第9章 ベリスティアの攻防Ⅶ ~ 海獣の顎 マルッカ
マルッカが片手を上げて詠唱した。
「海は忘れぬ。沈んだ命も、流れた血も。すべて潮に還る前に顎で導く我が欲する。絶えることのない思いに応え、竜麟船『リュミエール・ドラコニカ』よ。我が声を聞け」
その瞬間、海面が低く唸り、波が二つに割れた。
青白い光が水中から立ち上がり、海の底へと続く回廊が姿を現す。
海がうねり、轟音を上げて龍鱗船が輝きながら現れた。
西海竜王の鱗でできた、海の中にあっては何物も傷つけることが適わない、神代の船。
~本文より
「ジェルヴィス……大きな花火を上げたねえ……ドレッドフィン隊としちゃあ、最高で最後の花道じゃないか。ホント……アンタは大した男だよ」
マルッカは対岸で立ち上る火柱に目を細めた。
黒煙が夜空に昇り、海面に映るその赤が、まるで“逆さの太陽”のようだった。
爆炎の光が波を照らし、船の残骸が流木のように漂う。
耳に届くのは、海蛇龍エテルナの力による轟々とした渦潮の音と、燃え上がる帝国の補給倉庫群と砕けた艦の鉄が悲鳴を上げる音。様々な破壊の音が重なって港自体が悲鳴をあげていた。
それでも、マルッカの唇には静かな満足の笑みが浮かんでいる。
その背後、潮の匂いを切り裂くように、荒い足音が近づく。
ルルリアだった。
髪に煤をつけ、肩で息をしながらも、その両腕にはリシュタ家の子供たちをしっかりと抱えている。
後ろからライルも続き、ルルリアは警戒の目であたりを見渡した。
その姿を確認すると、マルッカは静かに振り返った。
「遅かったじゃないか。……無事で何よりだねぇ」
「マルッカさんっ! ……ジェルヴィスたちは……?」
ルルリアの声には、息を飲むような焦りと、 聞きたくない答えを恐れる気配が滲んでいた。
マルッカは一瞬だけその視線を受け止め、ゆっくりと首を振った。
そして、空を仰ぐ。
「海の男どもは、海に還ったんだろう。……あいつらしいさ。派手で、意地っ張りで、誰よりも仲間思いで……酒と海を愛した気持ちのいい男たちさ」
ルルリアは唇を噛み、泣きそうになるのをこらえる。
ノエルが彼女の腕の中で目を覚まし、か細い声で尋ねた。
「……リミナお姉ちゃんのお友達? 帰ってこないの?」
ルルリアは一瞬言葉を詰まらせ、それでも微笑んで答えた。
「ううん。帰ってくるよ。……逞しい男たちだから、海が静かになったら、きっとね」
その言葉に、マルッカの紅い瞳が一瞬だけ優しく光る。
だがすぐに顔を引き締め、遠くの海を指さした。
「泣いている暇はないよ、坊やたち。あの子はまだ戦っている」
マルッカの視線の先には、赤と青の光が激しく交錯していた。
紅は帝国の魔導機兵の砲火。蒼は、ルミナリスの放つエーテルの防御壁の輝き。
ルミナリスは一人、敵の目を引き付けていた。
宙に舞い上がりながら杖を振るい、魔導弾を受け流していた。その姿はまるで“光の幻”。
栄光の星の杖が放つ蒼い輝きが、帝国の探知網を狂わせ、ルミナリスの放つ命令機能に、魔導機兵は照準を次々に誤らせていく。
「ルミィ…………!」
ルミナリスの大粒の涙を思い出し、ルルリアは小さく吐息を漏らした。
どこまでも冷静で頭が回り、アルゲントルム人は感情を持ち合わせていないと思っていた。
だが……実際は、ただ心の動きに気づかないふりをしていただけの少女だった。
純真無垢で他人を助けるため、正しいと思うことに突き進む、実は泣き虫の魔法使い。
アタシは—— どうしたいんだ? ねえ、ルリリア……
そんな思いを知ってか知らずか、マルッカは腕を組み、低く呟く。
「誰も見つけられない海の闇の中でも、自ら光を放つそんな娘だね。だけど……ね」
マルッカは顎をしゃくって、射しはじめた日の光が告げる夜明けを見せつけて、さらに静かに言葉を継ぐ。
「灯は自らを燃やして光を放ち……いずれ燃え尽きる。あの娘が時間を稼いでいるうちに、さっさと行くよ」
ルルリアは唇をかみながら決然と頷き、子供たちの手を握った。
「……マルッカさん、案内して。竜麟船のところまで!」
マルッカは優しいまなざしのまま、海風で揺れる火の粉を払いのけると、足元の岩を蹴った。
「よし。海の底へ案内してやる。“潮が変わる”のは今だけだ。ついてきな!」
マルッカが片手を上げて詠唱した。
「海は忘れぬ。沈んだ命も、流れた血も。すべて潮に還る前に顎で導く我が欲する。絶えることのない思いに応え、竜麟船『リュミエール・ドラコニカ』よ。我が声を聞け」
その瞬間、海面が低く唸り、波が二つに割れた。
青白い光が水中から立ち上がり、海の底へと続く回廊が姿を現す。
海がうねり、轟音を上げて龍鱗船が輝きながら現れた。
西海竜王の鱗でできた、海の中にあっては何物も傷つけることが適わない、神代の船。
ルルリアはエルとノエル、ライルの手を引き、龍鱗船へと導いた。
乗り込もうとしたとき、ルミナリスの蒼い閃光が、遠くでひときわ強く瞬く。
ルルリアは一瞬立ち止まり、その光に見入ると、マルッカへ振り返って穏やかに告げた。
「マルッカ様! 子供たちを—— お願いしてもよろしいでしょうか?」
その声は海風に乗り、優しく耳へと届いて、マルッカは一瞬、目を閉じ、静かに微笑んだ。
その背後で、帝国の魔導艦が轟音とともに崩れ落ちる。
海の中を巨大な影が鳴き声を上げながら横切った。
「うるさいね。今いいところなんだ。ちょっとぐらい静かにできなのかい?」
マルッカは海の影へと吐き捨てるように伝えると、ルルリアをやさしく見下ろす。
ノエルの手にある奇跡の花が、薄く輝きを放った。
「アマトリスフローラ……。生命の女神は親戚みたいなモンだからねぇ。オルハゼルまでされて、頼まれちまったら断れない。でも、お嬢ちゃん。本当にいいのかい?」
蒼と紅が交わる海の上で、光の翼のような炎が、夜空に散った。
ルルリアは強い決意とは裏腹に、明るい笑顔を浮かべた。
「ルミィの背中を守るって約束しちゃったし、あの子—— 意外に泣き虫なんです。だから傍に居てあげないと……ヴァンセイルの呪いも怖いですし」
「そうかい……潮の流れの行き着く先が、勇士の先を導きますよう……アタシが祈るんだ。死ぬんじゃないよ」
「はい。いつか必ず二人揃って、お礼に伺うので……ああ、オルクスおじいちゃんと三人で……」
「あいよ。ほら受け取りな」
マルッカはルルリアへ翡翠色の巻貝の貝殻を手渡して、その額に指をあてて穏やかに告げた。
「レッディムス・ウィータム、マレ・タケアト、命を還し、海よ、鎮まれ だ。頭の中に刻んだこの呪文を唱えて、海に投げ入れたらまた会える。何処の海でもね。憶えておきな、海のものは仲間を決して見捨てない」
片目をつむり笑顔をルルリアに向け、子どもたちを船へと乗せこんだ。
三人の子供たちはそれぞれ何かを叫んでいたが、良くは聞き取れなかった。
だが、その瞳には確かな光が宿り、先々も心配なさそうだ。
マルッカは一声咆哮すると、巨大なシャチのような銀色に輝く神獣の姿にかわり、龍鱗船とともに海の中に姿を消した。
「みんな—— 元気でね」
ルルリアは決意も新たに、ルミナリスが戦う場所へと向かって歩き出し、いつの間にか全力で駆け出していた。
次回、オルクスとロドの闘いを描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでくれたならうれしいです。
感想など頂けたら励みになります。
よろしくお願いします。




