第9章 ベリスティアの攻防Ⅵ ~ ルミナリスの記憶
「北の防波堤沿いが比較的安全です。霧が濃く、魔導探査の反応が鈍るはず。ただし、そこに辿り着くまで、少なくとも広域に遮蔽物がない場所があり、完全な露出が発生します」
「あたしが囮になれば、時間は稼げるでしょ?」
「危険です。貴女は既に疲弊しています。戦闘継続は推奨できません」
「推奨しない? あたしがそうしたいの、戦うかどうかは自分で決める」
ルルリアの微笑みは淡く、けれど確かな強さを帯びていた。
ルミナリスはその意思の言葉を解析するが、“理由”が見つからなかった。
人間は論理の外で決断する。
それが、上手に学習できない。
~本文より
風が鳴いていた。
焦げた鉄の匂いと、崩れた石壁の粉塵が、夜の帳に混じる。
ベリスティアの海は、静かな夜の闇にまどろんでいた。
その闇とまどろみを突如引き裂く、巨大な爆発と大きな火柱が天を焦がし、帝国の備蓄基地を焔の海と変え、波を沸き立たせ、陸地を震わせた。
同時に帝国の艦隊が停泊する軍港では巨大な渦巻きが、戦艦や水中用魔導機兵を海底へと次々に引きずり込んでいく。
「総員、赤の領域制定。敵の反攻だ。敵兵を確認次第、各個の判断で撃破討滅せよ」
ベリスティア駐留帝国海軍司令ヴァンソン提督のこの命令が、さらなる混乱を呼んだ。
戦火の上がった基地に軍港に、帝国兵たちは向かい、敵はルミナリスたちの傍からひとまず遠のいたが、索敵機が空をかすめ、光を地上に投げかけている。
その中で、ルミナリスは子供たちの寝息を聞いていた。
幼い子供たち—— 年長のライルでもまだ少年であるリシュタ家の子供達は逃げるのに疲労の限界を迎えていた。
崩れた修道院の一室。天井は半ば焼け落ち、索敵の光が斜めに差し込む。
エルとノエルは互いに寄り添って眠り、ライルはその傍で短剣を握ったまま座っていた。
ルルリアは外で見張りに立ち、風を読むようにじっと耳を澄ましている。
平穏—— それは、あまりにも脆い。
ルミナリスの内部では、戦闘用並列演算が沈黙し、代わりに未知の信号が微弱に点滅していた。
「……ルミナリス。起きてる?」
静かな声を先において、ルルリアが崩れた壁越しに入ってきた。
その頬には煤がつき、髪は乱れていたが、瞳は澄んでいた。
「敵の索敵部隊が西に展開してる。ここを見つけるのも時間の問題かな。……子供たちを逃がすルートを決めなきゃ」
ルミナリスは頷き、魔法の杖を掲げて、同時に演算を再起動させた。
偵察用魔動機〝蟲″の情報と合わせて、魔法の杖を使い、魔力波で測定する。
たちまち、周囲の地形、魔力濃度、風の流れ、音の反響――それらすべてが数値となって百眼に表示される。
「北の防波堤沿いが比較的安全です。霧が濃く、魔導探査の反応が鈍るはず。ただし、そこに辿り着くまで、少なくとも広域に遮蔽物がない場所があり、完全な露出が発生します」
「あたしが囮になれば、時間は稼げるでしょ?」
「危険です。貴女は既に疲弊しています。戦闘継続は推奨できません」
「推奨しない? あたしがそうしたいの、戦うかどうかは自分で決める」
ルルリアの微笑みは淡く、けれど確かな強さを帯びていた。
ルミナリスはその意思の言葉を解析するが、“理由”が見つからなかった。
人間は論理の外で決断する。
それが、上手に学習できない。
だが、少し触れあっただけの子供たちに親身になるその決意には、否定や修正の言葉はあてはめられず、肯定の判断しかできない。
ふと、ノエルが寝言を呟いた。
「ねえ……こわい……」
その小さな声に、ルミナリスの演算領域が乱れに揺れた。
(ルミィ、私、怖いっ)
記憶域から発せられ不意に復元された言葉に反応して、ルミナリスは右手を差し出し、何かを握りしめるような仕草をした。
そして、その顔は—— その表情は目を背けながらも見開いたまま、青ざめた表情で何もない虚空を見つめている。
恐怖。
それは、命を守るための本能的反応。
胸の奥の浄玻璃の結晶石が不規則に鼓動する。
「……ルミィっ、ルミィっ、大丈夫?」
ただ事ではないルミナリスの表情にルルリア駆け寄る。
「……ああ、申し訳もありません。特に異常はありませんので……」
「何言ってるのっ! あんた泣いてるじゃないっ! どうしたのっ?」
泣いている? そんな機能は私にはない。
泣くだなんてありえない。
ルミナリスは頬を伝わる水滴を感知して、〝驚いて″いた。
指で受け止めた水滴を見たルミナリスは顔を上げて尋ねた。
「ルルリアさん……これは……これは何でしょうか? 理解不能です……」
切れ長の澄んだ瞳から大粒の涙が溢れ出して止められない。
各種機能が揺れて正確な計測ができない状態になっていた。
状態異常を認識。体内機能を再度走査、異常個所不明、現状状況分析不能——
私はどうしたのだろう?
思考領域の中で自問自答しているルミナリスに、優しく声をかける若い女性がいた。
ルミィ。思いのままに生きて……。
貴女は私の為に存在するのではないのだから……。
優しい声が、懐かしくいとおしい声が、体内で再生される。
その声に押されるように顔を上げると、ルルリアが抱きしめてきた。
「何だ……ルミィは唯々凄い奴だと思っていたけど、やっぱり女の子じゃない……大丈夫よ……大丈夫……怖くない……怖くない」
ルルリアの体温がルミナリスの中にしみこみ、ルルリアの声がルミナリスの思考領域を立て直す。
「私は—— もう誰も失いたくありません。その為に最善を尽くします」
顔を上げたルミナリスの瞳には強い決意の光にあふれていた。
それが何なのか、定義できない。
しかし、体内の魔力波の伝導率はよくなっている。
波間を進む機械音と空をかける飛行音が近づいてくる。
「……敵が接近中……索敵範囲に入るまで残り時間は僅かと結論」
ルミナリスの瞳が光を増す。
魔導蟲機が魔導機兵の群れを捉えた。
海と空の金属の群れが、広く展開していく。
このままでは、子供たちは逃げ切れない。
敵の耳目を集める囮しか方法はない。演算結果は明白だった。
ルミナリス、あなたが立つしかない。
その思考は、思考領域からこぼれた、“自分自身の声”だった。
「ルルリアさん。子供たちを連れて北へ。私がここで時間を稼ぎます」
「馬鹿言わないで! 一人で敵を引き付けて無事で済むはずが——」
「可能です。ヴェロキリアを倒した私が“そう望む”のですから」
ルルリアは息を呑んだ。
その声を肯定するように、夜空を裂いて一条の光が降り注ぎ、宝石のように輝く花弁――アマトリスフローラが、ルミナリスの足元に静かに咲いた。
目を覚ましていたノエルが光の中に咲く輝く花を見つけ、
「うわあ、素敵—— 女神さまみたい」
と声を上げ、ルミナリスは花を摘み取るとその花をノエルに手渡した。
「この花をもって、ライルさんとエルさん、そしてルルリアさんを連れてお出かけしてくれますか?」
その声には、確かな“意志”があった。
「うん。わかった。お兄ちゃんもエルもルルお姉ちゃんも、ちゃんと連れていく」
ルミナリスは明るく優しい笑顔でノエルの頭を撫でた後、ルルリアを見つめた。
「……だそうです。マルッカ様がお待ちです。夜明けまでには必ず合流します。海獣の顎の皆さんもかく乱作戦を実行中ですし、やり遂げて見せます。私は魔法使いですよ、ルルリアさん」
ルルリアは一瞬目をつむり、深く息を吸って吐いた。
「……わかった。でも絶対に戻ってきて。いい? 約束よ。魔法使いのルミナリス」
「了解。――約束します。では、後程合流しましょう。ノエルさん、みんなをお願いしますね」
「うんっ。あとでね、リミナお姉ちゃん」
小さな手に握られた奇跡の花が、光を揺らし皆の顔を照らし出している。
花に宿る力の波形はかなりの係数であり、きっと助けになってくれるだろう。
ルミナリスは晴れやかな顔をして、一人一人の顔を見つめて、崩れた扉を出ると、ゆっくりと空を見上げた。
神々の嘆きの涙が空を覆っているが、今夜の輝きは決意を讃えているかのように見えた。
「作戦行動を開始します。保護対象、エル、ノエル、ライルの子供たち—— ルルリアの援助による退避先への合流の成功率橙色の領域。本機……いいえ、私は……ルミナリスは、必ず合流すると“約束”しました」
魔導機兵がいる方向へ、帝国兵の進軍してくる方向へと、ルミナリスは迷うことなく歩を進めた。
次回、激しさが増す戦いでルミナリスが決断を下します。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
しっかりと頑張ります。




