。言ったでしょう? ロド様がどうなろうと、私たちは『掃討』を遂行すると。だから—— どきなさい」
その声音は柔らかいが、毒そのものだった。
ゼイロスはゆっくりと進みながら、赤眼を細めた。
「ベルセクオール第七部隊は、ロド閣下の戦いを守るためにここにいる。皇帝陛下の勅許もある。誰であっても邪魔はさせない。貴様らの好きには、絶対にさせん」
「ふぅん……じゃあ排除、ね。さようなら」
軽い声音と同時、機械化獣人兵が射撃を開始。警告もなく赤い魔導弾の雨が森を焼き払いながら降り注ぐ。
しかしゼイロスは、赤眼を輝かせ、弾幕の間をすり抜けた。
「アルーザ!」
叫びが森に轟く。
「応」
次の瞬間、樹々が薙ぎ倒され吹き飛び、空気が爆ぜた。
巨体の獣人—— コルナス・ギガンシュ族アルーザが、魔法陣を踏み砕き、凄まじい加速で突進した。
ぶちかましの強烈な一撃。
見えない衝撃波が奔り、前衛の機械化狼兵と青猪兵の半数を“爆散”させた。
金属と血飛沫の雨が舞い、辺りが鉄の匂いに覆われる。
「ぐうおおおおおッ!!」
アルーザは吠えながら、さらに肩部の魔導砲を連射する。
神獣と渡り合うために造られた生体魔導兵器『ビオメカヌム』、帝国の知識を集めて作られた意思を持つ破壊装置そのものが、森の形を変えながら敵陣を砕いていく。
ゼイロスは赤眼を細め、ただ一言だけ呟いた。
「ロド閣下の戦場に、蟲は要らん! セリオ。思い切りやれ」
「いいんですね……知りませんよ」
幽霊猫族は自分の力を発揮することを余り好まない。
闇に溶けその中で狩りを始めると種族の本能である残虐性が目覚めてしまうからだ。
光がない所全ては間合いだ。その姿は、夜の闇そのものが蠢き襲いかかる悪夢であった。
巨大なクロヒョウのような影が走り、触れた部分を消失させる闇の爪で切り裂き、影矢で装甲ごと射貫く。
ヴァラル旅団の中衛、重砲兵隊の大型獣人たちは成すすべもなく、首を落とされあるいは躰を引き裂かれ、次々斃されていた。
自軍の損害が大きくなっているのに、それでも、メルケスは笑っていた。
「あら……強いじゃない。でも――たった四人で、止められると思って?」
ゼイロスは赤い魔眼を輝かせながら、
「止めるつもり……などない」
低く唸るように、断言した。
「—— 止める」
赤い魔眼と、赤い複眼。
英雄の戦場を巡り、二つの異形の視線が夜の焦土で激突する。
次回、ベルセクオール部隊と蜘蛛の魔人との闘いを描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
面白く読んでもらえるようしっかりと書いていきます。




